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(オーディア様、どうか傷ついた者をお救いください)
ほんの一ひねりで殺せてしまえそうなか弱い人間の少女。忌々しい人間は一人残らず皆殺しにする。だが、オズはエレノアの首筋を掻き切ることはしなかった。
「…よし、これでよくなるはずです」
川霧が流れていく。木々が音を立てて揺れ動いた。
「人間の娘」
「“人間の娘”ではなく、エレノアです」
「…なんだってかまわぬ」
「いいえ、重要なことです。だって、あなたは…オズ。そうでしょう?」
新しい包帯を躰に巻いてやると、満月のような冷たい瞳と目があった。
「浅慮な女だ」
「そうね。だって私、オズのことがもっと知りたくなってしまった」
「知ってどうする? 人間どもに売りつけるか?」
「まさか、もったいない。私だけの秘密にするわ」
エレノアはオズの隣に腰を下ろしたが、襲い掛かってくるような気配はなかった。オズはただ静かに小川の畔を飛び交う蝶を眺めている。
「私、魔族に出会ったのはオズ、あなたがはじめてよ」
すると、冷え冷えとした瞳がこちらを向いた。
「それまでは私、恥ずかしい話なのだけれど、伝承や書籍でしか魔族の存在を知らなかった。理性のない忌々しい種族であるって伝え聞かされてきたから…驚いたの。本来の魔族はとても神秘的で、理知的で、……綺麗なのね」
エレノアの碧眼とは対照的な、闇をはらんだ色。オズもまた、己とは間反対の澄んだ瞳を見つめた。
「魔族が理知的であるのはごく一部にすぎぬ」
「え…?」
「今や我が同胞の殆どは、理性を欠落させた獣となり果てた」
エレノアは信じられなかった。オズは人間と同じ言葉を喋る。だから、見た目は違えど、魔族とはきわめて人間に近しい性質を持っているのだろうとすら考えていた。知性に関しては、エレノアよりオズの方が豊富な気さえするほどだ。
「魔族は何のためらいもなく人間の血肉を食らうぞ。それでも綺麗だと言えるのか?」
「…あ」
オズの瞳が鈍い光を放った。人間の娘など軽くひと飲みできてしまうほどの迫力に、まるでエレノアは身じろいだ。
「己を見失い、ただ渇きを癒さんとばかりに殺戮を繰り返す。魔族の末路は皆そのようなものだ」
「…それは」
「近寄れば……恩情に報いることもせず、おまえを殺す。八つ裂きにして、跡形も残らぬよう屠る存在だ」
ずい、と顔を寄せられると、芸術品のように整った顔がエレノアに迫る。冷え冷えとした視線がエレノアを捕らえた。
「オズ…あなたからすると、私は世間知らずの子どもよね。本当に……そうなの。何も、知らないの」
だが、その黒漆に飲まれぬよう、エレノアは唇をきつく結ぶ。
「無神経かもしれないけれど、ただ……綺麗だと思ってしまった。それは、いけないことなの?」
「愚かだ」
「あなたは、人間がよほど憎いのね」
「ああ、憎い」
「…それは、どうして?」
丸々とした銀色の瞳が冷然と閃く。
「おまえには理解し得ぬ」
「では、あなたのことを教えて?」
「俺を知って何になる?」
「…分からない。只、気になるの。私と同じように……寂しい目をしたオズのことが」
なんの表情も浮かべていないオズをじっと見つめ返すエレノア。小川の畔を飛び交う蝶の鱗粉が、きらきらと光りながらエレノアとオズを包み込んだ。
「私は、誓ってオズのことを傷つけない」
オズはエレノアの言葉の真意を探るように、ゆっくりと目を細めた。
「もちろん、あなたの仲間のこともよ? ただ、もう少しそばにいさせてほしいだけ」
「ただそばにいたとて、どうなるのだ」
「また傷を作ったときに癒してあげられる」
女神オーディアの加護は本来、サンベルクの民に授けられるものだが、エレノアは傷だらけの美しい獣にも分け与えてやりたいと思った。せめて、我が身を大切にしてほしい。己を差し置いて人間を憎むなど…悲しい。
「…やはり無理かしら? 私のこと、食べる?」
エレノアは残酷なまでに美々しい男にしばし見惚れていた。額に刻まれている原始的な紋様も、威厳を放つ立派な角も、冷たく獰猛な瞳も、血の通っていない青白い肌も、鱗のような黒き躰も、大きな翼も…エレノアはこれほど綺麗なものを見たことがなかった。
「いや、もういい」
オズはすっと目を細める。
「勝手にしろ」
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