最後のスカート

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 ダイニングに行くと、父と小学生の妹がテーブルで朝食をとっていた。 「心春、おはよう」 「おねえちゃんおはよう」 「……おはよ」 「眠れなかったのか? もう感傷にひたってるとか?」 父が私をからかいながら食パンをかじった。 「まさか」 私は薄く笑った。私にとっては卒業式の日といっても昨日とたいして変わらない。時間は塊で押し寄せ、あっという間に通り過ぎていく。 「今日、パパも式に出られることになったのよ」 母は私のための食パンをトースターで焼き、私のための紅茶を入れ、私のためのヨーグルトを用意している間、終始楽しそうだった。仕事を休んでまで来なくていいのにと思ったけれど、来なかったら来なかったでさびしい思いをするのかもしれない。私は「ありがと」と小さな声で父にお礼を言った。  母のテンションは今日も朝から高かった。 「でも本当によかったわね。まさか心春が一高に受かるなんてね」 「本当にラッキーだったな」 父と母はまだ私の合格を信じられない様子で語った。もう何回聞いただろう、このやり取り。  一高は県下一の進学校だ。私には縁のない学校だと思っていたけれど、一高に制服がないと知ってどうしても行きたいと思った。  なぜなら、私はスカートが嫌いだったから。一高ならジーンズをはいて通える。この辺りには他に私服で通える高校はなかった。  小学生の頃からバスケットボールをしていて体力だけは自信があった私は、そのときから睡眠時間を削って勉強した。バツだらけの答案を書いた自分に絶望しながら、一高の受験生たちに少しでも追いつこうと必死だった。ブザービーターを決めるんだ、その一心だった。  奇跡的に合格してまるで夢のようだったけれど、間違いなく当落ラインぎりぎりだから入学し(はいっ)てから苦労することは簡単に想像できた。落ちこぼれちゃったらどうしよう。  私服で通う。スカートをはかなくてもいい。たったそれだけのことを実現するために、どうしてこんなに苦労しなければならないんだろう。「ラッキーだった」なんて簡単に言わないでほしい。でもうれしそうな両親にわざわざ水を差すこともないので、「そうだね」と話を合わせた。 「なあに? おねえちゃんってすごいの?」 なにも知らない妹が、喜ぶ両親の様子を見てたずねた。 「そうよ、あんたも一高目指して算数、がんばらなきゃ」 と話す母に妹は、 「わたしはいや」 ときっぱり言った。私はそんな妹がうらやましかった。  妹がいつも通りに登校していき、私は両親と一緒に中学校に行くことになっていた。  玄関を出ると外は思ったより暖かくて、空に鈍く光る雲がどこまでも薄く広がっていた。 「花曇りだな」 父が空から車のドアに視線を移しながら言った。 「なにそれ」 「桜が咲くころの曇り空のことだよ。普通の曇りの日より、ぼんやり明るいだろう」 「ふうん」 私には『曇り』は『曇り』で、いろんな種類があるなんて思えなかった。  車が学校に向かって走り出すと、父と母は前の座席で一高の入学式について楽しげに話し始めた。私は車の窓から私みたいに憂鬱な銀色の雲を見た。そして両親に気づかれないようにため息をついた。
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