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「あら。あの子、恵ちゃんじゃない?」
母親が木鳥居を抜けた瞬間、ふと呟いた。
その名前に反応し、お守り売り場に目を向ける。小さな瓢箪が吊るされているオブジェの後ろで、真っ白なワンピースを着た北小路恵が、絵馬を絵馬掛け所に飾っている。相変わらずすらりと背が高く、華奢な体をしていた。
「恵ちゃん!」
母の百合が大声で叫び、恵に向かって手を振る。北小路恵も私たち家族に気づいたのか、足早にこちらに向かって来た。遠目に見ても目鼻立ちが整っていて、セミロングの栗色の髪は巻き髪になっている。肩にかけたバッグはシャネルだ。いつ会っても目立つ存在だった。
「こんにちは」
恵は、まず母に挨拶した。そして私に目を向ける。ライバル心を剥き出しにしないように、細心の注意を払いながら、べったりと作り笑いを浮かべて。
「久しぶりー。髪が短くなっちゃったから、誰だかわかんなかったよ」
「うん。こんなに髪をショトーカットにしたのも小学生以来かも」
「そうだよね。ずっと長かったし。でも……どうしたの? 東京から帰って来てるなんて珍しいんじゃない? おばさんが、ずっと向こうに住んでるって言ってたから」
「戻って来たの」
「恵ちゃん。蓮に赤ちゃんができたのよー」
母親が、ここぞとばかりにドヤ顔で伝える。児童劇団出身の子役たちで、子供がいないのは私だけだったから、さぞかし肩身が狭かったのだろう。これで、昔馴染みのママ友たちと心置きなく孫の話ができると思っているのだ。勿論、恵のママとも。
「この歳で初産だから、家族総出でご祈祷してもらいに来たの」と私がつけ加える。
「うわっ。スゴイじゃん。おめでとう! ってことは、女優辞めたの?」
恵は嬉しそうに満面の笑顔で訊ねてきた。心の中では、女優業を挫折したんだ。ザマーミロと舌を出しているに違いない。私は恵の勝ち誇ったような笑顔を眺めながら、頭の中で恵が口にした言葉が、まるで除夜の鐘のように鳴り響いていた。
ジョユウヤメタノ? ジョユウヤメタノ? ジョユウヤメタノ?……。
私は、果たして女優を辞めることなんてできるのだろうか。
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