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人魚はもう絶滅種だと科学的に証明されたのに自分は人魚だと言いはる娘がいる。
「だって本当なんだもん」
拗ねたようにプクリと両頬を膨らませ、腰に手を当てて海に向かって睨みつけている娘がそうだ。この娘が頑固者と知っている僕は相手にすることを諦め何も返さず、視線を彼女と同じ方向へと移す。
「私が人魚なんだもん」
傍で聞こえた声に、僕は何も答えない。
もう何百回と聞いた姉の嘘に口答えしても意味がないと重々承知している僕は、現実逃避をするように波音を立て続ける海をぼんやりと眺め続けた。
僕は、海が好きだ。
心の中にモヤモヤが生まれた時、海の音と匂いと一定の間隔で現れる白い泡立ちを見つめるだけで、モヤモヤが波と共に流されていくからだ。だから、ここ最近僕はお気に入りのスポットである岩に囲まれた洞窟に来ている。満ち潮の時でもギリギリ浸からずに済む不思議な洞窟。洞窟の周りに岩で覆われた落とし穴でもあるのか、満ちた海水は洞窟の入り口に到達しようとするところで止まりそれ以上高さを上げない。流石に洪水や浸水が起きた時はダメだろうが、日常にある程度の潮であればこの洞窟は海の傍だというのに岩肌を大して濡らすことなく誰かのためにあてがわれた休憩所のように温かくもあり涼しくもあるという適度な温度を保って存在していた。
いつからそう呼ばれたのか知らないが、その不思議な存在をした洞窟は『人魚の休憩所』と呼ばれている。
町の子どもたちの遊び場となっているが、暗くなると誰もいない。視界が悪い状態で不安定な岩の上を歩くのは危ないからだ。
けど、陸上部でそこそこ足腰が強くて夜目が効く僕には問題ない。懐中電灯さえあれば足元はよく見えるし、暗闇に慣れている目は波の動きや小さな虫の動きさえも捉えれる。姉も同じようで、僕が定位置に座って海を眺めている内にふと気が付くと僕の傍にいる。気配を消すのが得意な姉はまるで忍者のように月明りの中現れる。きっと前世は忍者だったのだろう。双子の僕が全く同じ血を引いているから、僕の夜目が効くのもその恩恵をあずかっているからなのかもしれない。
だからこそ、人魚だと言い張る姉が不思議でたまらない。
忍者なら、まだ嘘だとしてもちょっとだけ根拠があるから納得がいくのに。
「人魚は溺れないじゃないか」
ふと、無意識な言葉が僕の口から洩れた。
「泳げない人魚だもん」
間髪入れずに姉が答えた。
「それって人魚なの?」
「陸に居すぎた人魚ならそうなっても仕方ないよね」
「でも泳げなかったら溺れるじゃん」
「人魚だから泳げなくても水の中で生きれるもん」
ああ言えばこう言う。
そんな言葉が頭にフッと浮かぶくらいの間髪入れない返しに、僕の表情はきっと苦笑いを浮かべていることだろう。
「泳げない人魚なんているのか?」
言いながら僕は、なんとなく身を乗り出して海面を覗き込む。
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