第三章 -金言-

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「……確認しておく。金泉柚麒、腹は括ったか?」 「勿論です。観客はたったの一人ですが、これより先は晴れ舞台。武士道に従うも一興かな、計略を巡らすも一興かな。出し惜しみせず、尻込みもせず、心行くまで魂逝くまで楽しもうじゃあありませんか!」 「ガハハッ! とうとうやって来たぞ、この時が! 血が滾る、滾りよるわっ!」  苔と落ち葉で飾られた演壇。下手(しもて)に位置するのは砂塵の魔女だ。待たされ続けた反動か、太い指をポキポキ鳴らしながら、うっとりと舌舐めずりなどしている。(ひるがえ)って上手(かみて)に立つ柚麒さんは、にやけ面はそのままに重心を低くし、攻撃の構えを取っている。両者の距離はそこそこ離れているが、火蓋が切られれば一瞬で埋まるだろう。「海菜荘」の木壁を背に、私は事の成り行きを窺う。 「よーし、準備万端だ。あとは開戦の合図を待つだけ。お嬢さん、任意のタイミングで一回、パンと大きく手を叩いておくれ。柏手が樹林に響けば、あまねく緑は赤に塗り変わる。ハートの女王も顔色を失すスプラッタ・ショー! 見物するのは自由だけど、巻き添えを食らっても自己責任だからね」  要約すれば、「危なくなったらさっさと離れろ」とのこと。入念に心配してくれる「雄弁記者」を、本当なら殊更(ことさら)に応援してあげたい。が、エゴを貫いてしまった手前、公平性を欠いてはならない。二人に等しく敬意を表して、両手を胸の前に合わせる。ねっとりとした唾を飲み込み、勢いよく打ち鳴らそうとしたその時である。  振り返ってみても不思議だが、何故私は余所見などしてしまったのだろう。どうして華々しい戦士達よりも、その奥から伸びているなどに惹かれてしまったのだろう。バックグラウンドの一部分でしかない、野暮ったい印象の一本だ。枝々から垂れ下がる簾状(すだれじょう)の根は珍しいが、格別の魅力があるわけでもない。  はて、「雄弁記者」はこの植物について何か語っていただろうか。少なくとも、オヒアレフアやデンドロカカリヤと同等の扱いはされていなかった。であれば、このの正体や如何に。  不可思議な樹木に気を取られて、私は証人の責務を放棄してしまった。自分で発したはずの合図を、他人事のように聞き逃してしまった。彼らがいつ走り出したのか、いつ攻撃を繰り出したのか、どちらも判然としない。 「グガアアアアアッ!」 「うおりゃあああっ!」  それでも奇妙な夢から覚めざるをえないほど、人と怪異の初撃は激しかった。直線上でぶつかり合う拳と拳は、あたかも火打ち石のように熱を生む。文明の利器にも面妖な術にも頼らない、純然たる力の(せめ)ぎ合いは、幕開けにこれ以上なく相応しかった。
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