第12章 自由

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別にお愛想とか社交辞令とかではなく。外の世界に知り合いというか味方が存在してるって事実だけでも、今までよりはだいぶましなんじゃないだろうか。 本気でもう限界、無理って彼女がこの先思わないって保証はない。そういうときに逃げ場があるときっと精神的に全然違うと思う。 彼女はわたしの意図を汲んでくれたようで、そこでふわっと花が咲いたように心からの笑顔を見せた。 「うん。…ありがと。柚季ちゃんがこの村の外で元気に暮らしてて、いつでもわたしのこと助けてくれるんだって思ったら。そりゃすごく心強いと思うわ、本当よ。…でも、そのためには。まずはあなたを無事にここから逃してあげないとね。じゃあ、バッグと上着、あとスマホ。忘れ物はない?…そしたら、こっちよ」 きっぱりと立ち上がり、わたしについてくるよう促した。 「兄たちに気づかれないよう、そっと裏から出ましょう。今ならまだわたしたち、この部屋に入ってからそれほど時間経ってないから。しばらく様子見にも来ないと思うわ。…いらっしゃい、柚季ちゃん。わたしが責任もって案内してあげる」 夜祭家を出る前にまずわたしがしたことは、結局双子のごり押しに根負けして常に首周りに装着する習慣になってたあのパールのチョーカーを外すことだった。 それをどうしようか、と迷ったけど。水底さんに見張ってもらってる間にそっと洗面所に隠すように置いてきた。多分金額的にはそれなりに高価なものだし、彼らからの贈り物はひとつも持って行きたくなかったから。 見送りは屋敷の出口までで大丈夫、と固辞したが。水底さんはバス停まで付き添うと言って聞かなかった。 「途中で何があるかわからないでしょ。人目が少ない道だって言っても誰かとばったり出くわすかもしれないし…。その場合、柚季ちゃんを薮とか木の陰に引っ込めておいてわたしが相手の気を引けば、その隙に逃してあげられると考えたら。二人いるに越したことないと思う。どんな手助けが必要になるかわからないんだし」 屋敷での兄たちの動きもちょっと心配ではあるけど。あの人たち、柚季ちゃんを呼ぶときは屋敷の中でもまずLINEでだし、わたしの部屋までやってきてドアを直に叩くことはこれまでなかったから。家に残っててもあまりできることないもんね、と言ってずんずんわたしの前を歩いていく。 これまで野外にいる彼女を見た覚えはほとんどなかったが。どうやらわたしよりもずっと山を突っ切る道なき道に通じてる、ってことは程なくわかった。 「…見た目によらない。案外野生児じゃないですか、水底さん」 情けなくも息を切らせてぜいぜいいって、ようやく後をついていくわたしを見返ってあら、と初めて気づいたように足取りを緩める水底さん。 「ごめんなさい、生まれついての山育ちなものだから。…お屋敷の奥に引っ込むようになったのは割とつい最近なのよ。物心ついた頃から野山を駆け回って育ったの、こう見えても。この裏山で知らない場所なんてわたしにはほとんどないんだから」 ちょっと得意げに胸を張る様子が可愛らしい。わたしは素直に深々と頭を垂れてみせた。 「…お見それ。しました」 「でも、最近になって着物をやめてたのは本当にラッキーだったわ。いくら体力と運動能力があっても、さすがにあの格好じゃお手上げよね。こういうとこ。…あ、木の根がそこ、ごつごつに張り出してるから。足許気をつけてね、柚季ちゃん」 「…はい」 大人しくその注意に従う。ここではどう考えても彼女の方に主導権ありだ。 おかげでわたしがあれこれ検討して割り出した近道よりももっとストレートカットして、バス停のある場所に辿り着けた。もちろん途中でわたしの隠しておいた手荷物も無事回収して。 バスが来るまでの時間、なるべく村人の目にとまらないよう木の陰に二人して引っ込んで待つ。 「…寂しくなるわね。なんて、言ったら駄目か。ちゃんと明るく元気に送り出してあげないと」 ふとぽつりと呟いてから、我に返った様子で笑みを浮かべて声を弾ませる。わたしは静かに首を横に振った。 「…無理しなくて。いいですよ…」 彼女をこの村にひとり置いて去る。 本当にそれでいいのか?と、山道を歩きながら何度も胸の内で反芻した。やっぱりわたしもこの村にとどまるのが正解なのかも。 どのみち水底さんだけじゃ、新しい血を引いた子どもを充分な数だけ村に増やすことも、性技の指南を若い子全員に直に施し続けるのも。圧倒的に人手が足りない。後者は綺羅みたいなセックス大好きな子に分担することができるけど、前半はやっぱり彼女一人だけで背負うには無理がある。 「…わたしがこうやって逃げたとしても。結局、いつか誰かがお兄さんたちの子を産まなきゃいけないこと自体は変わらないんですよね。そしたら、わたしの代わりに誰かがまた将来ここに呼び込まれて。同じ思いをする羽目になる。…わたしのせいでその人が追い詰められて、今度こそ逃げられなくて。心と身体を壊して…。ただ犠牲者が再生産されるだけなのかも。わたしがちゃんと我慢できれば。そんなことには」
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