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「ねぇ、りゅうちゃん」
誰も居ない教会。祭壇の前で。
仕事中だけど、私は彼の名を呼び手を握る。
彼は少し困ったように、でも優しく笑った。
「何だい、エリー」
「あのね。お願いがあるの」
「何かな」
「お菓子の作り方。教えて」
「どうしたの急に」
恥ずかしかったけど、私は彼に事情を話した。
教会の隣には児童福祉施設があって。
そこの女の子たちと約束してしまった。
「もうすぐバレンタインデーでしょ。みんな、好きな男の子に手作りのお菓子を渡したいって言うから。私が教えてあげるって」
「言っちゃったんだ」
「……しょうがないでしょ。場の雰囲気とかで」
お菓子なんか作ったことないのに。
「エリーは面倒見がいいからなぁ。女の子たちも懐いてる」
「だから、あの子たちの期待を裏切りたくない」
彼は少し考えてた。
断られたらどうしよう。
「僕も教えてあげられないことは無いけど」
「けど?」
「知り合いに、そういうの物凄く得意な人が居るから。僕から頼んでおくよ」
「本当?ありがとう、りゅうちゃん!」
と、喜んでみたものの。
その人、女の人だよね。
りゅうちゃんとどういう関係なんだろ。
翌日。
彼は私をその人のところへ案内してくれた。
住宅街の中にある小さな喫茶店だった。
可愛らしい雰囲気の洋館を改装したお店で。
きっとその人も可愛いんだろうな。
まだ見たこともない人に嫉妬する。
「いらっしゃい」
私たちを出迎えたのは、店の雰囲気とは正反対の、ちょっと悪そうなオジさんだった。
え?どういうこと?
「ごめんね、柳。休みの日に」
「いいって。どうせヒマだし」
この人がお菓子作りを教えてくれるの?
実は凄いパティシエとか?
柳と呼ばれた彼は、私を見て驚いた顔をする。
「おい三浦。こんな金髪美人なんて聞いてねーぞ」
「うん。言ってないから」
「オマエこの子と一緒に暮らしてんだよな」
「うん。一緒に寝てる」
「……羨まし過ぎるだろ!どういうことだよ!こんな美女と毎晩ヤってんの!?」
何だろこの人。
遠慮が無さすぎる。
「柳も知ってるだろ?僕はそういうこと出来ないって」
「あー、そうだった!ってコトは添い寝だけ!?もったいねぇ!」
悪い人では無い、と思う。
「柳。及川は?」
「あぁ。材料の買い出しに行ってる。急な話だったから間に合わなくてな」
そうだよね。昨日の今日だもんね。
「すみません、柳さん。無理言って」
「気にすんなって。三浦には世話んなってるし」
「その、及川さん?って方は、どういう方なんですか?」
「どういうって?」
「見た目とか性格とか」
柳さんは首を捻ってた。
変な質問だよね。
でも先に聞いておきたかった。
対策を考えるためにも。
「見た目な……。まあ良いよな。憎たらしいくらいに。性格は……厳しいな。かなり」
キツめの美人ってことか。
上手く話せるかな。
ちょっと不安。
「大丈夫だよエリー。及川は女性には優しいから」
同性には優しい美人?
それなら大丈夫かな。
店のドアのベルが鳴る。
「お。帰って来たな及川」
緊張しながら振り向いた私の視線の先。
そこには長身のオジさんが居た。
「及川……さん?」
女性じゃなかった。
絵に描いたような紳士って言うか。
顔もスタイルも良くて、清潔感もあって表情も穏やかで。
モテるだろうな。かなり。
「もう来てたのか、三浦。待たせて悪かったな」
「いや、今来たとこ。僕の方こそごめんね。急にお願いしちゃって」
「それは構わないが」
及川さんが私を見る。
「お前の彼女が外国人だとは思わなかった」
まあ私、今は金髪だけど。
顔立ちは日本人だと思う。
「エリーは日本人だよ」
「そうなのか?」
「……はじめまして。今日はよろしくお願いします」
そう言って頭を下げたら、及川さんは何故か頷いてる。
「確かに日本人だな。それも礼儀正しい」
「いい子でしょ」
「人は見た目では分からないものだな」
一応、大人だし。
社会の荒波に揉まれて来たし。
金髪だからって挨拶くらいで感心されるのは心外だった。
「早速だが。今日はガレットの材料を用意した」
「……ガレット」
って、何?
きょとんとしている私に、及川さんは戸惑いを見せた。
「……シスターが作る菓子としては最適だと思ったんだが」
「エリーはまだシスターになったばかりだから。あまり詳しくないんだよ」
「すみません……」
「ガレットはフランスの焼き菓子のことだ。修道院の土産物としても人気がある。今回は生地をワッフルメーカーで焼く。安全で子供にも作りやすい」
シスターらしくて小さな子にも作りやすいものを選んでくれたんだ。
細かいところにも配慮が行き届いてて有難い。
材料は薄力粉、グラニュー糖、卵、マーガリン。
手に入りやすいもので助かる。
料理はあまり得意じゃないし、お菓子作りなんてしたこともない私だけど、及川さんの教え方が上手いから美味しそうに仕上がった。
焼きたてを試食する。
感動するくらい美味しかった。
今まで食べたお菓子の中で一番。
「りゅうちゃん!美味しい!美味しく出来た!」
我ながら子供っぽいなと思いながら笑顔で報告すると、彼も嬉しそうに微笑んでくれた。
及川さんは分かりやすいレシピも用意しててくれて。
帰り際に私に手渡した。
「上手く行くといいな」
「……はい。ありがとうございました!」
私は上機嫌で歩く。
隣を歩く彼と腕を組んで身体を寄せて。
冬だし、私はこの見た目だから外国人だと思われて人前でベタベタしても変な目で見られない。
「嬉しそうだねエリー」
「うん!上手く出来たから!」
「今度、僕にも作ってよ」
「……上手く出来たらね」
まだ少し不安。
本番で失敗したらどうしよう、って。
「大丈夫だよ。エリーなら出来る」
りゅうちゃんは優しいな。
だからついつい甘えちゃう。
彼はどう思ってるんだろ。
ウザがられてたら私、生きて行けない。
看護師をしてた頃は誰にも頼らず生きてたのに。
今は彼がいなきゃ生きられない。
……弱くなってしまった。
本気で人を好きになるって、そういうことなんだ。
◆
約束の日。
施設の女の子3人に加え、彼女たちの友達が3人、教会の厨房にやって来た。
みんな小学五年生。
恋に目覚める頃だよね。
……材料足りるかな。
まあどうにかなるか。
「みんな、好きな子にプレゼントするの?」
そう聞いたら5人は頷いた。
1人だけ反応が無い。
どうしたんだろ。
「凛ちゃんは好きな子いないの」
他の子が彼女の代わりに答えてくれた。
「そっか。じゃあ自分の為に美味しく作ろ」
私が言ったら凛ちゃんは目を丸くする。
「どうしたの?」
「変じゃないですか?好きな子がいないの」
この子、きちんと敬語で話せるんだ。
身体は小さいけど。雰囲気が年齢のわりに大人びてる。
「好きな子がいないのに来たから、怒られると思いました」
「怒らないよ。変じゃないし。私もそうだったから気持ち分かる」
「そうなんですか?」
「そうなの。大人になってやっと好きな人が出来たから」
「じゃあ。私もいつか好きな人が出来ますか?」
「たぶん、ね」
そう言ったら彼女は可愛らしい顔で微笑んだ。
絶対モテてる。この子。
でも鈍いから好意に気づかないタイプ。
既に魔性の女感がある。
末恐ろしい。
「じゃ、作りましょうか」
女の子だけでワイワイするのって久々。
私も子供に戻った気持ちで楽しんだ。
小さな失敗はあったものの、概ね美味しく仕上がった。
……責任は果たした。
お疲れ様、私。
「あの」
帰り際。凛ちゃんが私の前に立った。
「ん?どうしたの?」
「これ。お姉さんにあげます」
そう言って彼女は綺麗にラッピングされたガレットを差し出した。
「お家に持って帰っていいんだよ?」
「お父さんもお母さんも忙しくて。きっと食べてくれないから」
複雑な家庭なのかな。
だから、しっかりし過ぎてる。
「お姉さんが食べてください」
「……うん。ありがとう」
笑顔で受け取ると凛ちゃんは恥ずかしそうにはにかんで頭を下げた。
……可愛い。
やっぱ魔性の女だ。
「終わったかい?」
子供たちが帰ったのを見計らって、りゅうちゃんが顔を出した。
彼は当然のように後片付けを手伝ってくれた。
家のことも率先してやってくれるし。
自立した男性で私も尊敬してる。
凛ちゃんもいい人に巡り会えるといいな。
私みたいに。
◆
後日。
私は1人で及川さんに御礼と報告をしに行った。
「おかげさまで大成功でした。ありがとうございます」
「それは良かった」
「6人のうち2人は告白に成功したらしいです。あ、5人のうち2人か」
「1人はどうした」
「その子だけ好きな子が居なくて。作ったガレットを私に渡して帰りました」
「……そうか」
彼女の作ったガレットは少し焦げてたけど、美味しく戴いた。
「すごく可愛い子だからモテると思うのに。何か妙に大人びてて。きっと同級生が子供に見えるんでしょうね」
「なるほど」
「彼女、及川さんみたいな人がタイプかも」
ふと思って口にすると、及川さんは驚いた様子だった。
「及川さんステキですから」
「……俺は父親より年上だと思うが」
「今度、彼女を連れて来ましょうか?」
「やめてくれ。俺にそういう趣味は無い。子供に好かれても嬉しくない」
「あと5年くらいしたら問題ないです」
「……5年。俺も5つ歳をとる」
「あ。確かに。犯罪には変わりないか」
私とりゅうちゃんもかなり年の差があるけど仲良しだし。
いいと思うんだけど。
「三浦は相変わらずなんだな」
「相変わらず?と言いますと」
「その……男として」
「あぁ、はい。相変わらずです」
「それでいいのか?」
どういう意味だろ。
「お前はまだ若い。結婚とか子供とか。後悔しないか心配だ」
「私は元々そういうの興味なくて。だから丁度いいです」
「ならいいが」
本当はちょっと物足りないけど。
「女の子がみんな女の幸せを求めてるワケじゃないですよ」
「そういうものか?」
「好きな人の傍に居られるなら。そんなのどうでもいいです」
りゅうちゃんに男を求めてしまえば傍に居られなくなる。
だから、このままでいい。
◆
とは言ったものの。
接触は私からが99%の暮らしは少々キツい。
りゅうちゃん本当に私のこと好きなのかな。
かなり不安。
夜。ベッドに横になってそんなこと考えてたら涙が出た。
隣に彼が居るのに。
「……どうしたのエリー」
「……なんでもない」
「何でもなくないよね」
後ろから顔を覗き込まれそうになったから押し返した。
「なんでもないから。本当に」
「変わらないなぁエリーは。強がりの意地っ張り」
「変わらないのはお互い様です」
「不安にさせてる?」
りゅうちゃんは鋭い。
職業柄いろいろな人を見て相談に乗ってるからだと思うけど、いつも見透かされる。
ウソついてもどうせバレるし。
私は正直に話した。
「エリーのこと好きだよ」
「……ならいい」
「僕から触らないのは恥ずかしいから」
「そうなの?」
「ほとんどのオジさんは愛情表現が苦手なんだよ」
そうなんだ。
それなら仕方ない。
「でも。好きだからって縛り付けるのは良くないから。もしエリーに好きな人が出来たら僕は手放すつもり」
「……そんなこと絶対に無い!私はりゅうちゃん以外の男に興味ない!」
振り向いて言ったら、すぐ近くに彼の顔があった。
物凄く恥ずかしくなって慌てて顔を背ける。
彼の手が私の手に重ねられた。
背中に密着する温もり。
こんなふうに触られるの久々だったから。
身体の奥が疼いた。
「ねぇ、瑛莉華」
捨てた名前で呼ばれて。
ますます鼓動が速くなる。
「触るだけでいいなら僕にも――」
「……ダメ!絶対にダメ!」
触れられてしまったら。
【その先】を求めてしまうから。
「りゅうちゃんはそのままでいいから……」
「……うん」
きっと彼は、私が辛くなるから触れなかったんだ。
それが彼の優しさで愛情なんだ。
そう理解した。
◆
「はい、どうぞ」
小さな手を取って小さな包みを載せると、凛ちゃんは少し困ってた。
「バレンタインのお返し。ほら、ホワイトデーだから」
「貰っていいんですか?」
「いいのいいの」
半透明の包み紙の中には可愛らしいマカロン。
もちろん自分で作った。
……と言いたかったけど。
及川さんにお願いして作って貰った。
凛ちゃんにマズいもの食べさせたくないし。
ラッピングは私がしたから、うん。
「……ありがとうございます!」
「ねー、凛ちゃん」
「はい」
「お家が寂しかったら、いつでも来ていいんだからね?」
「え……でも……」
「ここは教会だし。お父さんもお母さんも安心だと思う」
「でも……迷惑じゃ……」
甘えるの下手なんだな彼女。
私も人のこと言えないけど。
「私は、来て欲しいな。凛ちゃんに」
「……いいんですか?」
「いいに決まってるでしょ!」
凛ちゃんは泣きそうだった。
ずっと我慢してたんだね。
こんな小さな身体で。
私は子供が居ないし、これから出来る予定も無いけど。
寂しい思いをしてる子たちの居場所になれたらって。
そう、思った。
【 完 】
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