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幕間① -火蓋-
「西浪市」は狂った町だ。騒がしい路地を歩いていると、つくづくそう思う。
駅に降り立った時点で違和感はあった。乗客の他愛ない会話や呟きの中に、奇妙な声が混じっている。漲る食欲を隠そうともしない、浅ましい叫び。雑踏に紛れてこちらを狙う者がいる。
「ウウウウウ……」
迎え撃とうにも、不協和音が多すぎて集中できない。ひとまず場所を移すため、手荷物を落とさないよう注意しつつ、人流に沿って改札口を目指す。ごった返す構内を突き抜けてロータリーに出ると、空には無数の星が光っていた。
そうして盛り場を離れ、薄暗い横道に飛び込んで今に至る。民家から漏れ出る団欒のざわめきがうざったいが、プラットホームの煩さよりはマシだ。おかげで件の声が聞こえやすくなった。
「グルルルル……」
はしたなく涎を啜る音。しきりに首を揺らす響き。気配を消しているつもりらしいが、自分の耳は誤魔化せない。のこのこ近付いてくる追跡者に警告してやる。
「どうか……見逃してください……自分はまだ……死ぬわけにはいかないんです」
「ッ!? グガアアアッ!」
牽制したつもりだったが、どうやら裏目に出てしまったらしい。逆上した狩人が頑強な脚で大地を蹴る。理性の欠片もない息遣いが、一気に間隔を縮めてくる。
「あらあら……お行儀が悪い」
ふうと一息吐いてから、携えていた番傘を開く。柄竹を肩に掛け、赤い和紙で背中を覆い隠せば、あとは「聞く神」に託すだけ。
「『仕掛け万燈・菊』!」
呪文を唱えた直後、オレンジの閃光が辺りを照らし出した。舞い散る火花は時間に伴って色を変える。赤青カラフルな輝きが、疎らに闇を払い除けていく。
「グギャアアア!?」
持ち手を介して伝わる炎熱。肉を焦がす不快な臭い。凄まじい悲鳴に鼓膜を刺され、酷い頭痛に襲われる。
「ううっ……さて……そろそろ頃合いですかね」
盛んに噴き出ていた火が収まり、真冬らしい冷気が戻ってくる。傘を閉じつつ振り返ってみると、そこには一匹の獣がいた。全身真っ黒に爛れて、残火の中をのたうち回る姿は、この上なく惨めだった。
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