おみやげのこんぺいとう

1/1
73人が本棚に入れています
本棚に追加
/96ページ

おみやげのこんぺいとう

 その時のわたしはきっと妙ちくりんな顔をしたまま突っ立ってたに違いない。 「お店だ。」  お店があった。そのやけに広いお店は、飲み屋じゃない。外にはなんの騒音も聞こえてこない。コンビニとはもちろん違うし、スーパーでもなく、蛍光灯めいた青白い光がさしてくることはない。  明かりはある。軒先にちょこんと、ランタン?ランプ?がぶら下がっている。窓ガラスには色の着いたのが何枚かハマっていて。石造りのプランターには多分ハーブなんだろう草が植えられている。魔女の店というには失礼だろうけど、変わった店構えだった。 「――まれぼし菓子店」  看板があった。読み上げたところによると、菓子屋さんらしい。  今は深夜23時だ。でも電気があかあかと点っていて、どうやら絶賛営業中みたいなのだ、この店。住宅街だぞここは。  ――やっぱりあやしげな魔女の店なのでは?  童話でもあるまいに、わたしは、やはり店を前にして訝しがらざるをえないのだった。  ことの始まりはとにかく忌々しい。  今日は金曜日。大昔は花金なんて言葉もあったらしい。なのに、空気を読まない会社の飲み会は滑り込んできた。  会社の飲み会なんて大嫌いだ。昼休み直前に追加で人員を募集しながら、募集している課長からしてもう白けているんだから。そっちも嫌なら、やめればいいのに……と下っ端社員は思うけど、社長命令なのだそうだ。気が重い。 「で、お前は出るんだよな」  という問いに否とは言えない。せいぜい口の端の辺りでモゴモゴと言うくらいだ。 「どうせ週末たいした用事もないんだろ?」 「……ありませんけど」 「俺たちなんか家族サービスも大変なのに更に社長の道楽にお付き合いだぞ。まだまだ半人前なのに、露骨に嫌な顔するなよ」  課長の言葉にムッときた。だけどその通りなことにまた、内心が更にもやもやしていた。加えて、そんな露骨な顔をしていただろうかと、それもまたショックだったのだ。  課長は人員を確保したからか、わたしに言いたいことを言ってやったとでも言うのか、少し溜飲の下がったような顔で名簿に丸をつけながら次の社員の席に向かっていった。  ――それから数時間。  すっかり酒臭さに取り巻かれて嫌気がさしながらも、何とか二次会終わりで抜け出してきた。 (金曜だから早上がりして映画でも見ようと思ってたのに……)  ちっさな私のちっさな予定だけど。もうさっさと家に帰りたくて、いつもとは違う住宅街の近道を通っていた。  春の空気は生ぬるく澱んで、風も吹いてはくれない。わたしに纏わりついた居酒屋の空気も一向に吹き飛ばされていってくれない。 (たしかに……)  と、わたしは思う。 (たしかにわたしはひとり暮らしだし……)  課長と違って。 (なんなら彼氏もいないし……)  あ、背中がすすける気持ちになって来た。 (友達も少ない)  いよいよ煤けてきた。なんか涙が出そう。  でもだからってたいしたことない呼ばわりすることないじゃないか。と。わたしはどうもずっとあの言葉が引っかかっていたらしい。いじけていたらしい。一人前に。 「大した用事もないくせに、か」  と独りごちながら、ひょいと角を曲がろうとしたところで。  わたしは出会ったのだ。  先程の――まれぼし菓子店に。  そのままお店を見上げて固まっていたところで、トントン。と後ろから肩を叩かれた。  さすがに夜の街でぼんやりし過ぎていた。慌てて振り返る。 「あっ、はい!?」 「お客さん……ですか?」  振り返ると、そこには非常に線の細い柔和な感じの少年……青年が立っていた。彼は紺色のエプロンを直しながら、ふわりと笑顔になる。 「お店ならまだやってますよ。ラストオーダーも23時半なので」 「あ、ええと……」 入る気があった訳ではないのだが、……とは言い難い。でも気になったのも確かだった。  そんな時に、お腹がなった。  我ながら浅ましい。  飲み会ではあんまり食べられなかったのだ。仕方ないのだ。 「メニュー、見ますか?」  青年はにこにこと手にした革の表紙のメニュー表を私によこした。彼からは何かわからないが爽やかな甘い香りがした。  メニューによると、……変わった店だ……ここは和洋菓子のお店らしい。今、夜間はケーキが多く揃えられている……と。ああ、またお腹なった。ぐううう。 「……」 「……」 「……なにか召し上がっていきませんか」 「そう、そうします……」  顔から火が出そうな思いは久しぶりだった。  かくして少し不服な形で、わたしはまれぼし菓子店に足を踏み入れることになったのだった。 「あらためていらっしゃいませ」  店内のイートイン用の席にわたしが座ると、色ガラスのかわいいタンブラーに水を出してもらえた。お店の中も、外と同様にちょっと不思議な雰囲気だ。レトロでなんていうか柔らかいけど重さのようなものも感じる。一度工場見学に行った時のワインセラーなんかの雰囲気と似てる。上手く言い表す言葉をわたしは知らない。 「変わったお店なんですね、あの」 「手嶌です」 「手嶌さんが店長さんなんです?」 「店長は今はずしています。彼女がいれば、ケーキのメニューももっと滑らかに説明して差し上げられるんですが」 「このお店って前からありました?」 「ええ、実は……ひっそりとね」  内緒。とばかりに、悪戯っぽく笑う。本当なのかどうなのか。変な人だなあと思いつつ何故かちょっとドキドキした。 「タルトを下さい……ええと洋梨の。それと紅茶……えー……ダージリン」 「かしこまりました」  注文を受けて手嶌さんが下がっていって、ふう、と一息ついた。メニューもなかなかの品ぞろえだったので選ぶのに時間を使ってしまった。  お店の中は初めてなのになんだか安心する居心地の良さ。それが椅子やテーブルなどの調度品と、微かに流れている音楽、明かり、優しい香りの作り出すものだと次第にわかってきた。このお店は高級品を置いているわけではないようだ。けれど、とても安らげるように工夫された空間なのだろう。  そこにお店の人の思いを見た気がした。  そんなこんなするうちに、タルトと紅茶は運ばれてきて、気づけば居酒屋で纏った重い空気も、空腹も(少しだけど)消えていた。  タルトにフォークを入れる。一口大にして口の中にもっていくと、まず洋梨の爽やかさがふわり。その後、クリームの程よい甘み。そして解けるタルト地のしっかりとした甘み。もちろん絶品という程に美味しくて、紅茶もわたしの貧乏舌でもいいものだとわかった。なんというか、香りが高いのだ。 「今日の洋梨のタルトは、〝星の涙と呼ばれる夜露の晩にとる梨を使っている〟んですよ」  手嶌さんが不思議なことを突然言い出した。なんのことかと思ったら、なにか紙を示している。  ケーキのお皿に敷かれている栞だった。そこには彼が言ったのと同じことが書いてあった。 「ああ、なんだ。びっくりした。詩か何かなんですね」  ええ、と頷きながら彼はにこにこと給仕をしてくれた。夜露の……という言葉を思い出しながらタルトの残りを口に運んでいく。なるほど、洋梨はそれほどジューシーであり、ぶれない甘さだった。  ついつい閉店の時間まで長居してしまった。  その間お客はわたしひとりで、手嶌さんはそれだのに丁寧に給仕してくれていたのが申し訳ないくらいだった。  またおまちしています。  手嶌さんはわたしの手にリボンのついた小さな箱を滑らせて寄こした。 「おみやげ。」 「ありがとうございます、?」 「今夜は星が綺麗なので」  そして笑う。  星がきれいなんて。こんな街中じゃ明るくて見えもしないのにと、わたしは愛想笑いを返しはしたが、空を見上げもしなかった。  ありがとうございました、と言いながら、彼はいつまでもわたしを見送っていてくれた。  後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、わたしは濃紺のエプロンの青年を背景にして、家路に戻っていくのだった。  家に着いて小箱のリボンを解く。開けてみると、 「こんぺいとうだ。」  星空を想起させる色とりどりの砂糖菓子。  もしかしてあの時本当に綺麗な星空が拡がっていたのか。  それとも……。ちょっとキザそうな手嶌さんが適当に言ったことなのかはわからない。  そう思いながら、金平糖を口に含む。  優しい甘みが口にひろがっていく。  少し力を入れて噛むと、金平糖は容易に欠けて弾けてしまう。  気がつくと、週末最後に砂をひっかけられたようなもやもやも、いくつかの砂糖菓子と一緒に霧散していた。  金平糖にもしおりが入っていた。〝天の星は全てここに集めて〟。 手嶌さんの言葉と合わせると、不思議な童話のように聞こえる。 「……まれぼし菓子店」  貰った名刺の名前をもう一度呟く。  また、いってみようかな。  わたしは、あの店と青年を思い浮かべてから、金平糖の小箱を閉じた。  良い週末すごそう。そんな気持ちで。
/96ページ

最初のコメントを投稿しよう!