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バタン、と背後でドアの閉まる音がした。家に帰ってきたのだ。ブーツを脱ぐ。廊下に倒れこむ前に、着替えなくてはいけない。
メイクを洗面所で落とす。すっぴんの顔は好きじゃない。でも仕方ない。そう生まれてきてしまったのだから。
ワンピを脱いでハンガーにかける。重いよね、ロリータ服。肩を回すとぐりぐりと音がした。パニエも脱いでクリップ付きのハンガーに留めてかける。タイツは脱いだら洗濯機に突っ込む。ヘッドドレスは箱に入れる。
ウィッグを取る。地毛の黒い短髪が露わになる。髪が短いと得するのは、インナーキャップを付けずに済むということだ。髪が長い場合、地毛がウィッグからはみ出てしまうから。
スウェットを着る。上下セットでグレーの、安売りワゴンで売っていたやつ。足は裸足のままでいい。家の中まで靴下の類に束縛されたくない。
鏡に映る自分を見て思う。ゴツいなと。嫌いだと。
「っあぁー、疲れた!」
床に寝転がる。この低い声も、好きじゃない。
金山銀司は男だ。Xジェンダーだ。日によって性別が変わる。
この「銀司」という名前も苦手だ。The・男って感じだからだ。もっと中性的な名前にしてくれればよかったのに。
本当は今日は男の格好で街に行くつもりだった。でも、自分の中の女の子の部分が出てきてしまったのだ。だから急遽予定変更して、がっつり着替えて行ったのである。
天井を見ながら私はこの後、どうやって生きていけばいいのだろうと漠然と思う。
女装男子な動画クリエイターは何人か知っているが、私はそうはなれない。ロリータ服を着る女性グループも知っているけど、そこまで開き直れない。
私のために、そう、私が好きだからメイクやロリータファッションをしているが、日によって男性にも女性にもなる私は、堂々と「女装が好きです」とは言えないのだ。「ロリータファッションが好きなんです」とも言えない。完全じゃないから。不完全だから。どちらか一方に決まっていないから。
アイデンティティがない。自己肯定感やらというものが、抜け落ちてしまっている気がする。
どうして生きているのかな。生まれてこなければ良かった。昔から苦労してきたけど、血の繋がった両親にも話せずにいる。話もせず家を出てきてしまった。これで良いのか。私は、私は……。
ピロン、と音がスマホから鳴った。お腹が空いて干からびそうな私はスマホを手に取る。時計は五時だ。妹からだった。
「いいじゃん! とってもステキ!」
「また送ってよ」
熊の可愛いハートつきのスタンプ。
「ありがとう、また送るわ」と返事する。
あぁ、こんな醜い私でも。理解してくれる人がいるんだ。少し、泣きそうになる。
「……よし」
私は起き上がる。夕飯を作ろう。
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