3 無花果(いちじく)渦巻くミステリーサークル

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「それは、蒼羽(そうは)だな」  翌日の夜、『夜迷亭』を訪れた黒羽さんに、田んぼでの出来事について白銀さんが話した。  黒羽さんはいつものようにカウンター席に座り、ビールを飲んでいる。開店直後ということもあって、他に客はいなかった。 「兄弟は俺を含めて七人で、甥っ子は全部で二十三人いるが、このあたりで高校に通っているのは蒼羽だけだ。すぐ上の兄貴の息子だ」  やっぱり、高校生だったんだ。ていうか天狗族、大家族だな。  制服らしき格好だったので、そうかもしれないとは思った。あやかしが人間社会で働いていたり免許を持っていたりするので、学校に通うことだってあるだろう。もう驚くのも飽きた。  見た目に関しては、蒼羽くんは僕よりも年下に見えた。あやかしは見た目と実年齢がかなり違うので、実際のところはわからない。 「黒羽さんのおうちは大家族なんですね。しかも、甥だけで二十三人?」 「天狗は基本、雄しか生まれない」 「じゃあ、どうやって子孫を増やすんです?」 「人間の女を嫁にもらう」 「え? そうなんですか?」  あやかし事情にはだいぶ慣れてきた僕でも、これは新たな驚きである。異類婚姻譚(いるいこんいんたん)はおとぎ話でよく聞くが、本当にあるとは思わなかった。  しかし、どうやって人間の女性と結婚するのか。そこはとても興味深い。  そんな込み入った話を聞いていいものかと遠慮していると、黒羽さんのほうから説明してくれた。 「けど、それが簡単じゃないんだ。付き合ったとしても、結婚までいくにはハードルが高い。正体がバレた段階でほぼ終わる。場合によっては、相手の記憶を消すことにもなりかねない」 「それは……悲しいですね」  やっぱり、種族の違いって難しいんだな。現代人はあやかしが実在するなんて思っていないわけで、そこがまず障害になる。付き合うだけならともかく、結婚となると自分ひとりの問題じゃないし。黒羽さんも大変なんだ。 「昔みたいに人里からさらってきて無理やり嫁にできればいいんだが、最近はそれやるといろいろ問題になるしな」 「……」 「恭也、どこかにいい女いねーかな。美人で胸がデカくて性格が良くて料理が上手くて天狗に理解がある女」 「条件が厳しすぎます。特に最後のひとつ」  無理やり嫁にできればいいんだが、じゃないだろ!  うっかり同情しかけたが、やはり黒羽さんは黒羽さんだった。天狗だからという以前に、彼はこういういい加減な性格なのだ。お嫁さんをもらうのは当分は無理だな。 「それで、蒼羽くんは、田んぼでなにをやってたんですか?」  結果的に、ミステリーサークルを作っていたのは蒼羽くんだということはわかったが、それが目的とは思えない。なにやら気合いをためて飛び上がったのは、どういう意味があったのか。  僕の質問に、黒羽さんはなぜか黙り込んだ。注文された二杯目のグラスビールを彼の前に置くと、気まずそうにそれに口をつける。 「それは……」 「おそらく飛行訓練をしていたのでしょう」  カウンターの中から、白銀さんが代わりに答えた。 「飛行訓練?」 「あのミステリーサークルは、蒼羽くんが飛ぼうとして妖力を放出した結果出来たものです。彼は妖力の扱い方があまり上手くないらしい」 「そうだったんですか?」  思わず黒羽さんを見ると、彼は困った顔で頷いた。 「ああ、そうだ。あいつは未だに空が飛べない」 「飛べない天狗……?」  天狗というのは生まれながらに飛べるものだと思っていた。そのための大きな翼ではないのか。  けれど、その話が本当なら、昨夜の蒼羽くんの態度にも納得がいく。飛び上がったのに墜落して、それを僕に見られて怒っていた。あれはもしかすると、秘密の特訓だったのかもしれない。 「蒼羽は生まれたときから現世(うつしよ)にいて、人にまぎれて生きてきたんだ。空を飛ぶ必要はなく、むしろ正体を隠すには飛ばないほうが良かった。それに今の時代、あやかし同士も平和なもんだろう。昔みたいに、天狗が空を飛んで縄張りを主張することもない。蒼羽に限らず、現世の天狗はみんな翼を使う機会が減っている」 「でも、飛ぼうと思えば飛べるんでしょう? 立派な翼があるんだから」 「いくら天狗族でも、飛び方を知らなきゃ空は飛べない。どんな鳥だって、雛鳥のうちに飛行訓練をするだろう」  確かにそうだ。野生の生物だって本能だけでは生きられない。生きるために必要な術を、親に教わって身につける。 「蒼羽も親から教わっているはずなんだが、それでも飛べないってことだ」 「じゃあ、黒羽さんがもっと教えてあげればいいじゃないですか。最初に会ったときに飛んでましたよね?」  あのとき黒羽さんに追いかけられたのは嫌な思い出だ。後に、冗談だと彼は笑っていたが、獰猛(どうもう)さを感じる金色の瞳は今も目に焼き付いている。  昨夜の蒼羽くんも、最初は本気で僕に襲い掛かったように見えた。たぶん、そういう血の気の多さはあやかし、特に天狗族の特徴なのではないだろうか。
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