2 キャラメルは幸せの味がする

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 『夜迷亭』を訪れる客人は様々だ。  常連のあやかしだけでなく、ふらりとやって来るあやかしもいた。カフェに通って来るほどなのでみんな人に変化しているが、時々変化術が解けて首が伸びたり目が増えたりすることがある。当初はそれを目撃するたびに腰を抜かしかけていた僕も、最近ようやく動じなくなった。  そしてこの店には、あやかしだけでなく人間の客も訪れる。  結構な田舎だし、夜だけの営業なので、人間のほうはそれほど人数は多くはないが、この一週間毎日誰かしら来店していた。  どうやってこんな辺鄙(へんぴ)な場所にやって来るのかと疑問だったが、聞けば森の外に専用の駐車場があるという。田舎の不便な交通事情については、神様も配慮しなければならないようだ。  今夜も午後九時を過ぎた頃、ひとりの若い女性が来店した。  初めて見る客だ。薄いベージュのワンピースに白いカーディガン、白い大きなバッグを肩から下げている。長い髪を髪留めでまとめ、薄化粧を施した、全体的に落ち着いた雰囲気の美人だ。  僕よりやや年上に見えるけど、年齢は二十代後半くらいだろうか。  彼女と目が合うと、白銀さんは丁寧に会釈をした。 「いらっしゃいませ、佳世子(かよこ)さん。お待ちしていました」 「こんばんは。今週も寄らせてもらいました」  明るい笑顔に、弾んだ声音。会話から察するに、人間の常連客だろう。  一瞬、イケメン店主白銀さん目当ての客かと思ったけれど、彼女の態度にそういう媚びた感じはない。 「あ、もしかして、新しく入ったスタッフさんですか?」  佳世子さんが僕の前で立ち止まる。僕は慣れない笑顔を作って頭を下げた。 「伊ノ森(いのもり)恭也です。よろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いします。有本(ありもと)佳代子っていいます。このお店が好きで、ほぼ毎週金曜日、仕事帰りに通ってるんです」  佳世子さんのほうも低姿勢で挨拶をしてくれる。美人な上に性格も良さそうだ。 「伊ノ森さんって、もしかしてこのあたりの大地主の?」 「あ……それはたぶん、うちの祖父です」 「私が住んでいるアパートのオーナーさんなんです」 「そうだったんですか」  まさか、こんな若い女性にまで伊ノ森の名前が知れ渡っているとは思わなかった。名前でバレてしまうので、天星町で悪いことはできない。するつもりはないが。  佳世子さんは迷うことなく窓際のテーブル席へと向かう。その途中、白銀さんに「いつものお願いします」と告げた。  いつも同じ席に座り、同じものを頼んでいるという印象だ。メニューは必要なさそうなので、僕はお冷やとおしぼりを佳世子さんの席へと運ぶ。  やわらかな照明の下、佳世子さんは肘をつき窓の外を眺めていた。その横顔が、少し疲れて見える。きっと僕と同じで、一週間働いた疲れを感じているのだろう。  『夜迷亭』では、主に白銀さんがドリンクや料理を作り、風斗先輩がウェイターとして給仕やレジなどを受け持つ、という分業体制になっていた。新米の僕は今のところ、雑用をこなしながら風斗先輩から接客を学んでいる。  カフェというだけあって、『夜迷亭』のドリンクメニューは充実していた。様々な銘柄のコーヒー、紅茶に加えて、ワインやビールなどのアルコール類も置いている。ハーブティーやノンカフェインのドリンクも種類が多い。  料理はスイーツやおつまみが主だが、パスタやハンバーグなどもメニューには並んでいる。そのすべてを白銀さんが作っているのだから驚きだ。あるいは、それも神様の力なのだろうか。 「恭也、お願いします」  注文からほどなくして、白銀さんがカウンターの上にカップを置いた。温かそうな湯気を立てているのはキャラメルマキアートだ。  ほろ苦い香りを漂わせるエスプレッソの上に、ミルクの白い泡がふわふわと盛り上がり、キャラメルソースがたっぷりとかかっている。コーヒーもキャラメルも特別好きではない僕にも、美味しそうに見えた。 「お待たせいたしました」  テーブルにカップを置くと、佳世子さんは胸の前で両手を握って目を輝かせた。 「いつ見ても美味しそう! やっぱり、これを飲まないと一週間が終わった気がしないのよね」  疲れて見えた表情が今は満面の笑みに変わっている。一杯のキャラメルマキアートが彼女を幸せにしていることが、僕はなんだか嬉しくなった。 「本当にお好きなんですね、キャラメルマキアート」 「私、キャラメル味はなんでも好きなんです。中でも、ここのキャラメルマキアートは最高です」  佳世子さんは両手でカップを持ち、温もりを確かめるようにして香りを嗅いだ。  その仕草が可愛らしい。見た感じは僕よりも年上だけれど、きっと素直で明るい性格なんだろう。 「僕も、この前初めてここでカモミールティーを飲んだんですけど、すごく美味しかったです」 「ハーブティーもいいですね。今度頼んでみようかしら」 「ええ、ぜひ。どうぞごゆっくり」  僕がテーブルを離れると、佳世子さんは大事そうにカップに口をつけた。  それから、またぼんやりと窓の外に目をやる。  なにを見てるんだろう。  僕も初めてここに来たときにそうしていたことを思い出す。  すっかり日が落ちた窓の外はなにも見えず、真っ黒い鏡に自分の顔だけが写っているようだった。なにかを見ているとしたら、それは自分の心の中ではないかと思う。  もちろん、心の中に楽しいことが溢れている人だっているだろう。けれど、今の佳世子さんからはそういう朗らかさは感じない。  やっぱり、ちょっと元気がないように見えるんだけど。  初対面の相手なので普段の様子はわからないけど、さっきの笑顔とくらべると、妙に沈んだ表情に思えるのだ。  疲れているというよりも、なにかに悩んでいるような。  だいたいいつも僕自身がそんなテンションなので、余計にそう感じるのかもしれないけれど。  店内には静かなジャズピアノの音色が流れ、ゆっくりと夜が更けていく。こんな夜に、物思いに(ふけ)りたくなるのはよくわかる。  そんな少し切ない空気が、突然ぶち壊された。 「あ~疲れた! ハイボールとチキンサラダちょうだい!」  扉を開けるなりそう叫んだのは、ド派手なショッキングピンクのジャケットに黒のパンツ姿の麗巳(れみ)さんである。
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