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第4章 僕はドハ
僕には余り良い記憶がない
小さな頃から何か違う気がしていた
両親は共に音楽家で家に居なかったからか
祖父母に育てられていたから
作法や、所作や、礼儀にかなり厳しく
泣いてばかりいた記憶が多い
10歳になった時に祖父が亡くなった
僕は泣かなかった。いや泣けなかった
厳しくても どんなに泣いていても
生きる支えを見失った怖さだけが
僕を包みこんだ。
両親が今の仕事場であるボストンで
一緒に、暮らさないかと
物心ついてからも、今でも
両親と、話すのは苦手だった
しかし祖父を亡くした祖母も
渡米する事になったから
行かないと言えるはずもなく
10歳から15歳の夏迄ボストンにいた
英語には慣れたが
いつまでも両親には慣れなかった
空気感も距離感も埋めるのが難しく
僕は一人で小さな頃からの夢を追った
宇宙に、いつか行きたい❗
その為に進む道を探した
母国語で習う方を選び
韓国に戻りたいと話した
大学受験前に高校から編入したいと
父は何も言い返さず承諾してくれた
母は静かに泣いていた
僕の、中にいつまでも存在する
両親への違和感はなぜなんだろう?
母が辛そうに僕の背中を撫でた
それは小さな時から会うと必ずだった
僕の背中には赤く明るい痣がある
産まれた時からあるらしい
自分では鏡を駆使するしか
見る術はないから余り気にはなっていなかった
しかし母はいつも辛そうだった
高校に、編入して寮に入ると言った時
母は悲しげに引き留めて来たが
進みたい大学に行くからと母を制した
大学の入学が決まった時に
帰国した両親と暮らす事になった
学費を出してもらうのだから
逆らえるはずもなかった
祖母は帰国前に亡くなったから
3人暮らしとなり違和感を隠せない
ぎこちない生活をしていた
20歳になる前に1人暮らしがしたいと話した
父は今年は、ワールドカップもあり
家賃や土地が値上がりしているから
来年はどうだろう?と言われた
当たり前の返答に頷くしかなかった
後付けをした様に言われたのが
4月中はなるべく夜は母さんと居てくれと
父は仕事で渡米するらしい
了解しましたと言いながら
4月は惑星パレードが、あるから
なるべく研究室に居たいんだとは思った
母は年々気弱になりふさぎ混む事が多かった
まあ、そんな母を一人には出来ないから
仲間3人にも4月中だけは早めに帰ると
伝えてはいた。
僕はお気に入りの赤い服を
皆が金魚みたいだなと爆笑する中
ふてくされて家路に着いた
僕が消えてしまうあの瞬間迄
何も疑ってなかったし
今も良く解らない
4月5日
赤い服を着た僕は消えた
赤い踏切の前で携帯の着信を受けた
知らない番号からのメール
添付画像の記号を眺めていたら
眩しい程の明かりに包まれて
僕は消えた‼️ 肉体さえも残らず
意識だけが彷徨っていた
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