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その後、神主と呼ばれる男はそのまま美術準備室に入り、中に用意されていた簡易的な祭壇(いつの間にこんなものが用意されていたんだ?)でお神酒を左右に置き、盛り塩や鏡などをおいて祈祷を始めた。藤野はその模様を撮影している。ご丁寧に「新聞部」の腕章をつけていた。その後ろには大杉教諭と佐々木美術部部長が頭を下げながら立っており、その後方に美術部員や、突入に参加した歴研会員が立っていた。夕は最後尾にいる。
御祈祷だかお祓いだかが終わると、大杉と佐々木が玉串を奉納して、柏手を打った。
「これで美術準備室の怪異もいなくなるだろう」
大杉が言うと、美術部員が沸き立った。佐々木部長は深く大杉と神主に頭を下げている。
そんな二人は、一仕事終えたかのように握手を交わした。大杉はジャケットの内ポケットから白い封筒を取り出して、神主に渡した。神主は軽く会釈をしながらそれを受け取り、懐にしまい込んだ。
「先生、これはどういう事なんですか」
歴研部室に戻った大杉教諭に、森本夕は詰め寄った。すでに神主は帰っており、藤野は新聞部に向かっていた。
「お化けの正体なんてこのニャンコだったじゃないですか。なんで今更お祓いをしてるんです?美術部員達も参加してるし、お金まで払っていましたし」
大杉は窓を開放して、その前に立った。パイプにタバコの葉を詰めており、マッチで点火する。思わせぶりである。夕はその仕草に悪い予感を感じとる。
「まさか、まだ何か、あそこにいたんですか?」
「いや、少なくとも俺は見てない。霊感もないしね」
「それじゃ、なぜ」
「佐々木部長の名誉を守るためだ」
夕は意外な名前に目を丸くした。
「あのままだと、佐々木くんは部を退部して、そのまま学園も退学していただろう。実際、幽霊騒ぎを起こして部活を妨げたし、生き物を無断で学校内に入れていたからな。上にバレたら、良くても停学処分だった」
「まあ、そうなるでしょうね」
「彼女はね、天才なんだよ。この学園が特待生として求めた人材だ。性格も優しい」
大杉は机の猫を指さした。確かに、雨に濡れる猫を放って置けないので何とか助けたいと思った気持ちは理解できるのだが…
「それでも、美術部の部員諸君に迷惑をかけたのは間違いない。だから私は昨日、一人一人に聞いたんだ。佐々木部長を退部させるか?とね」
あの後にそんな事をしていたとは。夕はその後しっくりこないまま下校していたのだが、大杉が裏で動いていたなんて想像もしていなかった。夕の中では、昨日の大杉は退屈な学校の職場で滅多にない事件にはしゃぐダメ教師、といった印象しかなかったのである。
「佐々木君は、技術だけじゃなく、後輩の面倒見も本当に良かったらしいぞ。3年生、2年生で部長を悪く言う子が一人もいなかったんだ。そうなれば、後は簡単だ」
「と言うと?」
「美術準備室で起きた一連の出来事は、怪異の仕業である。そう言う既成事実を作り上げる事だ」
夕はこれで合点がいった。だからお祓いと言う儀式を行ったのだ。佐々木部長の名誉と、美術部を守るために、自腹を切ってまで。
「祭壇は彼女達が居残りをして、材木を学園内のホームセンターで買い込み作り上げたようだ。さすがだよね。お神酒を乗せてもびくともしなかった」
「藤野先輩が写真を撮っていましたが、あれは」
「新聞部が一面で報じるためだ。学園の七不思議にでも加えるんじゃないのかな。まあどんな脚色をするかは彼次第だね」
「あの神主さんは、役者ですか?」
大杉は夕の言葉に笑ってしまい、むせ返ってしまった。
「違う違う。あの人は学園の中にある日野出神社の神主さんだよ。本職だ」
「ええっ!そうだったんですか」
「すでに学生の間では美術準備室のお化けの噂が広まりつつあったようなんだよ。だから先手を打って本職の方にお祓いを済ませてもらった。謝礼というか、玉串料は、美術部の部費と折半したよ」
大杉は落ち着くために再び煙を吸い込む。
「そこまでして、部長さんを助けたかったんですか」
「彼女は学園の財産だ。辞められたら我が校の損害は大きい。俺がとばっちりを食らってみなさい。半年間減俸処分にされちゃうかもしれないんだぞ」
さすがにこの発言には無理がある。ポケットマネーで玉串料を払っている時点ですでにマイナスではないか。
もしや、大杉教諭の照れ隠しなのか?
周りを見渡すと、やれやれと言った表情で大杉の話を聞き流している会員たちが目に入った。こうした照れ隠し発言はどうやら日常茶飯事なのだろう。
大杉は後頭部をポリポリとかきながらおもむろにスマホを取り出して何かを検索し出す。
これが大杉教諭の魅力なのだろうか。夕は長机の横のソファにちょこんと座り、カバンから一枚の書類とボールペンを取り出した。
入部届だった。
「わ。森本さん、歴研に入るの?」
木下が嬉しそうに目を輝かせる。男子とも女子とも見分けのつかない美形がすぐ目の前にあり、夕は心臓の鼓動が高鳴る。
「……うん」
夕は顔を赤らめながらも、入部届に歴史研究同好会の名前と自分のクラス・番号・指名を記入していく。
「きゃー!ありがとう!これからもよろしくね!!」
東雲は夕に抱きついた。存外大きな胸に夕の小さな顔は簡単に埋もれてしまった。ブレザー越しだから柔らかさよりも硬さが勝り息苦しく、窒息しそうになってしまう。
「あ、ごめんごめん」
東雲はパッと夕から離れる。夕はひとまず呼吸を整えてから、入部届に目を落とした。書き漏らしはない。すぐに提出できる状態だった。
「あの、先生」
夕は少しの気恥ずかしさを感じつつ、大杉のいる窓際に歩いて行った。
「入部届です」
大杉はスマホの画面から目をはなし、夕の差し出した。入部届を見る。
ニッコリと笑いながら、大杉教諭はスマホをしまい、入部届を受け取った。
「変人ばかりだぞ」
「先生が一番変です」
「進路には全く影響しないぞ」
「察してます」
「活動は不定期だぞ」
「聞いてます」
大杉は一通り聞いてから、「これじゃ逆『お熱いのがお好き』だな」とつぶやいて、入部届を内ポケットにしまい込んだ。
夕は大杉の発言の真意がわからず、こっそり東雲に聞いた。
「逆お熱いのがお好きって、なんですか?」
「マリリンモンローの映画にこう言うシーンがあるの。今度見てみてね」
はあ。と、夕が返事をしかけた瞬間、大杉が大声を上げた。
「うおっしゃー!! 3! 3がきた!!」
夕は飛び退いた。「3」とはなんだ!?と思っていると、いつの間にかスマホを手にしている大杉が目に入った。
目を凝らして見ると、画面には競艇の中継映像が映っている。
「へ……?競艇?」
東雲が「あちゃ〜」と頭を抱える。
「これは報告案件ですねぇ」
「いや、待ってくれ!!あの玉串料いくらしたと思ってんだよ!家族で高級焼肉に3回は行けるんだよ!!せめていくらか回収したいのが人情だろうが!」
「気持ちはわかりますけど、勤務中ですよ」
夕の頭は混乱している。この教師はまさか、職務中に賭博をしていたと言うのか?
「ほら!江戸川のレースを見てくれ!!1−3−4が来てるだろ!?俺は1ー23ー234の買い目に賭けてるんだ!この順位ならそこそこの配当が付くぞ!!」
東雲はじっと画面を見つめる。
「先生、三着に4号艇が来てたら勝ちなんですよね?」
「そうだ!」
「5号艇が来てるんですけど」
大杉の顔はみるみる青くなっていった。
「な、なんだと!!」
すぐにスマホの画面を見た大杉は、3着のボートが4号艇から5号艇に変わっているのをしっかりと確認する。
「あーーっ!なぜだ!4号艇は江戸川巧者なんだぞ!こんなど新人になんで負けてるんだよ!!ひゃあああああああああああ!」
もはや断末魔のような声をあげて、大杉教諭は膝から崩れ落ちてしまった。
レースの実況中継は、無常に先頭が最終ターンマークを曲がり、ゴールに到達したことを告げていく。
「1号艇ゴールイン、二着に3号艇、三着5号艇ゴールイン!4番、2番、6番ゴールイン。以上江戸川第9レースでした」
大杉は力なくスマホの電源を落とした。
沈黙が室内に流れる。
「いくら賭けていたんですか?」
東雲は冷静に訊ねた。
「……マンバリ」
「ああ?」
「万張りだよ!5点に各1万円づつ!!」
夕は貧血を起こしそうになる。こんな大金を一瞬でドブに捨ててしまうほどこの教師は博打に頭をやられてしまったのか。
「はあああああ!?それじゃ今のレースで5万円すったんですか」
大杉は早くも泣き腫らしている。
「先生は普段江戸川の三着は流せといつも言ってるじゃないですか!!何で今回に限って流さないかなぁ」
そう言う東雲も、ずいぶん買い方に詳しいように見えるのだが、夕はあえて黙る事にした。
「流せるほどの金がねえんだよ!!神主に玉串料出したっつったろうが!!」
大杉教諭はソファに突っ伏し、「これは悪い夢なんだ」とうめきながら現実逃避に入った。
入会を決めた瞬間に、顧問が仕事中にも賭博を行うようなギャンブル中毒であると目の前で暴露された夕こそ、この瞬間を悪い夢だと思いたかった。
大杉の哀愁漂う苦悶の声は、開きっぱなしのドアから漏れ出し、北校舎にこだました。
お祓いが済んだと思いきや、また新たなお化け騒ぎが起きるんじゃないかと、目の前の不良教師を見ながら夕は頭を抱える。
学園の教職員の給料日は25日だが、まだ今日は15日であった。
終わり
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