第三章 -金言-

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 カツン、と音がした。何の面白みもない、ささやかな事象。いつもなら聞き過ごして終わりだが、今宵は妙に聴覚が冴えている。おずおず視線を向けてみると、埃で汚れた足場に花が咲いている。ケバケバしい赤色、茎に彫られた「203」の文字。地表に曝された一本きりの根は、ギザギザくねって平べったい。それが柚麒さんに託された鍵だと気付くまで、数秒のインターバルを要した。  急ぎ屈んで拾おうとするが、すんなりとは運ばない。濡れた指先は滑りやすく、掴んだ矢先に取り逃してしまう。掬っては落として、落としては掬って。賽の河原の子供達も、こんなに忙しなく石を積むのだろうか。焦って空回りする私を、弄ぶ悪鬼が一人――もとい一匹。   「ククッ! 悲劇的よなあ! 浅からぬ縁で結ばれた相手に、こうも容易く欺かれるとは。どうせなら、はしたなく泣き喚いてくれ。ガキの涙声は酒に合う。――おっと、失敬。語れぬ貴様には無理な話か。ガハハッ!」  サド魔女は愉悦を噛み締めている。粘っこい物言いは蜘蛛(くも)の糸に似て、嫌らしく肢体(したい)に絡み付く。反論しようにも大義が無い。私は救いようもなく「語らずの巫女」だし、現実は手の付けようもなく残酷だ。  ――だけど、そんな私を抱き締めてくれる人がいた。悲しくても虚しくても泣けない夜、代わりに叫んでくれる人がいた。そうだとも。「怪異」の言葉は間違っている。だって――だって、あの人は私の―― 「ときに小娘、気になりはせんか? 数少ない味方であった者が、何故貴様を陥れようとしているのか。我輩が把握している全ての真実を――教えて欲しくはないか?」 「……!?」 「ことわっておくが、これは交渉だ。貴様が証人を引き受けてくれるというなら……まあ、答えてやるのもやぶさかではない。どうだ、悪くない条件だろう?」  予想だにしない提案に、うっかり体勢を崩す。ギリギリのところで持ち堪えたが、転倒し掛けたショックで肺が痙攣する。一体、どこからどこまでが狩人の計画なのだろう。バレバレの罠を張っていたのも、感情的に怒鳴っていたのも、愚者のフリをしていただけだったのか。あるいは何もかも、行き当たりばったりの展開なのかもしれないが――  水平を保っていた天秤が、望ましくない方へ傾いていく。鍵はまだ拾えないまま。  ああ、畜生。私って、弱いなあ。
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