序章

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 大井戸の底は、本当に素敵でした。  夏のことです。小麦は黄色く実っており、緑の地面には干し草が(うずたか)く積み上げられていました。そこを、井戸の外から迷い込んできた野鳥たちが、異国の言葉でおしゃべりをしながら飛び過ぎてゆきます。  大井戸の底は一面が緑の芝生に覆われていて、その真ん中に小高い丘がありました。そこに、暖かなお日さまの光を浴びて一軒の古いお屋敷がありました。まわりを高い石垣に囲まれていて、庭の端から端まで、本当にたくさんの種類の植物がその葉や花を思い思いに伸ばしていました。そこは、魔女のお屋敷だったのです。  この石垣の一角に、トカゲの巣がありました。巣の中には、一匹のお母さんトカゲが座って、丁度卵をかえそうとしていました。けれども、可愛い子供は中々生まれてきません。他のトカゲたちも遊びにきてくれないので、このお母さんは大変退屈でした。他のトカゲたちにしてみれば、スカンポの下で座ってお喋りするよりも、池の周りを探索する方が面白かったのです。  とうとう卵が一つ、また一つと、次々に割れ始めました。中からは、綺麗なウロコを持ったトカゲの子たちが次々と可愛い頭をつき出します。 「おいそぎ、おいそぎ」  お母さんトカゲは言いました。子供たちは言われた通り大急ぎで出てきて、緑の葉っぱの下から、四方八方を、きょろきょろ見まわしました。お母さんは、皆に見たいだけ見せてやりました。なぜって、緑は目にいいですからね。 「世界ってすごく大きいんだなあ!」  子供たちは口を揃えて言いました。卵の中にいた時とはまるで違うのですから、こう言うのも無理はありません。 「お前たちは、これが世界の全部だとでも思っているのかい?」  お母さんトカゲは言いました。 「世界っていうのはね、この石垣を超えて、小丘を下って、大井戸の外までずっと広がっているんだよ。お母さんだってまだ行ったことがないくらいさ。――ええと、これで皆だね」  こう言って、お母さんトカゲは立ちあがりました。 「おや、まだ皆じゃないわ。一番大きい卵が残っている。この卵はなんて長くかかるんだろう」  こう言いながら、お母さんトカゲは仕方なくまた座りこみました。 「ちょいと、どんな具合かね?」  その時、おばあさんトカゲがお見舞いにきて、こう尋ねました。 「この卵が、一つだけ随分かかりましてねえ」  お母さんトカゲは答えました。 「いつまでたっても、穴があきそうもありませんの。どうか他の子たちを見てやってくださいな。皆、見たこともないほど綺麗なトカゲの子供たちですわ。お父さんにそっくりなんですのよ。それだのに、あの仕様のない人ったら、お見舞いにもきてくれないんですの」 「どれどれ。その割れないという卵を、わたしに見せてごらん」  おばあさんトカゲは言いました。 「お前さん、こりゃあワニの卵だよ。わたしも、いつか騙されたことがあってね。そりゃあ、ひどい目にあったもんさ。どれ、もっとよく見せてごらん。ああ、やっぱり、ワニの卵だよ! こりゃあ、このままにしておいて、他の子供たちに色変えでも教えてやるほうがいいね」 「でも、もう少し待ってみますわ」  お母さんトカゲは言いました。 「折角、長い間座っていたんですもの。もう少し我慢してみます」 「まあ、お好きなように」  おばあさんトカゲは、こう言って行ってしまいました。  とうとう、その大きな卵が割れました。ピーピー鳴きながらトカゲの子が転がり出てきました。ところが、その子は灰色で、おまけに随分大きくてみにくい格好をしていました。お母さんトカゲはその子を眺めて言いました。 「まあ、とんでもなく大きい子だこと。他の子には似てもいやしない。こりゃあ、本当にワニの子かもしれないよ。まあ、いいわ。すぐわかるんだもの。ひとつ、岩場へ連れてって試してみましょう」
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