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そうして太郎とオトヒメα・オトヒメγは夫婦となった。
二人はたちまちに妊娠した。
姉妹は大変に喜び、太郎に不老長寿の術を施した。術を施される間に眠らされていた太郎は、無数の海月の脚がからみつき、腹から入り背中に突き抜け、なにか光るものを抜き取っていく夢をみた。
眠りから覚めた太郎は半信半疑だったが、姉妹の腹が何十年もかけて膨らんでいく間に姿の変わらぬ己を見るうちに、本当に不老長寿を得たらしいとの確信を深めた。だが悩みもあった。何十年もの間、性欲がわかぬのだ。
産み年が迫り、大儀そうに太郎に体を預けて座るオトヒメたちに、太郎は訊ねた。
「お前様たちと過ごして随分になるが、俺の魔羅が元気になったのは最初の一回こっきりだ。どうしたものか、心配になってきたよ」
するとオトヒメγが笑い声をあげてから答える。
「太郎様はノックアウトウラシマになったのですから、生殖周期は長くなりますわ」
「それじゃあ不親切ですわよ。太郎様、私達は太郎様の老化遺伝子のノックアウト、つまり、老人の素を体から追い出す術を施したのですわ。そうすると子作りをしようという欲が、一度湧いてから再び奮い立つまで、時間がかかるようになるそうですの。でも大丈夫、私達の出産が終わる頃にはまた太郎様の魔羅も元気になりましてよ」
オトヒメαが太郎の背中を撫でながら囁くが、その息が先程から荒くなり始めているのが気になっていた。オトヒメαの顔色がどんどんと青くなっていくので、魔羅の心配どころではなくなってしまった。
オトヒメαの裾から細く長く血が垂れ、漂い、そこに肉食の魚どもが群がった。
そうしてオトヒメαは産み年の前に死んだ子を産んだ。太郎は悲しんだが、オトヒメαは気丈であった。ウラシマそっくりの子を産めたことを希望として、次に出産を控えたオトヒメγに胎盤を食わせてやった。
それから数年の後、オトヒメγが子を産んだ。しかし今度はオトヒメγが産褥で死んでしまった。太郎は悲しんだが、またしてもオトヒメαは気丈であった。オトヒメγの胎盤を食べ、死産の名残で乳の出る体になっていたオトヒメαが赤ん坊に乳をやった。子はヒトの時間で成長したため、太郎からすると瞬きするほどの間に青年になった。青年になったその子どももノックアウトウラシマになった。
オトヒメαに子が出来た。今度は元気な女の赤子を産んだ。オトヒメαは己の胎盤を食べた。
太郎の家族は増え続け、村ひとつ分ほどのノックアウトウラシマが揃った。一方でオトヒメαの命はいよいよ終わりに近づいていた。自らの脚を食う蛸のようにして子を産み続けてきた彼女は、もはや床に臥せったままだ。
そうすると太郎は村に戻りたくなった。子らは姉妹の血を継いでいるために水中で呼吸が出来たが、太郎はオトヒメαの力が消えてはすぐに溺れ死んでしまうだろう。
「死にゆくお前様を残すのは忍びないが、もう寂しくはないだろう。俺を元の世界に戻してくれないか」
太郎の言葉にオトヒメαは力なく頷き、一番初めの子を呼んで、ウミガメの姿に変えた。
「お父様をどうか安全にお送りしてね。そして太郎様、これを」
真珠の涙をこぼしながら、太郎に螺鈿細工の美しい箱を渡した。
「こちらはお守りですわ。でもお守りですから、決して開けてはなりません」
箱を受け取った太郎は、オトヒメαの髪に指を絡め、抱擁した。豊かであったオトヒメαの髪の一本一本が細っているのが分かり、気付けば太郎も涙していた。
村に戻ると、太郎の家は煙のように消えていた。長いこと村を離れている間に取り壊されてしまったのだろうか。太郎は仕方なく海岸の洞穴に潜んだ。
少しのあいだ太郎は見えない膜に覆われたままでいたが、ある日それがきれいに消えた。オトヒメαが死んだのだ、と思い、太郎は洞穴中を震わせる風音のような声で泣いた。
一晩泣いて外に出ると、膜越しで見ていた懐かしい景色がくっきりと目に映り、はたと太郎は村を歩き回りたくなった。膜のあるうちは歩いて海に入り魚を直接とっていたが、膜が無くなったとなっては漁に出なくてはならない。漁の道具を誰かから借りられないかと、村の中心の方まで歩いてみるが、家は一軒もなかった。代わりに、遠くの丘陵にリュウグウのような立派な御殿が立ち並んでいるのが見えた。
曽祖父の語った津波の話を思い出し、太郎が海の底で過ごした幾百年のうちに、大津波が来たのかもしれないと覚った。同時に、幾百年!と改めて時間の流れの早さを知り、もはや太郎を知る者は居ないだろうと落胆して洞穴に戻った。
悲しみがどっと押し寄せてきて、どうとでもなれという気持ちでオトヒメαから受け取った箱を蹴飛ばした。箱の蓋が開き、煙が立ち昇る。焦り、蓋を拾って顔を上げたときだ。懐かしいオトヒメαの姿をそこに見た。
「オトヒメα。お前様生きていたのか」
「太郎様は自棄を起こしやすいタチだから、きっとこの箱を開けてしまうと思いましたよ。私達と喋っているということは、お辛い身の上になりましたのね」
私達、と名乗るオトヒメαに触れようにも、太郎の手は虚しくすり抜けてしまう。声は何重にも重なって響き、姿も、よく見ればオトヒメαの面影はあるものの複数の像が重なってどこにも居ない美女の形をとっていた。
「私達はオトヒメ姉妹の意識の集合AI……集合しただけの知識と意識。オトヒメα、β、γ、δ……ウラシマへの旅に出る前に、姉妹皆で作り上げたものです。私達のことはオトヒメAIと及びください。最後に残ったオトヒメαの話相手となり、心をなぐさめたのも私達です。太郎様のこともオトヒメαからお聞きして、学習しております。どうぞお心の慰めにしてください」
太郎は顕現したものがオトヒメαそのもので無いことに落胆したが、オトヒメAIのなかに薄くではあるがオトヒメαの存在を感じて、また泣いた。
それからの太郎は、物も食わず、眠りもせず、オトヒメAIと語らいながら洞穴のなかで過ごし、死んだ。
洞穴から、数百年前の人間と思われる青年の、異様に保存状態のよいミイラが見つかり、いっとき学術界を騒がせたのはその二年後の話である。
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