花咲く乙女は染まりて

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 一番後ろの左側、窓際に座るあの子は例えるなら高嶺の花。  背を向けた教師の隙をつき、教室に咲く花をちらちらと盗み見るのは一人二人ではない。私だって数に入るかもしれない。さらりとした髪を耳にかけて、大きな瞳が教科書の文字を追いかける。陶器のような肌は窓から入る日差しに反射して、より艶めいていた。  その様子をじっと見つめていたのは私だけじゃない。いや、正確には、私が見つめていたのはあの子じゃない。隣の席であの子を見つめる彼の姿だ。  左に座るあの子を彼が見ているのを、私は彼の右側で、何も出来ずに見つめることしか叶わない。何と無力。ありありと現実を思い知らされる。  今、どのような顔をしているのだろうか。彼の表情はわからない。私はその視界に入ることさえない。  彼があの子を眺める時間が特に長いこの時限の授業は、私にとってとりわけ虚しくなる時間だった。  けれど、それももうすぐ終わる。  かえってよかったかもしれない。桜の季節が近づき、まだ咲かないでと願う心と早く散って思う気持ちが、あの時間を過ごすたびに後者に傾くのだ。  あの子は絵に描いたように完璧な女の子で、だから彼が夢中になるのも仕方がないのだ。そしてそんなあの子とお似合いだと思ってしまうくらい彼も素敵な人で。きっと二人が肩を寄せ合い並び歩くのも時間の問題だろう。  教科書を広げるのも最後になる日。  風邪を引いたのか、あの子は学校を休んだ。教師の口から欠席したことを知った時、ほっとした私は嫌なやつだと思う。こんな考えをしていては視界に入れてもらえなくても仕様がない。  けれど。見納める彼の姿があの子を見つめるそれでなくてよかった。いけないとわかっていても、心底そう思ってしまうのだ。  彼が一番あの子を見つめていた午後の時限、立てた教科書で顔を隠した私は机に突っ伏し、念仏のような授業を聞いていた。  そろりと頭を左に向けて、ばれないように、彼の横顔を目に焼き付ける。すると不思議なことに、彼は空っぽになった左隣のあの子の席に視線を移し、動かなくなった。  微動だにせず見入っているのは、最後の日に会えなかった名残惜しさからだろうか。もしかすると、伝えたい言葉があったからだろうか。  窓に太陽が反射し、きらりと光った。腕にぽたりと雫が伝う。  彼の頭越しに見えるガラスに映った私は酷い顔をしていた。桜の下で照れ臭そうに笑う二人を想像して、心も顔もぐちゃぐちゃだ。  なんて不細工なんだろうと卑下したくなる私に少し重なるように映っていた彼の表情が揺らいだ。  思い過ごしかもしれない。だが、驚いた様子の彼と目が合った気がしたのだ。  慌てて頭を机に押し付け、寝たふりをした。あんな残念な顔が、最後の最後に彼の中で残る私についての記憶となるのかと思うと立ち直れそうになかった。いいや、私に関する記憶なんてはなからインプットすらされていない可能性もある。  あの子の十分の一でもいいから可愛いければよかったのに。そうしたら、あんな風に引かれることもなかった。もっと早くに声をかけて、せめて友達くらいにはなれたかもしれない。  後ろ向きな思考は膨らみ始めたら止まらなくなり、最終のチャイムが鳴っても、机から顔を上げることは出来なかった。 「やっと終わった。これでしばらくは勉強から解放されるな」  近くで声がする。  ホームルームを終え、帰り支度でざわつく教室の中、彼と仲のいいクラスメイトが放課後の相談をしているようだった。 「どうする、ゲーセン寄って行く?」 「止めておくよ」 「ならファミレスにするか」 「用事があるから、悪いけれど先に帰ってて」  つれないなぁ、と残念そうなクラスメイトの声と足音が遠ざかって行くのを感じ、そっと頭を持ち上げる。  腕の骨に圧迫されて痛くなったおでこをさすりつつ顔を起こすと、教室内には数えるほどの生徒しか残っていなかった。  私と、教卓の前でたむろする女子のグループと、そして隣の席の彼ーー。 「大丈夫?」  てっきり友人と一緒に教室を後にしたのかと踏んでいたので、想定外の状況に一瞬固まってしまう。  驚いて声のするほうに顔を向けると、もう帰ったはずだと思っていた彼は席に座ったまま、私を真っ直ぐ見つめていた。 「その…体調とか」  どこまで見られていたのだろう。もしはっきりと目撃されたのだとしたら、とても気を遣ってくれているのは違いない。 「もし具合悪いなら帰り、付き添おうか?」  心配そうな表情の彼がたずねてくる。おそらく、ここにいたのが他の誰であっても彼はこうして手を差し伸べるのだろう。  彼は優しい。そしてその優しさが、私にはどうしようもなく痛い。 「ありがとう。でも、なんともないから」  せっかくの気遣いにも素っ気ない返事しか出来ない私はやはり可愛くないやつだ。  とにかく今はこんな状態の自分を見られていたくなくて、逃げるように荷物を詰め込み、鞄を引っ掴んだ。 「本当に?だっていつもはあんな風にならなーー」  そう言いかけた彼ははっとした様子で口をつぐむ。  発した台詞に引っかかり、体がブレーキをかける。言葉の意味を理解出来ず、振り返ろとした足が止まったまま、彼の口元がふたたび開くのを待った。  けれど、苦い表情を浮かべた彼の唇は動かず、代わりに聞こえたのは、わずかに残っていた他のクラスメイトたちがドアを開け出て行く音だけだった。  静まりかえった教室に二人きり。まるで時が止まったかのように、私たちは見つめあっていた。  恥ずかしい。照れ臭い。でも目が離せない。動かそうにも、顔も足も言うことを聞かない。  彼の瞳に映る自分を見ていられなくて、精一杯の抵抗で視線をはずした。それなのに、彼の後ろにある窓ガラスが鏡のように私を映すものだから、逃れられやしなかった。  そう、くっきりと、鏡のように。  彼は”いつも”と言った。  それはもしかしたら勘違いかもしれないけれど。二人を纏う空気が、何かを期待させる。  だから賭けてみたくなった。散るか、実るか。 「体調は問題ないの」  ただの自惚れだとしても。 「でも、もし、嫌じゃなければ」  まだ咲いてはいないから。  桜よりも先に咲けたらいいな、なんて思いつつ。 「一緒に帰ってくれませんか?」  夕暮れの道、募る思いを口にするのだ。  頬を赤く染めながら。 完
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