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「名声も中傷も、誰かが『真実だ』と言い切れば真実になる。これは怪異にとって致命的な問題です。一度確定してしまったイメージは、当事者であっても覆せない。民衆の要求に応えられなければ、もう本物ではないのです」
「ウ……ウウウウウ」
「怪異」の虚ろな目に剣呑な光が戻る。まだまだ本調子ではなさそうだが、荒々しく息巻く姿が甲斐甲斐しい。
「ねえ、送り狼さん。貴女も他所から漂流してきたクチでしょう。そういうはみ出し者は多いんです。科学全盛の現代において、怪異が居座る余地はありませんから。特に貴女の場合、元ネタになる動物が絶滅しているのも大きい。
ええ、ええ。焦る気持ちは分かります。忘れ去られた怪異の行く末は、実に悲惨ですから」
「ガウッ! ガウッ!」
「だからこそ、俺は貴女を見過ごせない。
一時の感情に身を委ねてはいけません。意図せずして信念を捻じ曲げるのは、自殺と何ら変わらないのですから。
とにかく俺が言いたいのは、貴女は『送り狼』で、お嬢さんを食べる資格はないということです。転びかけの獲物でもグレーゾーンなのに、転んでいない獲物を襲うのは駄目でしょう。
どれだけ不自由なルールであっても、破るのはオススメしません。さもなくば、貴女は貴女でいられなくなる」
「ッ……ガルルルルッ!」
「……そうですよね。食事を邪魔されて、痛めつけられて、挙句訳知り顔で説教される。納得できるはずもない。道理にもとるのは俺の方でしょう。
が、今回ばかりは無理を通させてもらいます。私情丸出しではありますがね、俺はこちらのお嬢さんに用があるのです。それに、今のままだとそちらさんが危ないのも事実。
どれ、最終手段といきますか」
青年はおもむろに両手を構えると、派手にパンパンと柏手を打った。仰々しくも洗練された所作に、ある種の神聖さを覚える。
「ミツミネサン、ミツミネサン、ミツミネサン」
「グッ!?」
三度唱えられた謎の呪文。曲がりなりにも反骨精神を貫いてきた「怪異」が、あからさまに怯え上がる。
「……フンッ」
餓狼は苦し紛れにそっぽを向いた。途端、灰褐色の毛が糸状の砂に置き換わり、全身が土塊と化していく。
黄色い抜け殻からピシリと音が鳴り、細かい亀裂があちこちに波及していく。陰気な風が一吹きして、涸れた骸はボロボロと崩れ落ちた。
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