大林さんとの会話

1/1
前へ
/30ページ
次へ

大林さんとの会話

私は、大林さんの話を聴きながら将棋を指していた。 相手は四段であったが、私の勝ちで終わった。 大林さんともっと話がしたかったので、将棋クラブを出て 近くにあった、喫茶店に入った。小ぢんまりとした、質素な感じの喫茶店である。 見るとお客は二人しか居ない。 大林さんと向かい会って座った。 ……今日こそ、私の正体を知るぞ!…… やっとこの時がきた。と、私は意気込んでいた。 「大林さんの話しによると、僕は大学の大会でベスト4に入る程  将棋が強かったのですね。」  と言った時、ウエートレスが注文を聞きにきた。  二人ともコーヒーを注文した。 「水原は、強かったよ。  負けたのも途中棄権で勝負は水原の優勢だった。  途中で棄権するなんて、僕の方が残念だった。  本当はお前に優勝してもらいたかった。」 「途中棄権?何故僕は棄権したの?  身体でも悪くなった?  それと、その大会は何年前の事ですか?」   「その大会は、確か4年前だ。水原が4年の時だ。  何故棄権したかと言うと言っと、水原に電話が掛かって来て、  『急用が出来た』と言っていた。」  「急用が?、どんな用事だったの?」  大林さんは、コーヒーを飲みながら、その当時を思い出しながら  答えてくれた。    「確か、教授から電話があったみたいだった。   『どうしても、行かなければならない』とか言っていたよ。   僕は止めたのだけど、水原はそちらの用事を優先したんだ。   何の用事だったの?」   と、大林さんに聞かれたが、こちらが聞きたい。  「それと、大会は4年前と言っていたけど、その時 僕は大学の   4年生だった。だとすると、僕は今26歳って事?。」            「水原は自分の年齢も覚えて無いのか?」    と悲しげに言った。   「水原は僕と同い歳で今、26歳だよ。    水原の学生手帳も見た事があるから間違い無い。    誕生日も判り易くて覚えているよ。」        「いつだった?」とすかさず聞いた。       「水原の誕生日は、覚えやすいんだ。     平成8年8月8日だ。一目で覚えられる。」     私の身体に電流が流れた。と言っても感電はしてない。     両親は僕の誕生日を平成6年8月8日と言っていた。     単なる記憶ちがいの間違いか?     それとも、組織からの誤報をそのまま言ったのか?     両親、妹に対する疑いがますます強くなって行った。     一体、両親と妹は何者?          大林さんとの話はまだまだ続く。    
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加