ラストゲーム

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「今頃、大騒ぎだろうな」  瞬は力なく呟いた。その呟きに対して、祐樹は返事をすることなく、サッカー中継に集中している。    自分はとんでもないことをしてしまった。瞬は後悔の念を感じながら、テレビをぼおーっと眺めた。試合の内容などもちろん頭に入ってこない。ふいに祐樹を見た。祐樹は目をつむりベッドに横たわっている。    実況と解説者が声を張り上げた。サポーターの歓声も大きくなる。 「よし、いけ!」  祐樹も声を上げる。贔屓チームであるミストラル長野のチャンスシーンらしい。ミストラルの選手がセンタリングを上げ、相手チームとの競り合いを制し、ヘディングで豪快にボールを叩きつけた。 「ゴーーール! ミストラル長野先制!」実況が叫ぶ。 「よっし。やったー」  祐樹は声を弾ませて喜んだ。ミストラル長野は瞬と祐樹の地元クラブで、今季ラストゲームであるこの試合に勝てば念願の初優勝となる。絶対に負けられない一戦だ。大事な試合に違いはないが、この試合が元でとんでもないことになってしまった。 「なあ、祐樹。俺さあ、やっぱ何かしらの罪には問われるよなあ?」    先制点の喜びが一段落した祐樹に、瞬はうなだれるように言った。 「まあ、そうだろうな」  そっけなく祐樹は答えた。  他人事かよ。一体誰のおかげでこうなったと思っているんだ。  瞬は祐樹の顔色を窺った。相変わらず祐樹は目をつむりベッドに横たわっている。                          ※    数時間前まで、瞬は祐樹のお通夜に参列していた。祐樹の母親から「祐樹が亡くなった」と連絡貰った時は、時間が止まった。激しいショックに襲われるわけでもなく、自分でも信じられないくらいに心が静かだった。  会場に着き、仏壇の前に寝かされている祐樹を見てもまだ現実感がなかった。しかし、弔問客を相手する母親のやつれた顔を見た時や、先に到着していた同級生から「交通事故らしい」と事情を聞いた途端にこれは現実なのだと徐々に理解した。  お坊さんがお経を唱えた。お経はまるで呪文のようだと感じた。それも瞬の思考を奪う呪文だ。頭が真っ白だったので、お坊さんの講話もほとんど覚えていない。ただ、お坊さんが最後に残した言葉だけが妙に耳にこびりついた。 「みなさん。仏教の世界では荼毘に付すまでは、つまり火葬をするまでは死人でも耳が聞こえていると言われています。ですので、今のうちに祐樹さんに沢山語り掛けてください」    死んでいるのに耳は聞こえているのか。不謹慎かもしれないが、面白い話だと思った。そのことが頭にあったので、「通夜振る舞いのお料理をご用意しましたので別室に移動してください」と係に案内された時も、瞬だけは祐樹の前から離れなかった。  部屋に残っている瞬を見た祐樹の母から、「瞬ちゃんも食べていって」と声を掛けられたが「もう少しだけ祐樹と話します」と言って断った。 「そうだね。最後だもんね」そう言って母親は目を潤ませて、立ち去った。    誰もいなくなった部屋で瞬は語り掛けた。 「なあ、祐樹。お前一体どうしちまったんだよ。電柱にぶつかったってドジすぎるだろ」  言葉にして、初めて悲しみの感情が湧き、涙で視界がぼやけた。 「自分でもびっくりだよ、確かにドジだよな」    瞬は涙で滲んだ目を丸くした。  祐樹の声が聞こえた。周りを見渡しても誰もいない。誰かが隠れて冗談をやるとも思えない。そして何よりあきらかに祐樹の声だ。間違いない。 「祐樹、お前もしかして生きているのか?」  横たわる祐樹に恐る恐る聞いてみた。 「いや、死んでるよ」  祐樹から拍子抜けするほど、あっけらかんとした答えが返ってきた。 「…… じゃあ、何で喋れるんだよ」 「瞬、さっきの坊さんの話聞いてなかったか。人は死んでも耳だけは、火葬するまでは聞こえているんだよ」 「それは聞いたけどさ、耳だろう? 何で口きけるんだよ」 「…… 分からん。初めて死んだから」  このわけの分からないやり取りはしばらく続いた。最初は困惑したが、あまりに自然に会話が出来るので、段々とこの異常な状況にも慣れてきた。隣の部屋からは楽しそうな笑い声も聞こえてきた。きっと酒が入って盛り上がっているんだろう。祐樹はどういう思いでこの笑い声を聞いているんだろう。  そんなことを考えていると、祐樹が口を開いた。いや、正確に言うと口は開いていない。口は開かないが、それなのに祐樹の声が瞬の耳に届くのだ。 「実はさあ」祐樹の声が沈んでいる。 「どうした?」 「俺さあ今日の試合をもの凄く楽しみにしてたんだ」  何の事だがすぐに分かった。今日はミストラル長野とライバルチームであるクエザー甲州の決勝戦だ。祐樹はミストラル長野の熱狂的なサポーターで、こんなことにならなかったらスタジアムに足を運んで応援していたはずだ。 「なあ、何とか見られないかなあ」 「何とかって言われてもなあ……」 「そうだ。俺をお前の家まで連れてってくれればいいんじゃないか。そこでテレビ見せてくれよ」  祐樹の提案に、瞬は慌てて首を横に振った。 「いや、それは無理だよ。おかしいだろ死人を運ぶなんて。それに会場の人に見つかっちゃうって」 「大丈夫だろ。会場の人忙しそうだし、今ここに誰もいないし。家の両親は接待で手が離せないだろう し」 「いや、でもなあ」 「なあ、瞬。一生のお願いだ。頼む。俺にミストラルの試合を最後に見せてくれ。最後の一戦にして最高の一戦なんだ」    一生のお願いか。子供の頃はよく一生のお願いを軽々しく口にしたな。でも今、祐樹から聞いた願いは、正真正銘本物の一生のお願いだ。叶えてあげたいのはやまやまだ。祐樹を見た。交通事故なのに顔は無傷で眠っているように見える。でもまぎれもなく祐樹は死んだんだ。祐樹は死んだんだ。火葬したらもう二度と会えないんだ。もしこの願いを断ったらきっと一生後悔する。 「よし、分かった」 「えっマジ。やったあ」  祐樹の嬉しそうな声を聞きながら、瞬は部屋を出て辺りを見回した。会場の係りも親戚や関係者も見当たらない。それに幸いこの部屋からは出口が近い。 「じゃあ、行くぞ」  瞬は祐樹の体に手を当てた。冷たい。この体の冷たさが瞬の不安を煽った。 「おい、どうした。早くしろよ」  動きを止めた瞬に祐樹は急かす。躊躇している時間はない。覚悟を決めるしかないんだ。瞬は勢いよく祐樹の体を起こし、おぶる形で背中に乗せた。硬直した体は重かったが、祐樹が小柄だったのが不幸中の幸いだった。急ぎ足で瞬は祐樹をおぶり、車に運んだ。 「上手くいったぞ。多分誰にも見られてない」 「瞬、ありがとう」  祐樹の声が後部座席から聞こえる。瞬はエンジンを掛け、自宅まで車を走らせた。「安全運転でな」という祐樹の忠告付きで。                         ※ 「それにしても盲点だったな。耳は聞こえるけど、目は見えないとは」  祐樹は瞬のアパートで、がっかりしたような声を出した。    結果として作戦は成功し、瞬は自分のアパートに死人である祐樹を運んだ。正直、ちょっと後悔している。 「どうしよう」  つい声に出てしまう。こんなことをしてタダですむわけがない。よくよく考えたら、通夜会場にラジオでも持ち込んで聞かせてやれば良かったんだ。  はあ、逮捕されるのかな。ため息が漏れる。  逮捕されるとして、一体どんな罪状だろう。あの部屋に最後にいたのは自分だけだし、遺体と共に消えたので、祐樹を連れ去ったのが誰かは一目瞭然だ。それに、防犯カメラにも映っているだろう。 「どうしよう、どうしよう」  さっきから何回も、お経のように瞬は「どうしよう」を繰り返している。祐樹はさっきから聞こえていないフリをしている。いや、試合に集中している。まあ、祐樹にはどうすることも出来ないのだから仕方ないのだが。    試合は残り五分。このままいけばミストラルが優勝だ。しかし、一点差なので油断はできないだろう。と言っても瞬にとって試合などどうでもいいのだ。自分は今後どうなってしまうのか。それだけが不安で仕方がない。こんなことしなければよかった。後悔の念はどんどん大きくなる。  しかし、「よし、このままこのまま。集中、集中」と祐樹の張り切る声を聞くと、やはりやってよかったかなと複雑な気持ちが絡み合った。その時、    ピンポーン。  インターホンがなった。 「誰だ。こんな時に」  試合を邪魔されたくない祐樹は声を荒げた。  心臓が飛び出るほど瞬の胸がドクンドクンと暴れだす。  ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。  出なければいけないが恐怖で体が動かない。 「どうした。出ないのか?」  無邪気な声で祐樹は聞いた。まったく状況が分かっていないらしい。この間にもインターホンが鳴り響く。 「ごめん下さーい」  今度は男の声がした。 「すみません。松本瞬さん御在宅ですか。警察です」  やはり警察か。もうダメだ。終わった。 「おい、警察だって」  やっと祐樹も事態に気付いたようで慌てだした。今頃気づいたか。この呑気者め。 胸の動悸は止まらないが、固まった体は徐々に動くようになってきた。瞬は立ち上がった。その気配を感じたのか祐樹が言った。 「おい、行くのか?」 「ああ、だってしょうがねえだろう」 「クソー。あとちょっとで試合終わるのに」 「そっちかよ」  本当に祐樹ってやつは…… サッカーが好きな奴だな。瞬は玄関の方へ足を向けた。 「ちょっと待って」  祐樹に呼び止められた。声が少し震えている気がした。 「どうした? もしかして気にしてるのか。でも気にしなくていいぞ。俺がしたくてやったことだ」 「瞬」 「何だよ」 「ありがとな」  祐樹がしんみりと言った。    ドンドンドン。  今度は扉をたたく音がした。それと同時に「いることはわかってるんだぞ」という警察官の怒鳴り声も響いた。 「もうまるで犯人だな。まあ犯人なんだけど」  瞬は笑ったが祐樹は反応しなかった。その代わりに「瞬。ありがとな」と、もう一度言った。何だか背中のあたりが痒くなるような響きだ。 「なんだよ。水くせえな」 「瞬。本当にありがとう。じゃあな」  そう言った瞬間、ベッドに寝ていた祐樹の体が跡形もなく消えた。  瞬は呆然と立ち尽くすしかなかった。それから数十秒後、ドアの向こうから大声がした。 「はい、もしもし。なにい! 遺体が帰ってきたって? そんなの信じられるか」  困惑する警察官の怒号が、サポーターの大歓声と共に瞬の耳に届いた。  サポーターの歓声の中には祐樹の声も紛れているような気がした。      
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