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浅春。懐かしい想い出。
父親の転勤に伴い、春休みに引っ越しをすることになった。
4月からは新しい学校だ。
それまで公にはしていなかったが、終業式前のある日。
担任は私の転校の旨を発表し、ざわついた教室。
想い出にと全員が私の肖像画を描くホームルームの時間。
教卓の横に座らされ、皆の視線を浴びながら過ごした45分間。
最後にひとりひとりと言葉を交わしながら、
画用紙に描かれた『私』を受け取る。
ありがとう、とても嬉しい良い想い出。
にこやかに言葉を交わすなか、
ある『ひとり』は無表情、無言で画用紙を差しだした。
「ありがとう」
返事はない。
やはり嫌われているのだろう、仕方がない。
かねてより彼は、私の姿を見かけるといつもひやかしたり、からかったり、
意地悪を言う。それが嫌で嫌で、いつの間にか彼を避けるようになっていた。
ある日も上履きから履き替えようと下駄箱に向かうと、遠目に彼の姿が見えた。
ああ、イヤだな。また何か言われる。
そう思いながらも靴を履き替えていると案の定、いつもの口撃。
「もう、やめてよ! いつもいつも。いい加減にして!」
そう言って、まだ続く口撃を尻目に家路についた。
そんなことが続くと当然、彼に対しては悪感情しかなく、おそらく相手もそうだろうと思っていたので、彼の無言には、『イヤなことを言われないだけマシ』とさえ感じたほどだ。
終業式も終わり、華発の春を迎える。
いよいよ明日引っ越しという一番忙しい時に、チャイムが鳴る。
母に呼ばれ出てみると、あの意地悪な彼が立っている。
ああ、最後の最後まで、また何か言われるのかと身構えた。
「引っ越しするの?」
あまりに普通の言葉に少し拍子抜けしたが、私も普通に返した。
「うん」
「今までごめん」
彼の口からそんな言葉が聞けるなんて思ってもみなかったから、正直驚いた。
転校前に謝っておきたかったのだろう。
「今ちょっといい?」
そう言われ、母に許可を得て少し出かけることにした。
無言で歩く道。満山の桜を横目に少し居心地の悪い時間。
不意に立ち止まって、真剣な面持ちで言う彼。
「今までごめん。意地悪ばっか言って。
キミのことがずっと好きだったから……だからつい」
意外な言葉に衝撃が走る。高鳴る鼓動。
「え?」
「キミが転校すると聞いて、どうしても伝えたかったから」
「うん」
「許してくれる?」
「うん。全然気にしてないから」
「よかった。向こうに行っても、がんばれよ」
「ありがと」
それから暫くおしゃべりをして、家に帰った。
思えば彼とあんな風に楽しく話したのは初めてだ。
初恋のひとは他にいたけど、なぜか今でもこの季節に思い出すのは彼のことだ。
人生初の告白。
あの口撃も今となっては良き想い出。
山の春情を楽しむ季節に、新しい一歩を踏み出せたあの日。
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