犠牲のクエル

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 母親が死んだその翌日のことを思い出していた。  みな、何も変わらず過ごしていた。母親が死んだことなど誰一人悲しまず、何も変わり無くどこか他人事のように過ごしていた。 ふと、耳に『今年の生け贄は誰が選ばれたの?』『まあ、不幸だったな』『でも良かった、こっちじゃなくて』『お前らじゃなくて良かったよ』 などという声が聞こえてきた。みな、どこか他人事、もっと言えば対岸の火事だった。  その声を聞く度にランドの心の中でチリチリと何か火花が散り始めていた。  もっと酷い言葉を言っていた人もいる。 その火花は今もずっと続いている、今、男が話しているこの時もずっと散っている。 「誰も、感謝しませんよね」 「え?」  男は振り向いたのか、カサッと皮膚が擦れる音がした。 「誰も、俺の母さんが死んでも、それを悲しむことなく、噂だけに留まらせている、何も知らないで過ごす人もいれば……笑う人だっていた。俺の母さんが死んだことを笑って他人事のようにして、良かった良かったと満面の笑顔で過ごしていますよね、村人たちは。何も知らないで自分たちだけが生き残ってそれで良かったって言っていましたよね」 「やめろ」 「生け贄に選ばれた家族の方が何を考えているか分からず、それどころか知ろうともしないで笑って過ごして」 「やめてくれ」 「はっきりこういう奴もいた。『知らない奴が死んで良かった』とそれも近所の大人が言っていた」 「もう良いだろ!」  たまらず男は叫んだ。 「もう……いいだろ……過去のことなんだから」 「それは……本当にそう思っていますか」  男は黙っている。 「過去のことなんだからと、仕方ないと割り切れますか」 「……割り切れるわけ……ないだろ」  振り絞るような声だった。枯れた雑巾から出てきた水のような声であった。 「大切な人が亡くなったんだ。そんなの、忘れられる訳がないだろ」  カラン、と何か棒のような物が落ちるのが聞こえた。 「なら、俺を出してくれませんか。俺は、もう大切な人を失うのは嫌なんです」  もうランドは今にも喚きそうになっていたが、それを何とかこらえた。 「だめだ、そういう訳にはいかない」  男はそう言ったが、その声には迷いがあるように聞こえた。 「……クエルは、ずっと一人の少女だったんです」 「……クエルとは、今回、生け贄になる女の子のことか」  ランドは静かに頷いた。 「クエルは父親がいません。彼女の母親もこの村のしきたりで死んでしまいました。そして、今回はクエル自身が。ずっと一人で、彼女は寂しくて最後も村のしきたりで死の運命が定められてしまった……まだ、大人になってない子どもが、村のしきたりで死んでしまう……彼女は、何の為に生きてきたんですか?」  言っている内にランドは涙声になっていった。クエルのことを考えると彼女のことがあまりにも不憫で、声が出なくなってしまいそうになった。 「彼女は村の犠牲になるために生まれてきたんですか? もし、もしそうなら俺はそれを否定したい……村のしきたりを否定して、彼女の人生を肯定したい」 「だが、もしそれで村の人々が死んだら……」 「死んでいい」 「………………………なんだって?」  男が自身を振り返った気配をランドは感じ取った。 「お前、それは正気で言っているのか? 一人の村人を助けるために、大勢の者が犠牲になって良いと言っているのか!?」 「……そうです……僕の母さんやクエルの死に対して、悼みもせず、良かった良かった、めでたいと言って見て見ぬフリする村人は、滅びたら良い……」 「そんなことは」 「貴方だって分かるんじゃないですか!? 自分の肉親が犠牲になっても、村人は弔いも悼みもせず、まるで選ばれることが光栄なんじゃないかという人々がいることを!!」  それを聞いて男は思い出した。誰も本当に自分の母親の死を悼む人はいなかったと。  みな、他人事の笑顔を振りまいていたことを。村の安寧が守られて良かったと、母親のことを選ばれて光栄なことだと、そう思うしか無いんじゃない? と言ってきたことを。 「おかしいんですよ、こんなしきたりがあるなんて……見て見ぬフリをするのがこの村なら俺は何の躊躇いもなく、この村を滅ぼします。貴方はどうですか」   もうランドは涙で布を濡らしていた。 怒りでワナワナ身体中が震えて、声を出すのも苦労していた。  男は何も言わない。何も言わなかったがやがて――  ガチャ  鍵を開く音がランドの耳に入ってきた。そして、布が外されていく。  目の前には色黒で上半身が裸の男が立っていた。 「言っておくが、俺はお前さんの言うことに納得したわけじゃない」  そう言って縄を解き、首飾りをランドに渡した。 「一人の少女が、一人のまま死んでいくのは嫌だと思ったからだ」 「あ、ありがとうございます」  そう言ってランドは走り出そうとした。しかし 「待て」  男が呼び止める。 「今回はクエルって子は穴に閉じ込められている。毎回儀式の仕方は違うんだ。今回は地面に穴を掘ってそこで土地神の生け贄を捧げることになっているんだ。そのペンダントに息を吹きかければ、少女の元にとぶことが出来る。後は頼んだ」  それを聞いてランドは頷いたが、一つ、男のことがきになった。 「あの……」貴方はどうするんですか、と男に聞こうと思ったが、男は「俺のことは気にするな。さっさと一人の少女を救って来い」とランドの心を読んだかのようにそう言った。 「ありがとうございます」  ランドはそう言ってペンダントに息を吹きかけようとした。 「まて」その時、男が止めた。ランドは男の方を見る。 「二度吹きかければ、村とは別の場所に飛ぶ。手を繋いだ者は一緒にとぶことが出来る」 「……わかりました、ありがとうございます」  ランドはそう言ってペンダントに息を吹きかけた。  その時は、もう夕方から夜になる頃であった。
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