3 無花果(いちじく)渦巻くミステリーサークル

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 落ち込んだ気分を引きずったまま、それでも特に失敗もなく働けたということは、『夜迷亭』での仕事にもだいぶ慣れたということだろうか。僕のテンションはいつも低めなので、白銀さんも風斗先輩もそれに気づいた様子はなかった。  土曜日の夜、『夜迷亭』の定休日。最近では休日もだいたい夜型の生活をしている僕は、午後十時頃にふらりと家を出た。  向かった先は小関家の田んぼだ。  ミステリーサークルの噂は蒼羽くんの耳にも入っているだろうか。そのせいで特訓を休んでいるかもしれないが、気になったので足を向けてみた。  このところ、夜も少し蒸し暑く感じられる。都会と違って緑が多く、風が通る天星町の夏は、実家にいた頃よりも過ごしやすい。  満天の星空の下、畦道を歩いていくと、暗闇の中で小関家の田んぼだけ時折ピカピカと光っている。ということは、今夜も蒼羽くんは飛行練習に励んでいるのだ。  例の噂は知らないのだろうか。  いくらあやかしの姿が見えなくても、これだけ光っていれば普通の人でもなにかしら感じると思うんだけど。きっと、昔はこういう不可思議な現象が、怪談や妖怪話になったんだろうな。  田んぼの真ん中が強く光り、翼を広げた蒼羽くんが飛び上がる。落下する。光が消える。ふたたび光る。飛ぶ。落下する……それが延々と繰り返されている。  ひたむきに同じ練習を繰り返す蒼羽くんを、僕はしばらく雑草の陰から見守っていた。  彼はいろいろと不器用なんだろうな。  飛び方も、生き方も。  彼に輪をかけて不器用な僕には、アドバイスできることなどない。いっそ諦めてしまえば楽なのにと思う。  けれど、そうしない蒼羽くんを尊敬もしている。 「はぁ……」  さすがに疲れたのか、蒼羽くんは大きく溜め息をついて、地面にどさりと座り込んだ。  翼が消え、肩を落としたその姿が痛々しくて、僕はつい草むらから立ち上がる。その音で気づいたのか、蒼羽くんがこちらに顔を向けた。 「こんばんは、蒼羽くん」 「あんた……あのときの、ただの人間か」 「ただの人間の伊ノ森恭也だよ。良かったら、これどうぞ」  僕は手にしていた袋からミネラルウォーターのボトルを取り出し、蒼羽くんに手渡した。彼はなにか不気味なものを見るような目でペットボトルを見ている。 「変なものは入ってないよ。買ったばかりでキャップも開いてないから安心して。練習して喉が渇いたんじゃない?」  蒼羽くんはようやく信じる気になったのかキャップを開けた。 「……どうも」  ぶっきらぼうだが、ちゃんと礼を言うあたり律儀である。  蒼羽くんは一気に半分ほど水を飲みほしてから、一息ついた。あれだけ運動すれば汗だくになるし喉も乾く。ずっと見ていただけの僕でさえ、じっとりと肌が汗ばんでいた。  蒼羽くんから少し離れて座ると、僕ももう一本のペットボトルを開けて口をつけた。 「あんたって、見た目は軟弱そうなのに妙なやつだな。このあいだ俺に殺されそうになったのに、怖くないのか?」  意外にも、蒼羽くんのほうから僕に話しかけたきた。  薄々感じてはいたが、やっぱりそうなのか。本気で抹殺しに来てたのか……。  花ちゃんといい、どうして君らはみんなそう短絡的なんだ。そして僕は軟弱そうか。ほっといてくれ。 「そうはっきり言われると怖くはあるけど。黒羽さんにも最初似たようなことをされたから、はからずも天狗の気性には慣れたというか」 「兄貴が?」  迫力で言ったら黒羽さんのほうが格上だしな。ということは、蒼羽くんを傷つけそうなので黙っておこう。  それと、白銀さんの守護はやはり偉大だ。蒼羽くんが気になっていたことは本当だけど、数珠がなければここに来る勇気は出なかった。 「君や黒羽さんのせいで天狗って血の気が多いイメージなんだけど、学校生活はそれで大丈夫なの?」 「俺なんておとなしいほうだ。最近は人間のほうがキレやすいからな」 「あやかしに言われるなんて、世も末だな」  ふと、先日の小関との一件を思い出す。キレやすい若者とかよく聞くけど、僕もその一人なのだろうか。気をつけよう。
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