第三章 -金言-

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「――よっと!」 「救世主」は欠片も取り乱さなかった。右足を軸にして半身を反らし、心臓を爪の軌道から逸らす。それだけでは不十分だから、一息にバックジャンプする。滞りない身のこなしは、潜り抜けてきた死線の賜物だろう。渾身の一撃を外され、魔女は敢えなくバランスを失う。 「――ケッ、させるかっ!」  だが、彼女は諦めが悪かった。落下するよりも早く前足を突き出し、俊敏に地面から跳ね戻る。返す刃は一層荒々しく、さしもの柚麒さんも避け切れない。黒いシャツに四本の裂け目が刻まれる。幸い皮膚には届いていないようだが、安心してなどいられない。   「ホレホレ、休ませはせんぞっ!」  狩人の追い討ちは凄まじい。柔軟な身体から放たれる斬撃は、およそ法則性を持たない。大振りに切り込んできたかと思えば、続けざまに無数のジャブを叩き込んでくる。縦に、横に。浅く、深く。角度も威力も自由自在だ。  緩急激しい凶爪のラッシュは、払っても払っても後が無く、守っても守っても先が無い。攻防の余波で木々が揺れる。枝葉が砕けて屑になる。カラフルな花弁が引き千切れて舞い散るのは、絶望的に美しい。 「ガハハッ! やられっぱなしとは情けない! お得意の軽口はどうしたっ!?」 「……」 「記者」はひたすら無言で、ひたすら無心で、リズミカルに足を捌いている。大半の攻撃は体幹を捻って(かわ)し、それが不可能なら手刀で受け流す。無傷で(しの)いでいるといえば聞こえは良いが、実際のところはジリ貧だ。「怪異」の強襲に付け入る隙は無く、体力ばかりがじわじわと削られていく。  後方へ一歩、また一歩と追い詰められていく柚麒さんを見ていると、ついつい「止めて」と言いたくなる。けれども弱気な私と違って、彼は一切怖じ気づいていない。表面上は黙りこくっていても、瞳は依然として饒舌、勝利を信じて叫んでいる。となれば、私も信じるしかない。仮にも証人を務める身として、行く末を見届けようと決めた――その直後である。 「……っ!」  石ころでも転がっていたのか。それとも、泥濘(ぬかるみ)に嵌まってしまったのか。何とも間の悪いことに、よりによって送り狼の前で――柚麒さんは足を滑らせてしまった。 「……ガハハッ! 不覚を取ったな! くたばれっ、金泉柚麒っ!」  無抵抗で墜ちていく。転んだ獲物は逃れられない。あまりに呆気ない決着に、「怪異」は僅かばかり眉を(ひそ)める。それでも捕食者のサガが勝るらしい。恍惚(こうこつ)と舌舐めずりしながら、両腕を大きく振りかぶる。そうして余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と、バツの字を描くように下ろす。  運命に翻弄されて疲れたのか、彼は最期にこう言った。 「――
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