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いつもの喫茶店に来ていた。
日曜日の朝はいつもこの喫茶店に来てコーヒーを飲み、スマホでニュースやSNSをチェックする。
その日も窓際の席へ座り、顔見知りのウエイトレスと軽く挨拶を交わしてブレンドを頼んだ。
コーヒーが来たので一口すする。
ニュースを見ると、川で溺れかけた子供を助けた男性が話題になっていた。
自分の危険を顧みず、川に飛び込んで助けたという。
「奇特な人がいるものだ」
そう呟いて何気なく窓の外を見た。
日曜日の午前中だけあって、人通りは少ない。
殆どの店がシャッターを下ろした商店街はさびれた町のようだ。
少し遠くから一人の男性が歩いてくるのが見えた。
何となく気になって、こちらに歩いて来るその男性をぼんやり見ていた。
近づいてきて分かったが、歩き方が何となくぎこちなく挙動不審な感じだ。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩くその男性がこちらを向いた時、目が合った。
その男性は明らかにハッとした表情を浮かべた。
嫌な感じがした。
私の事を知っているのだろうか。
私は少し慌ててスマホに目を移し、その男性が何もなかったように通り過ぎる事を願った。
「カランカラン」
喫茶店のドアが開く。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
ウエイトレスの声が聞こえた。
スマホを凝視する視野の左側に通りすぎる誰かの右手が入った。
その誰かは立ち止まり方向転換した。
「あの、すみません」
「え? あ、はい」
私は顔を上げた。
目の前には先ほどの挙動不審な男が立っている。
「ここ、ご一緒して良いですか?」
私は周りを見渡したが、席が埋まっている様子はない。
「あ、いいですよ。丁度帰るところですから」
退散したほうがいいと、心のアラームが鳴った。
スマホをポケットに入れ、立ち上がりかけた時、
「あのっ」
「はい?」
「少しお話ししませんか?」
少し強張った面持ちでその男は言った。
やっぱりそうか、この男は。
ついにこういう時が来たか。
しかし、この男は誰だったろう、思い出せない。
座り直して、私は言った。
「分かりました」
するとその男は安堵したように満面の笑みを浮かべた。
「私は井口と言います」
男は言った。
「はい。斎藤です。ご存じですよね? おっしゃりたい事は沢山あるでしょうね」
「え? ええ、まあ」
「こうなった以上逃げも隠れもしません。どうぞおっしゃって下さい」
「そうですか。でも何から話しましょうか」
「なんなりと」
「では…今、お仕事は何をされているんです?」
「今は、小さな工場で働いています」
「そうですか。お仕事は上手くいっていますか?」
「そこそこ慣れてきています」
「それは良かったですね。具体的にはどんな仕事内容なんです?」
「金属加工の工場で、旋盤を使って鉄を削っています。というか、そう言う事をおっしゃりに来たのではないのでしょう? こちらからお聞きしますが、私とはどういう場面で関係していましたか? 申し訳ありませんが、私は、貴方の…井口さんの事は覚えていないのです」
すると井口はきょとんとした表情をして言った。
「はい? 今が初対面ですけど…」
「え? 初対面て…。ではどなたかに頼まれてきたんですか?」
「あ、あのっ、ちょっと待って下さい。何か勘違いされているようです。私は今初めて斎藤さんにお会いし、それは誰かから頼まれたわけではないです。確かに探していたのではありますが。それは私がお会いしたかったからです」
私は少し混乱した。
「どういう事です? 私の過去とは関係ないのですか? ではなんで私を? 誰かから私の事を聞いたという事ですか?」
「何かご事情があるようですね。先ずハッキリさせておきましょう。斎藤さんの過去は存じ上げませんし、それに関連してお会いしているわけではありません」
その言葉を聞いて、私はふっと肩が軽くなり、力が抜けて軽い眩暈がした。
「そうなんですね。なんか…失礼しました。済みません。ではなんで私に声を掛けたんです?」
「それは…なんというか、お会いしたかった。お会いして話がしたかったんです」
「なんで?」
「ええと…初めて見た時何かピンと来たんです。さっきですけどね、窓越しに。直観的に『この人だ』と思ったんです」
「はぁ」
井口という男が危ない人間に思えてきた。
それを察したのか慌てて井口は言った。
「こんな風に言うと、変な人間だとお思いになるかも知れませんが、私は決して怪しいものではありませんし、気も確かです。ほんとに直観なんです。お話できないか尋ねた時斎藤さんが断ったら退散するつもりでした。信じて下さい」
腑に落ちない話ではあったが、必死に弁明じみた事を言う井口の顔を見ていると、何故か悪い人間ではない気がしてきた。
「そうですか、分かりました。で、何を話します?」
「何から話しましょうか」
「なんなりと」
「あっ」
「あっ」
顔を見合わせ二人で吹き出してしまった。
私は井口が私の過去と関係ない事が分かった安堵感も手伝ってか腹の底から笑ってしまい、涙まで出てきた。井口を見ると井口も涙を流して笑っていたので、それを見てまた笑った。
ひとしきり二人で笑ってから言った。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ。しかし、直感で見ず知らずの人に声を掛けるとか、井口さんて変な方ですよね」
「そうですか? 向こうでそんな風に言われたことはなかったんですけどねぇ」
「向こう? どちらからいらしたんですか?」
「え? ああ、その、少し遠いところからです」
「海外ですか?」
「ええ、まあそんなところです」
「そうなんですね。ここへは仕事でですか?」
「そ、そうですね」
「どういう仕事です? お差支えなければ」
「ああ、物づくりですね。今、最先端の技術を使った転送装置を作ってます」
「転送装置?」
「あ。いや、その、こっちで言うメールみたいなものです」
「ああ、IT系ですね。ITの技術者なんですね」
何かの勧誘ではなさそうだ。
「ええ、まあ。斎藤さんは金属加工されてるんでしたね」
「そうです。私、ちょっと事情があって電気系から機械系に移ったんです。前は電気製品を作ってました。どっちにしてももの作りの仕事は好きですね」
「やっぱりそうですか。やっぱり」
「やっぱりって?」
「たぶんそうじゃないかと思ったんです」
「それも直観ですか」
「ええ、直観です」
「でもIT系の技術者が直観って、どうなんですかね」
また、二人して笑った。
井口と言う一風変わった男との出会いはこんな風にやはり一風変わっていた。
しかし少しずつお互いの話をしていくうちに何となく気が合う感じがしてきた。
趣味や食べ物の好き嫌いもよく似ていた。
その朝はスマホを見るのも忘れて、初対面の男と話し込んでしまった。
時計を見ると十一時になろうしている。
「あ、もうこんな時間か。井口さん、私はそろそろ帰りますよ。暫くこの辺りにいらっしゃるんですよね? またどこかで会うかも知れませんね」
「ええ、はい。この近くのホテルに泊ってますから、きっとまたお会いすると思います。その時は宜しくお願いします」
「はい。ではまた」
面白い男だと思った。
しかし見ず知らずの人間に直感で声を掛けるような男に乗って二時間近くも話し込んでしまうとは、やはり俺も隙の多い人間だな。
そう思って苦笑いした。
翌週の土曜日は定年で退社する社員の送別会が開かれた。
仕事が終わってから社内で酒を飲み、それから何人かでスナックへ繰り出し歌って飲んだ。
帰りの電車で少し眠ったせいか酔いはだいぶ覚めていたが、コーヒーを一杯飲んで帰ろうと、いつもの喫茶店に寄った。
店に入っていつも座る窓側の席を見ると、その席から井口が満面の笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「あれ」
「やあ、齋藤さん。こんばんは」
「来てたんですか」
「ええ、偶然ですね」
本当に偶然なのか? と少し訝しんだが、少々酔ってもいたせいか、そんな事はどうでも良くなった。
「今日は少し飲んじゃってましてね。コーヒー飲んで帰ろうかってとこなんです」
「そうですか」
「井口さんは酒とか飲むの?」
「酒? ですか…。最近は全然飲んでませんね」
「あー、それ、体に悪いですよ、ははは」
「そういうものですか…」
「いや冗談ですよ、ははは」
それからコーヒーを飲み、何かを話した筈なのだが覚えていない。
やはりまだ酒が残っていたようだ。
翌朝は久々の二日酔いだった。
寝ていても具合が悪いので、コーヒーでも飲もうと何とか喫茶店に向かった。
いつもの席でコーヒーを頼む。
ウエイトレスはコーヒーを置きながら
「二日酔いですね」
と言って笑った。
よほど酷い顔をしているのだろう。
「カランカラン」
ドアが開いた。
まさかとは思ったが、ドアに目を向けると、井口が満面の笑みを浮かべて手を上げていた。
当たり前のように私の席に来て向か合わせに座った。
「気分悪いでしょう?」
「最悪です」
「これ、どうぞ」
そう言って何かの錠剤が入っている瓶をよこした。
「それ、一錠飲んでみて下さい。楽になりますよ」
瓶を手に取ってラベルを見たが、模様なのかどこかの国の文字なのか分からないものが書いてある。
「二日酔いの薬ですか?」
「ええ、体の病気なら大体なんにでも効きますよ」
そんなバカなとは思ったが、二日酔いに効くなら飲みたい。
一錠飲んだ。
飲んだ瞬間、体の奥からスーッと爽快感が広がった。
それは腹から始まって胸、顔、頭、下の方は膝を通って足先まで、腕から肘の方にも伝わり指先まで爽快感が伝わった。
「えっ」
二日酔いはすっかりなくなっている。
いつもより調子がいいくらいだ。
「なんですか、この薬。なにこれ?」
「こういうのができるんですよ。ここにはまだないですけど。医学が解放されますから」
「はい?」
「あ、将来的にはです」
「…どういうことですか?」
「人の体がどういうものかもう少しはっきり分かるんです。病気の概念が変わるんです」
「い、井口さんて何者ですか? なんでこんな薬持ってるんです?」
「え…いや、その、そういう研究してる人から分けてもらったんです」
「…」
「あ、斎藤さん、それよりちょっとお聞きしたいことがあるんです」
訳が分からず唖然としているところに畳み掛けるように聞いてきた。
「なんです?」
「どういう生き方が正しい生き方なんでしょうか」
「はい? いきなりですね。生き方ですか? 急に難しい事を言うんですねぇ」
「済みません、私は今、そんな事を少し考えてるんです。どういう生き方が正解なんだろうとか、もっと言えば自分は何のために産まれたんだろうとか…ですね」
「生まれてきた理由なんて分からないでしょう、それ、哲学なんかの永遠の課題なんじゃないですか? 悟りでも拓けば分かるのかも知れないですけど」
「永遠の課題ですか…」
井口は少しがっかりした様子を見せたが、その後、ポツリと言った。
「今も昔も分からないなら確かに永遠の課題なのかもしれませんね」
「えっ?」
「あ、いや、この時代…いや、この社会で生きている人にはそういうものが明確にあるのかなと思ったりしたものですから」
「井口さんだって、今の社会に生きてるじゃないですか」
「え、ええ、そうですけど。あまり社会と接しないものですから」
「象牙の塔に籠っているから…ですか、なるほど。そうですね、今は特にそれが分からなくなってるんじゃないですかね。今は価値観が多様化してるから、みんな、生きるお手本を失ってますね。どう生きるのが正しいのかっていうね。だから今は、金儲けできるかどうかが基準になってるかな」
「そうなんですね」
「ちょっと昔はあったと思いますよ、昭和の前半頃には」
「え、有ったんですか正解が」
「ええ、多分。第二次世界大戦の前まではね。教育勅語ってあったでしょう。天皇陛下が国民に向かって、こういう風に生きなさいっていう基準を出してましたよね」
「そうなんですか?」
「あれ、知りませんか? 教育勅語」
私はスマホで検索し、平易な文章にしてある教育勅語を見せた。
「ああ、なるほど。これはすばらしい」
「でも、戦後、日本の体制が変わって、人はもっと自分の思った通りに自由に生きるべきだっていう価値観に変わったんです」
「そうなんですね」
「井口さんは歴史があまり強くないらしいですね」
私は笑った。
「ええ、お恥ずかしい限りです。で、斎藤さんご自身はどんな生き方が正解だと思います?」
「私ですか? うーん、以前は、人の為になるとか、社会の為に貢献したいとか、そういう気持ちがありましたね。それが人間として正しい生き方だと当然のように思ってました」
「そ、そうですか、やっぱり」
井口は何故か目を輝かせた。
「ええ」
私は笑ったが、少し胸の痛みを覚えていた。
「でも以前は…って、今は違うのですか?」
井口に聞かれ、私は少し沈黙した。
そして言った。
「どうでしょうね。人の為に生きるなんてそんな事できるんでしょうかね。そんなこと考えて頑張ったところで、結局空回りして最後は逆に人に恨まれてしまう事もあるんじゃないかなんてね…考えたりもします」
私は少し自嘲気味に言った。
「なんかあったんですね?」
私には人に言えない過去があった。
私は十年ほど前、中堅電機メーカーで電気製品の設計をしていた
そこで私が開発したのが、家庭で気軽に使える家庭用の医療機器、イオン治療器だった。
これはマットに寝ているだけで体の電気的バランスを整え、様々な体調不良を解消するというもので、これが当たった。
各所で話題となり飛ぶように売れた。
会社はこの事業を独立させ、別会社を作って私を取締役技術部長にした。
その後も売り上げは順調だったが、私は改良を続けた。
イオンだけでなく、物理的にも体を整えようと、そのマットにマッサージローラーを付けた。
それも揉み玉が動くものでなく、圧縮空気で体の筋を伸ばすものだ。
それが製品化され市場に出回ると瞬く間に家庭用治療器の売り上げナンバーワンとなった。
この頃の私には、忙しい現代人の疲れを取るものを作っているという自覚があり、その仕事に誇りを感じていた。
人や社会の役に立つものを作っている。
ところが、一年ほどして、軽い脳卒中で自宅療養していた老人がこれを使用中に亡くなる事故が起きた。
こういった治療器を使用する際、持病などを持っている人は医師に相談が必要である。
それはこの器械が本当に効く事の証明であり、使用上の注意として明記してあった。
しかし、販売代理店の訪問販売員は、自分の売り上げ成績を伸ばす為にむしろ持病で苦しんでいる人に強引に売りつけていたのだ。
そう言った事例が次々と発覚し世間から非難の声を浴びたが、本来それは販売方法の問題だった。
ところが、非難の声は次第に製品そのものへも向けられるようになり、結局、これを作った私も非難の矢面に立たされる事となった。
私の作った製品は正しく使えば間違いなく効果がある。
しかし、販売の手法で製品そのものまでが良くないものとレッテルを張られ、返品の嵐とともに、会社へのクレーム、開発者の私へのクレームが津波のように押し寄せた。
当然、会社は倒産した。
私は被害者(本当は使ってはならない身体なのに使った人達)やその家族への説明会で詐欺師呼ばわれし、罵倒された。
そんな事が一年あり、様々な整理がついたところで逃げるように知らない土地へ移り、今は隠れるようにひっそり暮らしているのだ。
「ええ、いろいろありました」
「話したくない事ですか」
井口はじっとこちらを見てから言った。
「話したくない過去って、みんな抱えていますよね。分かります。では、ちょっと私の話を聞いて下さいますか?」
「ええ」
「実は私の転送装置、何でもどこにでも転送できるものなんです」
「はい?」
「物は何でもいい。それをうんと離れたところに転送できるんです」
「はぁ」
「人もです」
「え? 人も? 冗談ですよね?」
私は苦笑いした。メールで人が送れる訳がない。
それともSFに出てくる転送装置って事か?
「ええ、まあ、将来的にはって事です」
「なんかすごいですね。そこまで進んでるんですか今の技術って。嘘みたいな話だなあ」
「ですから、これができたら、例えばこの…地球? 地球に隕石がぶつかることになっても、移住先の星さえ見つかれば地球人全員を住んでる都市ごとそっちに移すことができるんです」
「それは凄い。でも本当ですか? 本当なら、今、火星に移住する計画立ててロケットなんか作ってますけど、あんなのいらないじゃないですか」
私は井口の言っている事がよく分からなかった。
「今はまだそうです、今は。でもロケットで移住するなら全員の移住は無理ですよね。全員どころか限られたごく少数のエリートだけが生き残るという選択をすることになります」
「まあ、そうなるでしょうね」
「私たちの祖先は遠い昔にそういう選択をして地球にきたようですね」
「えっ? どこからです?」
「火星です」
「それは…、それは都市伝説の類でしょう」
私は呆れ気味に言った。
「いえ、真実です。DNAにその痕跡が見つかったんです」
「DNAって、そんな話聞いたことない」
「今より詳しく解析できるようになりますからね」
いったい何の話をしているんだ。
こいつ大丈夫だろうか。
この井口と言う男は、何かの妄想に取り付かれているようだ。
「井口さん…」
「あ、これ、これはまだ最先端の研究で、トップシークレットなんです。ええ、ええ、まだ仮説でして、その、少し断定的に言い過ぎました。そういう説があると思って下さい」
私が不審に思っているのに気づいたのか、取り繕うように言った。
「そうですか、で、結局どういう話をされたいんです?」
「ええ、転送装置の事です。全員を送り出しても最後の一人はできないんです」
「最後の一人?」
「ええ、そうです。送り手が必要です。誰かが送り出さなきゃならない。その最後の一人は残らなきゃならない」
「なるほど。でも、そんなことができる時代になったら、AIが最後に残ってやってくれるでしょう?」
「それは無理です。AIは危険な存在なので厳重に管理されてます。AIを野放しにすると何をするか分からない。だから、いわゆるコンピュータ自体、一定以上のプログラムはロードできないように作られているんです」
「AIが危険て…。まあそういう未来もあるのかも知れませんけど、そうならないようにしていけばいい」
「そうだったんですけどね。でも、そうなっちゃったと思って下さい。AIは使えず、最後の一人は残らなきゃならない」
「はぁ」
「そういう時、誰が残るべきでしょうか。最後の一人は誰がやるべきでしょうか」
「その一人は脱出できないんですよね?」
「ええ、そこで死ぬことになります」
「世界中から英雄を募るとか? 最後の一人は間違いなく英雄ですから。その名前は人類を救った英雄として永久に語り継がれるでしょう。手を上げる人間は必ずいると思いますよ」
「そうでしょうか」
「え? いますよ」
「そんな英雄を作っていいのでしょうか。そんな英雄を作ったら、それ以降人類はその英雄を犠牲にして生き残った、同じ人類の一人を犠牲にして生き残ったという原罪を背負う事になりませんか?」
「え?」
「私は、最後の一人は皆には伏せられて、そんな犠牲者は誰もいないという事にするのが良いと思います。でないと、生き残った人の中には罪の意識に苛まれる人が出るかも知れません」
「…」
「最後の一人は人知れず犠牲になる。ごく少数の人間しか知らない話であり、やがては誰からも忘れ去られるんです」
「そうなると人選は難しい」
「開発者がやるべきでしょう」
「でも、その頭脳はそれ以降の世界で生かされるべきじゃありませんか?」
「いや、何故それを開発したかという原点に戻って考えると、やはり開発者がその責任として果たすのが筋です。最後の最後までそのことを誰にも知らせずにひっそりと最後の一人になるのが人としての道だと思います。これ、間違っているでしょうか?」
「でも開発者が亡くなった後にそういう事態になったらどうするんです?」
「それは難しいですね。でも幸い開発者は生きています」
「は?」
「あ、いや、生きている場合の話です」
「はぁ…」
「斎藤さん、私はね、なんかそういう運命と言うか元々そういう事の為に産まれてきた人っているんじゃないかと思うんです。いや、みんなそれぞれ決まった役割を持って産まれてきたのかも知れません」
「今度はいきなりスピリチュアルな話ですね」
「ええ。私、この体は魂の乗り物に過ぎない気がしているんです。時空を超えたような何かが実態で、今この時間に存在し、目に見えている人間はそれが乗っているだけの存在だっていう感覚です」
「はぁ、私にはピンときませんが」
「役割を持った魂がそれを果たすために産まれてきた。私はそう確信しています。それを確認したいんです」
井口はだんだん熱を帯び、熱くなってきた。
「井口さんが開発者ですよね?」
「はい、私です」
「そういう覚悟を持っているという事ですか」
「ええ、覚悟と言うか、その為に産まれて来たんだと思います」
「なんか、凄いですね。私にはできない」
「いえ、齋藤さんもきっと私と同じ役割を持って産まれてきてると思います」
「私も? まさか」
「どうして、まさかなんですか?」
「私は…私はもうそんな、誰かの為に犠牲になるなんて考えはありませんから」
「えっ…そ、そうですか…」
井口は本当にがっかりとした表情をし、実際肩をがっくりと落としたように見えた。
やがて両手で顔を覆い、テーブルに伏してしまった。
私は始め、何か申し訳ないような気持ちになったが、いつまでも伏している井口を見ている内にだんだん腹が立ってきた。
私には私の人生がある。何もこの昨日今日会った男の期待に応える必要などない。
私の生き方は私が決めるものだ。私の人生なのだから。
「井口さん」
「はい」
顔を伏せながら井口は答えた。
「私がどうしてそんな風に思っているか、お聞かせしますよ」
私が、誰にも言った事が無い私の暗い過去を、会って間もないこの男、素性もよく分からないこの男に、何故話す気になったのかは分からない。
お手本のような生き様を良しとし、私にもそれを求めるようなこの男に対しての怒りがそうさせたのかも知れない。
私が話し始めると、井口は伏せていた顔を上げ、私をじっと見つめたまま黙って聞いていた。
話が終わると井口は言った。
「そんな過去があったんですね」
「ええ、だから誰かの為に何かしようなんて思っても、そうそう思い通りになんていかないのが人生だって思い知ったんです。人生は皮肉だ。結果がそれまでのプロセスを美しくも汚くもするんです」
私は吐き捨てるように言った。
「よく分かりました」
「そうですか。分かってもらえばいいんです」
「いえ、齋藤さんの事がよく分かりました。やっぱり思った通りでした」
「え?」
井口は何故か笑顔になっていた。
「斎藤さんの中に流れているものは変わっていませんよ。変わるものじゃない」
「はい?」
「斎藤さん、時間のある時にここ」
井口はポケットから手帳とボールペンを出し、何やら書いて、頁を破って私によこした。
「この座標のところに立って、日の出を見て下さい。きっと、今の斎藤さんに必要なものが見つかると思います」
「なんですか、これ?」
「地図の座標です。何かで検索してみて下さい。きっと良い事がある筈です」
「…」
「今のお話、聴かせてもらって良かったです。すごく良かった。有難うございました」
「はぁ」
「これですっきりしました。確信も持てた」
「え、何のですか?」
「斎藤さん、貴方は私、私は貴方です。私達は一つです。私達はこれからもずっとそんな風に生きていくのかも知れない。どこかで何かが変わるのかも知れない。でもこれは乗り物です。乗り物に過ぎないんです。それをお忘れなく。では、私は、そろそろ行く事にします。短い間でしたけれど有難う御座いました」
「ちょ、ちょっと、何を言っているのか、さっぱり…」
「あの座標、行ってみて下さいね」
そう言うと、井口は立ち上がり私に一礼して喫茶店を出て行ってしまった。
なんなんだ、あいつは。
何を言ってる?
私は訳の分からなさに唖然とするしかなかった。
それ以来井口には会わなかった。
最初は気にもなったが、日常に追われる毎日を送っている内に、思い出さなくなっていった。
私は相変わらず世間から隠れるようにひっそりと暮らしていた。
井口を最後に見てから二か月も過ぎた頃、喫茶店の会計をしようとして財布を出すと、財布の横のポケットに何やら紙が入っているのに気付いた。
出してみると、井口が座標を書いてよこした紙切れだった。
ああ、これか。
一応場所だけは確認しようと思い、スマホに座標を入れてみた。
そこはここからさほど遠くないところにある神社の境内だった。
ここなら、多少早起きして散歩がてら行ってもいいかなと私は思った。
来週は特にやる事もないし、井口があんなに言っていたのだから、コーヒーの前にでも行ってみるか。
そう思った。
翌週の日曜日、早起きした私は夜明け前に家を出た。
神社までは徒歩で二十分程度だ。
その日の日の出時間を確認し、神社へ向かった。
井口という少し変わった男から受け取った何かよく分からない座標を目指して歩いている自分を少し不思議に思う。
私はいったい何をやっているんだろう?
だが、何となく言われた通り行ってみる気になっている自分がいる。
私はよほど暇なんだな。
苦笑いしながら歩いて神社に到着した。
鳥居をくぐり境内へ進んだ。
スマホで座標を確認する。
ここだ。
石で地面にバツ印を付けた。
さあ、後は朝日が昇ってくるのを待つだけだ。
周りは住宅だらけで地平線から昇る朝日は見る事が出来ない。
空はだんだんと明るさを増している。
時計を見ると、そろそろ日の出の時間だ。
バツ印に立ち、明るくなってきた方向を見ていた。
ビルの隙間から強い日差しが見えた。
と、その瞬間、チカチカする白い光に包まれた。
「えっ?」
キーンと言う耳鳴りがする。
「なんだ?」
周りを見渡すと、三百六十度チカチカと光る明るい光に取り囲まれている。
「なんだ? なんなんだ?」
私は訳が分からず、呆然と立ちすくんでいた。
それからどれくらい経ったのだろう、永かったようでもあり一瞬だったようでもある。
いきなり光が消えた。
それと同時にふわっと体が軽くなった気がした。
だが、そんな事より、もっと驚くべき事が目の前で起こっていた。
そこは先ほどまでいた神社ではなかったのだ。
目の前にはテレビで見た事のある、砲撃を受けて破壊されたようなビルがあった。
「何? え?」
何が何だか分からない。
「え? どういう事?」
その時
「危ない」
という声が聞こえたかと思うと、私の体は強い風に吹き飛ばされて宙に浮き、そのまま気を失った。
気が付くと私はどこかの部屋に寝かされていた。
上半身だけ起き上がると、少し眩暈がした。
「気が付いたようだな」
誰かの声がしたが、少し変な感じだ。
頭の中に聞こえてくる。
振り返って見ると、そこには正に、戦隊モノに出てくる地球防衛軍といった服を着た中年の男が立っていた。
「どこか痛むか」
「いいえ」
と言った私はまだ驚いた。
私は「いいえ」と言っているのに、その声は聞いたこともないような音になって口から出ていた。
「何があったか覚えてるか?」
よく聞くと、相手の口からは日本語が発せられているわけではなさそうだ。
それが私の頭の中では日本語として聞こえている。
「いいえ」
私は首を振った。
「お前のすぐ近くに隕石が落ちた。お前はその爆風で飛ばされたんだ。それで怪我一つしてないなんて、よほど運がいい」
「隕石?」
「あの辺りは今、第一種危険地帯だ。知らなかったのか?」
「危険地帯? 知りませんでした」
「そうか、それにしてもまだこの辺りに民間人が残っているとはな。動けるならシェルターへ連れて行く」
私は訳が分からなかった。
いったい何が起こっている?
ここはどこだ。
「あの、ここはどこなんです?」
「ここは病院だ。もっとも医者はとっくに避難して我々軍人しか残ってはいないがな。さ、行くぞ。ぐずぐずしてる暇はない。ここもいつやられるか分からんからな」
これは夢なのか?
私は取り敢えずベッドから降りたが何かふわふわと浮いたような感じがしてうまく歩けない。
「大丈夫か?」
「多分…」
何が何だか分からないうちに、私は変わった乗り物に乗せられ、荒廃した都市の中を進んでいった。
そこは正に廃墟群だった。
これを見るに、かつては相当な繁栄を誇った都市であった事が分かる。
崩れてしまってはいるが、かつては超高層ビルであったろうと思われる建造物が連なっている。
町の風景も、私が知っている東京やニューヨークなどの都市より数段未来的な様子がうかがえる。
それが見るも無残に崩れ、瓦礫となっていた。
途中、地下道の入り口のようなところから地下に入り、更に進んだ。
地下道はそこそこ整備されており、照明も点いていて明るく、出来立てのトンネルといった感じがした。
地下に入って十分も走ったところにゲートがあった。
ゲートの奥には道沿いにいくつものドアが見える。
「さ、降りろ。ここなら安全だ」
車から降りると、ゲートの横にある部屋から、軍人と思われる男が一人出てきた。
若い男だ。
「避難者ですか?」
「ああ、アロイ地区に一人残ってた。幸い怪我はしてない。後は頼む」
「了解」
私を連れてきた男は今来た道を一人戻っていった。
「名前は何と言いますか?」
「齋藤です」
「シャイト?」
「斎藤です」
「シャイト。シャイトさんは何故アロイ地区なんかにいたのです?」
「はあ、それは…分かりません」
「分からない?」
「何が何だか分かりません。なんで私はこんなところにいるのですか? ここはどこですか?」
私は、取り乱した。
「医官殿、来て下さい」
その若い男は無線機のようなもので医官を呼んだ。
やがて白い服を着た初老の男がやってきた。
「このシャイトさんは、記憶を無くしているようです」
「記憶を? 君は、シャイト君は何も覚えていないのかね?」
覚えているとか忘れたとかそういう事じゃない。
私はもどかしかったがどう説明して良いのか分からない。
「分からないんです。なんでここにいるのか。済みません、ここはどこなんです?」
「うーん。分かった。彼は私が預かる」
医官と呼ばれた男は若い男にそう言った。
それから私は医官という初老の男に連れられ、そこから暫く歩き、奥の方の、ある部屋へ入った。
「シャイト君。先ずそこへ座りなさい」
私はそこに有った椅子に腰かけた。
「君は自分の名は覚えているんだね」
「はい。私は記憶が無いわけじゃないんです。なんでここにいるのかが分からないんです」
「そうかそうか。分かった。先ず落ち着きなさい。君はアロイ地区にいたらしいが、なぜそこにいたかは覚えていない?」
「覚えていないんじゃなくて、分からないんです」
「そうか、分かった」
私は完全に記憶喪失という扱いにされている。
だが、どう説明したらいいのか分からない。
「いいかい、今、この星にはあちこちに大量の隕石が降り注いでいる。そう、八年ほど前からね。この星の外側を公転していた惑星が何らかの原因でバラバラになり、そのバラバラになった岩石が、その惑星がかつて回っていた軌道上を回っているんだ。そいつがこの星の引力に引かれて落ちてきている。そのお陰で、各地で大きな災害が起こり、何とか生き残っている人達がこうして地下で生き延びている。君もその一人の筈だ。どうだ? ここ迄聞いて何か思いださないかね?」
「いいえ」
「そうか…。その惑星が無くなったせいでこの星の公転軌道も変わり、この星自体のバランスが崩れている。栄華を誇った我々の文明も終わりに向かっているかも知れんのだよ」
「そうなんですか」
「ああ。隕石の方は二十年もすればおさまるだろうが、そこからが本当の生き残りだ。おそらく地表はだんだんと住めない土地になる」
「え?」
「天候が変わってしまう。地表には水が存在できなくなる。それでは生命は生きられん。そうなる前に、急いで地下に活路を見出さなければならん。そういう計画が進んでいる。その為の準備が着々と進められている。どうだ、聞いたことはないか? そんな話を」
「ありません」
「そうか…」
医官は少し考えてから言った。
「やはり、ゆっくり思い出してもらうしかないな。今、我々の置かれている状況は話したとおりだ。それを知識にして暫くこのまま暮らしてみなさい」
ここで、こんな危険なところで暮らせと言うのか?
いったい何がどうなっているんだ。
「あの、ここはどこなんです? ここは地球ですよね?」
私は、訳の分からない事を言った。
今はもう、そこから確認しなければならない気になっていた。
「うん? 何故そんな事を聞く? 何か記憶があるのかね? 地球という惑星に」
医官は驚いた目で、私を見た。
「え? 私は地球人ですから…」
すると医官は興味深々という顔をし
「シャイト君、君は地球に関する本を読んだ記憶があるかね?」
「はい?」
「いや、君の、地球人であるという記憶がどこで作られたのかと思ってね」
「実際そうですから」
「そうかそうか、分かった。いいかい、これもこれから生きていく上での知識として持っておきなさい。いいかい、ここは火星だ。火星だからね。地球は隣の惑星で、いくつか生命体の存在は確認されているが、文明と呼べるものはない未開の惑星だ」
「はい?」
もう限界だった。
私の疑問は沸点に達し、混乱と困惑は私の限界を超えた。
私は気を失った。
気が付くと、目の前に複数の子供たちがいた。
「おじさんが起きた」
「先生、おじさんが起きたよー」
叫んでいる。
私は上半身を起こした。
見渡すと、子供たちが大勢いる。
保育園か幼稚園のように見えた。
私は、床に敷かれたマットの上に寝かされていた。
普段は幼児が昼寝する部屋なのかも知れない。
「気が付きましたか」
ドアの無い入り口から男性が入って来た。
「あ、はい」
「シャイトさんですよね。シャイトさんは、さっきミオリ先生の部屋から送られてきたんです。事情は聞きました。大変でしたね。暫くここで子供たちの世話をして働いて下さい。そういうミオリ先生の話でした」
ミオリ先生とはあの医官の事か。
「私はここの施設長をしているタミュラです。ここには災害で親を亡くした子供たちが住んでいます。」
「そうですか」
もう、この物語に乗っかるしかないと、私は腹を決めた。
そうでもしないと頭が持たない。
「私は何をすればいいですか?」
「まだ、休んでいて下さい。今ミオリ先生に連絡します。ミオリ先生に一度診察してもらいますので」
「そう言うと、タミュラは出て行った。
ミオリの診察を受け、ここで働きながら回復を待つという事になった。
ここなら先ほどのように気を失っても近くにミオリの診療所があるという事らしい。
「私は電気の事なら少し分かります」
ミオリの診察を受けた時、私は言った。
正直、子供の世話は苦手だった。
「ああ、それは覚えているのかね。ではこの施設の設備を担当しているキャトウ君の手伝いでもしてもらおうか」
ミオリがそう言い、私はこの施設で設備担当の補佐として働く事となった。
翌日、タミュラに連れられ、設備担当のキャトウのところへ連れていかれた。
キャトウはこの施設の電気、水道、ガスを含め、設備全般を管理しているという。
施設の裏手に一棟の建物があった。
タミュラがドアをノックする。
「キャトウさん、タミュラです。いますか?」
「はーい」
中から声がし、ドアが開いた。
中から一人の男が出てきた。
その男と目が合った瞬間、私は思わず息をのんだ
…私だ。この男は私だ。
何だろうこの感覚は。
とにかくこの男が私である事は間違いないと確信した。
「キャトウさん、この方はシャイトさんと言って、今日からキャトウさんの手伝いをしてくれます。上で事故に会ってしまって記憶を無くされていて、ここで働きながら治療を受ける事になりましたから。でも、電気系の事は記憶があるそうですから、電気周りなんかは強い助っ人になると思いますよ」
「そりゃあ、助かる。キャトウです、宜しく」
キャトウは人の好さそうな目をしてこちらを向き握手を求めてきた。
「よ、宜しくお願いします」
自分と握手するという不思議な体験をした。
「電気は強いんですね?」
「ええ、まあ」
「んじゃ、さっそくであれなんだけど、あの通信機みてもらえないですか」
そう言って部屋の中を指さした。
部屋に入って見ると、キャトウが指さした棚に電子レンジほどの大きさの機械が置いてあった。
「見てみたんだけど、回路図もないし、よく分からんのですよ」
私はその機械に近づき、ケースを開け中を見てみた。
部品はどれも見たことがない。
だが、形状は違っても中身は私の知っているものと同じ筈だ。
コンデンサ、抵抗、トランスなどは直ぐ分かった。
「ああ、じゃ、少し見させてください」
私は言った。
「じゃ、キャトウさん、後は宜しく。シャイトさんでは、また」
そう言ってタミュラは戻って言った。
「どう? 分かります?」
「ええ、だいたい。テスターとかありますか?」
「そこの棚にいろいろあるからどれでも使ってやってみて下さい。俺はこっちを仕上げるから」
キャトウはそう言って、洗濯機のようなものをいじり始めた。
私は目の前にいる人間に私自身を感じながらも、その事を口にするわけにもいかず、取り敢えずその通信機を見る事にした。
棚を見るとテスターらしきものやオシロスコープと思われるものがあり、それ以外も形は違うがおおよそ以前使っていた測定器だと思われるものが置いてある。
私はそのいくつかを取り出し、通信機についてある部品がなんである確認し、その特性などを調べていった。
小一時間もするとこの世界、火星で使われている電気部品と地球で使われている部品が概ね一対一に対応していて、通信機の回路構成も同じであることが分かった。
電気を使っていれば誰がやってもこういう事になるだろうと予想していた。
だから、見知らぬ世界でも電気の事なら分かると言ったのだ。
地球での部品がこっちではどれになるのかさえ分かれば後は簡単だった。
回路の各所を測定して行くと、数か所、信号のないところ、すなわち故障個所を見つけた。
「キャトウさん、電気の部品ってどこかにありますか?」
キャトウは顔をあげると
「隣の小屋に壊れたものがいろいろ置いてあるから見てみて」
私は小屋へ行き、ジャンクの山から壊れた部品の代用になるものを調達した。
それらを交換し断線個所を繋ぎ、二時間ほどで通信機を修復した。
電源を入れてみる。
「これアンテナ線。上に繋がってるから」
洗濯機を仕上げたキャトウも近くにいて、天井からぶら下がっていたケーブルを渡してくれた。
それを繋ぎ、ダイヤルを回していくと通信機特有の雑音と共にうねるような高い音が聞こえた。
ザッザッと入る雑音のところに周波数を合わせ、微調整していく。
「…解です。すぐに取り掛かります」
「二〇三、宜しくです。三〇五、聞こえますか? そっちの状況はどうですか?」
誰かの通信が聞こえた。
「やった、すげぇ」
キャトウが声を上げた。
「いや、まだ受信だけです」
私はマイクをオンにして言った。
「こちら通信機の送信テスト中、どなたか聞こえますか? こちら通信機の送信テスト中、どなたか聞えますか?」
すると暫く間があって
「聞こえます。どちら様?」
キャトウは「やった」という顔でマイクを取ると
「こちら第二十三避難所です。避難所の養育施設です」
「民間のですか? 民間の施設ですか?」
「はいそうです。民間の施設です」
「民間の施設に無線機があるんですか?」
「捨ててあったものを治しました」
「貴方が治したのですか?」
「いえ、治したのは同僚です。同僚のシャイトです」
「シャイトさん…。シャイトさんはそこにいますか?」
「はい。います」
そう言ってマイクを私によこした。
「シャイトです」
「シャイトさん、貴方は技術者ですか?」
「ええ、まぁ」
「分かりました。二十三避難所ですね?」
「そうでーす」
キャトウが横から叫んだ。
「なんかマズかったかも知れませんね」
通信が終ってから私は言った。
「えっ、なんでです?」
「軍でしょう? 今の。なんか秘密の作戦を傍受されたっていう反応でしたね」
「秘密の作戦? ははは。そんなのがあったらいいですよ。軍は我々の事をどうやって助けようか考えてくれていますからね。何かいい作戦があればいい」
私は少し驚いた。
軍を信じ切っている。
この「私」は少しお人好し過ぎる。
…と思った瞬間、昔の自分を顧みて苦笑した。
考えてみれば私もそんなだった。だから私の作った製品を売る人間は全て善意の人間だと信じ切っていた。
人を信じ過ぎると痛い目に合う。
しかし、このキャトウという男と私はいったいどういう関係なんだろう?
この別世界で私を演じているのがキャトウなのか?
そこに私が紛れ込んでしまったのか?
解決しそうもない疑問を抱えながらキャトウが直した洗濯機を浴室に設置していると、放送が入った。
「養育施設のキャトウさんとシャイトさん、至急入り口守衛所まで来て下さい。繰り返します…」
「え?」
私とキャトウは顔を見合わせた。
おそらく先ほどの無線の件だろうと、私は思った。
やはり何かまずかったのだ。
取り敢えず守衛所に向かうしかない。
その途中でミオリが出てきて何とも言えない表情をした。
「先生、何でしょうね?」
ミオリは答えず、手で、行けという仕草をした。
守衛所には軍服を着た人が二名待っていて、我々は乗り物に乗せられ避難所をでた。
地上にでると、ヘリコプターのようなものが待っており、それに乗せられた。
その間、兵士たちに何を聞いても
「到着したら説明があります」
としか答えなかった。
上空から見ると、地上の荒廃ぶりがよく分かった。
殆ど廃墟と化した地上に人影はなく、時々、軍の部隊が何かをしている姿だけが見えた。
ヘリは落ちてくる隕石の情報を得ながら安全なルートを飛んでいるようだった。
一時間もすると、軍の基地らしき場所に到着した。
車に乗り換え、基地の中、地下深くへと進んでいった。
おそらく惑星が壊れる前からあったのだろうその基地は完全に無傷で、こちらの世界の文明の高さがよく分かるものだった。
一室に通された私たちは、そこで独りずつに分けられ、話を聞かれた。
やはり、あの無線の事だった。
私は、正直に有りのままを答えた。
自分が昨日あの避難所に来たものである事。
あの通信機は元々壊れていて、あの時に初めて作動した事。
壊れていた箇所とどうやって直したかという経緯。
偶然傍受してしまった通信の、内容に関しては全く分からない事、
そして自分は記憶を失っている事も加えた。
キャトウの事だ、きっと正直に有りのままを答えるに違いない。
証言に食い違いが起こる事はないだろう。
聴取が終わると、そこで三十分ほど待たされた。
通信を偶然傍受してしまったが、内容は分からない。
何か罪に問われるような事にはならないだろう。
そんな風に思いながら待っていると、ドアが開いて供を連れた男が入って来た。
前の世界でのコックのような白い服を着ている。
「どうもシャイトさん。私はここで地球入植プロジェクトのマネージャーをしているキキュチです。初めまして」
「地球入植プロジェクト?」
「ええ、貴方は記憶を失っているので、今ここが何故こんな事になっているのかは、ミオリ氏から聞いた程度で実感はないと思いますが、ここ十年くらいの間、我々は文明の存亡をかけた壮絶なサバイバルをしているのです」
「ええ、そうでしょう。隕石は止められない。地上が荒れるのは避けられませんからね」
「いや、問題はそっちじゃないんです。問題は火星の地下深くで起こっている」
「ああ」
「ミオリ氏はそれを詳しくは言わなかった筈です。これは機密事項ですから。実は火星の内核が回転を止めるのです」
「えっ」
「理科系の貴方なら想像がつくと思いますが、内核の回転が止まれば火星の磁力は無くなります。すると宇宙線は容赦なく地上に降り注ぐ事になる。さらにもっと問題なのは、地下マントルがゆっくりとした対流ではなく、一定期間止まったままになる事です。そしてあるタイミングで爆発的に対流を起こす。その時、地殻はボロボロに破壊され火星の生命体は絶滅するでしょう。」
「…」
「この問題に対処するために、我々は科学の粋を集め全力で対応していますが、その一方で、実は二年前から、地球への入植も開始しています」
「え? 地球へ?」
「ええ、地球は、火星から一番近く、我々の調査では現時点で大型の生物もいるようです。重力は若干ここより強いですが、我々が入植できない事はありません。地球にここと同じような文明を築ければ、万が一火星に住めなくなっても地球で文明を存続させる事が出来ます」
「地球で文明を存続…」
「でもこれは極秘裏に進められています。この計画が知られると、社会不安を煽りかねませんからね。自分たちは見捨てられるという解釈をする人もいるでしょう」
「確かに」
「この事を貴方に話したのは、貴方にも地球へ入植してもらうからです」
「え…」
「念のために言っておきますが、これが機密事項である事を考えればこれを聞いた貴方には行く行かないの選択権はありません」
「そんな…。でもどうして私が?」
「それは貴方が技術者だからです。それも現場で使えるようなスキルもあるようだ。基礎研究する科学者は火星に残って核に関する研究をしてもらいますが、物を作れる実戦的技術者には地球に入植してもらいます。」
「私、一人ですか?」
「次の入植者は二百一人です。これまでに二万人が入植し、少しずつ自律的生活の基盤を作っています。地球に独りぼっちなんてことはありませんので安心して下さい。但し、未知の惑星、しかもまだ原始的生命体しかいないので危険が無いわけではありません。大型の生物も確認されていますしね」
「大型…」
「その生物はやがて絶滅すると見られていますが、絶滅はまだ先です」
私は、この世界が別世界ではなく、もしかしたら、別時代なのかも知れないと思い始めた。
原始的惑星の地球。絶滅する大型の生物とくれば恐竜だろう。それがまだ生き残っている時代?
すると私であるキャトウは? この時代のキャトウとは? まさか私の前世?
「そうだ、キャトウさんは?」
「あの方には帰ってもらいました。あの方は技術者ではないので」
「そうですか」
「で、いつなんです、地球へ行くのは」
「五時間後です」
「えっ、そんなにすぐって…」
「元々の計画に貴方が急遽加わったのです」
「…」
私は、二百人の中に混じって、大型の宇宙船に乗りこんだ。
それは飛行機のような形で、私のイメージしていたロケットではなかった。
指定された席に座っていると、軍の人間らしき人が来て、ちょっと操縦席に来てくれという。
何だろうと思いながら行くと、責任者らしき人間が待っていた。
「シャイトさん、機長のコダミャです。貴方にお知らせした方がいいと思い、お呼びしました」
「なんですか?」
「キャトウ氏が亡くなりました」
「え…。亡くなったって、何があったんです?」
「基地から帰還する途中で、軍用機が予測不能な隕石に当たりました。機は不時着したのですが、そこから徒歩で移動中に、隊は第八避難所のゲート前で火災を発見したようです。そう報告がありました。直ぐに消火隊を派遣したのですが、火災が近くのガス管に引火すると第八避難所が火の海になる可能性がありました。キャトウ氏は静止を振り切って火元へ向かい、瓦礫を排除する為にヘリから持ち出していたハンマーで周囲の壁を破壊して消火したとの事です、その際キャトウ氏も瓦礫の下敷きになったそうです」
「そんな…。そうですか。避難所の人達を救うために…。彼らしい。英雄ですね、彼は」
「ええ、そうです。ですがこれは公表されません。隕石に当たって亡くなった事にされます」
「えっ、なんでですか?」
「実際のところ、避難所にはそういう潜在的な危険が沢山あります。それを完全に除去する事はできません。もしそう言う事が明らかになったら、安全だと思って暮らしている人達に不安が広がり不穏な空気が生まれます。それは避けなければならない。今、我々火星人は皆で協力してこの困難を乗り越えなければならないんです」
「…」
「貴方にお知らせしたのは、同僚だった貴方だけには本当の事をお知らせしようと思ったからです。それに貴方にはもう火星との連絡手段はありませんので、機密は守られますから」
なんてことだ。キャトウは、いやこの時代の私は、人知れず多くの人を救い死んでいったのか。
席に戻って考えた。
キャトウは、知らない誰かの為に命を懸けたという事か。
井口もそんなような事を言っていた。
私は?
私もそういう死に方をする事になるのだろうか。
そんな事を考えながら黒い宇宙空間に瞬く満点の星を見ていた。
やがてそれまで火星の陰になっていた太陽が火星の縁から現れ始めた。
強い日差しが差し込んでくる。
眩しいと思った瞬間、周囲が明るい光に包まれた。
「これは…」
あの時と同じだった。
チカチカする明るい光が消えた後、周囲を見渡すと、そこは神社の境内。
私はバツ印の上に立っていた。
見上げると朝日が眩しい。
「え?」
今のは何だったのだろう。夢? いや夢じゃない。
何か…大きな意思を持った何かによって、私は過去の私の生きざまを垣間見せられたという気がした。
私というこの意識はキャトウでもあり井口でもあるのか。
私は時を超えて何度も産まれ、その時の人を救って人知れず消えていく宿命を背負った魂なのだろうか。
別れ際に井口の言ったことが思い出された。
私にもやがてその時が来る。
それを避ける事はできないが、私はまた次の乗り物に乗って現れるのだ。
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