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「ハハハ、ごめんごめん。もう夕ご飯の時間だものね。よーし、目的地を変更しよう。この辺りに行きつけのカフェがあるから、そこで休憩しない? ホラ、『腹が減っては戦はできぬ』って言うしさ」
魅惑的な提案にゴクリと唾を飲む。始発電車で村から脱出してより、一日中何も口にしていなかった。警戒心が和らいだ今、食欲が湧くのも致し方なかろう。
ひょうきんな表情はそのままに、青年がこちらへ戻ってくる。ブンブンと両腕を振り上げながら、私のすぐ傍らを通り過ぎようとする。
不安は完全には掻き消えていない。自分に人並みの幸せを望む資格があるとも思えない。
そんな自嘲的な私の背中を押したのは、ごくありふれた掛け合いだった。一粒の種子みたいにちっぽけな希望が、異形の少女を調子付かせた。
「……おっ?」
余程予想外だったのか、怪訝そうな声が上がる。勢い任せに掴んだ青年の掌は、汗が滲みそうなくらい熱い。
「……ふふっ。ようやく君と通じ合えた気がするよ。改めてよろしく、お嬢さん」
隣を見ると、「救世主」はいつも通り――いつも以上に優しくはにかんでいた。ブーツのせいで歩きづらい私に合わせて、ゆっくりと足を運んでくれる。
不意に冷たい風に首筋を撫でられ、ブルリと身震いする。ああ、私は寒かったのか。寒い上に、お腹が空いていたのか。
「ふへえ、早く温かい紅茶が飲みたいなあ……あ、そういえば自己紹介がまだだったね。俺の名前は金泉柚麒。仕事柄、アパートの皆んなからは『記者』と呼ばれている」
無遠慮なくせに、挙動不審なくせに、側にいるとこの上なく楽しい。名乗り返すこともできないけど、触れ合わなければ気持ちも伝わらないけど――それでも私は彼に――「雄弁記者」に、笑顔で応えてみせたかった。
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