光の番人〜碧い月の伝説〜

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 母が亡くなってから迎える2度目の命日。  私は世にも不思議な光景を目の当たりにする。    それは初めて父の漁猟船(ぎょろうせん)に乗った夜だ──  「あぁきれいだなぁ。手が届きそうだ」  私は反り上がった船の先端から、初めて目にした海上に広がる瞬く星屑に、つま先立ちで空を見上げる。  祖母が縫い直してくれた母の形見の法被は、小柄な私にはまだ少し大きかったけれど、どうしてもそれを着て夜漁(やりょう)に出たかった。  父に(たすき)掛けしてもらった長めの裾から腕を伸ばし、指の間からのぞく青白く透き通るまるい月に目を眇める。  「(あお)! あんま上ばっか見てっと、海ん中に落っこちてしまうぞ! ほら、網を上げるから手を貸せ!」  ねじり鉢巻の父が船縁(ふなべり)に足をかけ、ぎっしり重くなった漁網(ぎょもう)を力強く手繰り寄せながら、声を上げる。  私はあわてて駆け寄り、網を両手で掴んで引っ張るも、つるつる指が滑って仕方ない。  周辺からは、波の音に紛れて豪快な笑い声が流れてきた。  「碧! 眠たいだろうに、よく頑張って父ちゃんに付いてきたなぁ!」  丁度いい塩梅に間隔を空けて浮かぶ、何艘もの同じ漁猟船。  一番近い場所にいる、漁師仲間のト吉(ときち)さんが声をかけてきた。  「ううん! あたし全然眠くなんかないよ! 今日は母ちゃんの命日だから、仏壇にうんと良いものをお供えするんだ!」  「そうか。今年は3回忌だもんな。母ちゃんきっと喜んでるぞ!」  「うん!」  提灯のようにぶら下がった(いさ)り火が、瞼の裏側まで焼け付く明るさで、ゆらゆらと揺れる波間を照らしていた。  「今夜の作業はこれで終いだ! 碧、初めてにしちゃぁ上出来だったぞ。よく頑張ったな。よしっ集魚灯(しゅうぎょとう)を落とせ」  「うん!」  父は満足気な顔で、水揚げした漁網の口を解くと、お前たち良く来たなぁと網にかかった獲物に話しかける。  夜漁は獲物と人間が、取るか取られるかの命掛けの駆け引きをする戦いみたいなものだと、父は言う。  それと向き合う父の背中は大きく、とても猛々しくて。  けれど戦いを終えると、父の険しい顔付きは、凪いだ海のようにやさしい眼差しに変わっていた。  「父ちゃん、今夜は大漁だね。それに活きの良い烏賊(いか)さまばっかりだ。目が宝石みたいに青く光ってる」  「あぁ、北の方じゃ目の色が違うもの同士、命を取り合ってるってのによ。海神(うみがみ)さまは、今夜もこうして俺たちにしこたま命を分け与えてくれる。ありがてぇこった。一匹も傷付けるんじゃねぇよ」  父は汗に塗れた額の鉢巻きを解くと、小さくうごめく青い光達に、丁寧に両手を擦り合わせる。  ありがてぇ。ありがてぇと。  捕るもの、捕られるものの間には、常に尊い命の循環がある。俺たちはその循環があるからこそ、こうして生きていられる。  だから、うちの網をわざわざ選んでかかってくれた獲物には、感謝しなきゃなんねぇと父はいつも言っている。    海の命に敬意を払う大事な儀式。  私も神聖な気持ちで目を閉じ手を合わせると、立ち上がって静かに集魚灯のレバーを引いた。  明かりが消えた途端、僅かに見えていた空と海の堺がなくなり、辺りは真っ暗闇になった。  瞳孔が暗闇を少しづつ受け入れ始めると、  漆黒の海原が、星の光を吸い込んだ鏡のように夜空を映しだしていた。
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