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「これ、プライベートのケータイ番号」
「……ありがとう」
名刺に書かれた『(株)小関商店店長』の肩書が眩しい。
しかし、受け取りはしたが、たぶん僕から連絡することはない。小関にとっても社交辞令でしかないだろうし。
そう思ったのだが、違ったようだった。
「ちょうど今度の土曜日に中学のときの友達と飲み会やるんだけど、伊ノ森も来いよ」
などと、さっそく具体的に誘ってくれる。僕は困った。
「でも、昔のクラスメイトのことはほとんど覚えてないんだ。僕が参加すると迷惑だろうから遠慮しておくよ」
「迷惑なんてことないから。クラスとかあんまり関係なく、いつも結構な大人数になるんだよ。同じ中学どころか、友達の友達とか、そんなやつが来ることもあるし」
「でも、僕はいいよ」
「あ、こっちまで出て来るのが面倒だったら、俺が車で迎えに来るけど」
熱心に誘ってくれる小関に、僕はだんだんイラッとしてきた。
本当に遠慮もあるが、それ以上にそういった賑やかな場が苦手なのだ。アルコールも好きではないし、飲み会なんて大学時代にもほとんど参加したことがない。ましてや知らない人間ばかりだなんて、気疲れするのがわかりきっている。
「何時頃なら都合いい?」
「ごめん、本当にいいから! そういう飲み会とか苦手なんだ。悪いけど気が進まない」
はっきり断ると、小関は少し驚いたように口をつぐんだ。
僕が断るとは思っていなかったのか、急にその表情から笑顔が消える。
「おまえって、昔から他のやつらとつるむこともなく一人だっただろ? つまらなくないか? もっと外に出て、友達作ったほうがいいぞ」
これには、正直カチンときてしまった。
社交的な人間は、みんなが自分と同じような感覚だと思っているのだろうか。誰とでも仲良く、ざっくばらんに付き合うことが正しいって。
世の中には、人づきあいが苦手な人間や、一人が好きな人間もいるなんて、きっと考えもしないのだ。
「余計なお世話なんだけど」
思いがけず、自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。
「小関には関係ないだろ? 僕には僕の都合がある。はっきり言って、昔から一方的に引っ張り回されて迷惑だったんだ」
そんな自覚はなかったが、僕はものすごく腹が立っていたらしい。まさか自分がここまで言うとは思ってもみなかった。
小関は唖然としたように口を開けて、それから明らかに憤りを顔に滲ませた。
「迷惑って、そういう言い方はないだろ? おまえがぼっちだから、俺が遊びに誘ってやってたんじゃないか!」
「だから、それが迷惑だって言ってるんだ。僕はぼっちでもまったく困ってないんだから、放っておいてくれない?」
十年前は不満があっても一言も口にしなかった。僕がこんなことを考えているなんて、そしてそれを口に出すなんて、小関には思いも寄らないことだったに違いない。
彼はもう反論はせず、むすっと押し黙って目を伏せた。
「……ああ、そうか。わかったよ。……じゃあ、お邪魔しました」
めずらしく覇気のない声で言い、小関が帰って行く。
玄関の扉が閉まると、僕はほっとしながらも今になって心臓がドキドキしてきた。
僕でもあんなふうにキレたりするんだな。知らなかった。言いたいことをはっきり言ったのは、もしかすると人生で初めてかもしれない。
スッとした反面、気持ちが高揚した反動なのか今度は激しく落ち込んだ。
小関は押しつけがましいが、悪気があったわけではないのだと思う。ならば、もう少し大人な断り方をすれば良かったんじゃないのか。
今までの僕なら、他人の不愉快な言葉も我慢して聞き流し、事を荒立てたりはしなかったはずなのに。
でも、これでもう小関が誘ってくることはないだろう。気まずくはなるけれど、毎日顔を合わせるわけでもないんだし、気にする必要はない。
言ってしまったことは元には戻らないのだ。今更考えても仕方がない。僕は自分にそう言い聞かせた。
けれど、頭ではわかってはいても、そういうことをいつまでもうじうじと考えてしまうのが、僕という人間なのだった。
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