お家

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お家

「上に引っ越してきたイトウです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」 引越し蕎麦を持ってきた新しい『真上さん』はとてもしっかりした女性だった。 それからしばらく、俺が休みの日に家の前の浜辺で趣味の一人BBQをしていたら、何度か彼女がやってきた。 勿論最初は煙のクレームだったけれど、気がつけば一緒に語らいながら飯を食っていた。 そして今では立派に恋が成立している。 じゃあその先にあるものって……もうひとつしかないじゃないか。 【 お 家  】 「スオウさん、この塩パン、塩が適度にきいてて美味しいね。作り方難しい?」 「作るのは難しくないよ。全粒粉にしてるから他のパンと比べるとちょっと素朴すぎるくらいかも。今度の休み、一緒に作ってみる?海塩と岩塩の両方やってみようか」 「それ絶対美味しそう。出来たて食べくらべてみたいな」 レミちゃんは俺の作ったパンをつまみ食いしてから、ビーフシチューの鍋をかきまぜた。そしてもう一つちぎると俺の口へとほおりこんだ。 噛むと外は香ばしいのに中はふんわり、ほのかに塩の味がして我ながら上出来だ。 それが顔に出たのか、俺の顔を覗き込んだレミちゃんも嬉しそうな顔をした。 俺とレミちゃんは同じアパートの“お隣さん”ならぬ“上下さん”だ。 一年前くらいだったか、レミちゃんは俺の伯父が経営するアパートに引っ越してきた。 俺が休みの日にアパートの目の前にある浜辺で趣味の一人BBQを楽しんでいたところ、レミちゃんが煙の苦情にやってきたのが始まりだった。 それをきっかけによく話すようになり、最初はレミちゃんも警戒して少しギスギスしていたものの、俺お得意のニコニコ笑顔を続けていたら彼女もだんだんと心を開いてくれるようになった。 そしてある日、俺が生業にしているパン屋にもお客さんとして来てくれてからグッと距離が近づいたのだ。 ご近所挨拶から顔を見ればちょっと立ち話するようになって、俺が浜辺にいたら差し入れのビールやつまみを持ってきてくれるようになり、お礼に今度は俺がレミちゃんの部屋のドアに彼女のお気に入りのあんぱんや試作品を下げるようになったり。 そのうち休みが合えば遠出に誘いバイクに乗っけたり、レミちゃんが料理のお裾分けしてくれたりと、そんな風に会っているうちにただの上下さんから恋人同士になるのにはそう時間はかからなかった。 二人の休日ランチにと、彼女の作ったビーフシチュー。 牛肉と赤ワインのふくよかな香りがキッチンだけでなく部屋全体に広がり、お腹はいい加減きゅうきゅう鳴っていた。 俺はボウルにレタスをざっとちぎってはキュウリや水菜、トマトにオリーブを手早くカットし、カリカリに焼いた角ベーコンも一緒にボウルに入れ、オリーブオイルとリンゴ酢と塩コショウで作ったドレッシングをサラダに和えて皿に盛り付けた。 皿もちょっと良いブルーオニオンの丸皿だと、いつものサラダでもより鮮やかに目に映る。 料理は盛り付け方だけではなく、お皿一つでも表情を変えるのでとても面白い。これだけでもとても美味しそうだ。 仕上げにケッパーとほぐしたゆで卵を散らして完成したミモザサラダに、レミちゃんも待ちきれなさそうにしてシチュー皿を出しテキパキとテーブルセッティングをした。 「「それじゃ、お疲れ~☆」」 向かい合わせになりグラスにビールをついで乾杯してから、作ったばかりのビーフシチューを一口。美味しさに二人してニヤける。 お互い休みの日が合うと出かける時もあれば、こうしてどちらかの部屋でランチを一緒に作る時もある。 2階のレミちゃんの部屋からは目の前の海がよく見えた。 「なんか昼間のビールは格別だわ~!」 「おまけに平日休みだと、背徳感と優越感が一気に味わえて美味しさが二乗な気がする」 「わかるそれ。うーん、ビーフシチューにパンも合うし、サラダに塩パンもなおのこと合うね」 「もうちょっと秋らしくなったらビーフシチューパン出してもいいな」 「ビーフシチューってだけで何か豪華な感じがする」 俺は隣町の改装した古民家でパン屋を営んでいる。 もちろんスタッフは俺一人で、営業も木曜から日曜までしかやらない。 月曜日と火曜日はまるっきり休みにして、水曜日を仕込みの日にしている。といっても天然酵母パンを売りにしているから、仕込みに日にちをかけているので月曜の夜からパンを作っているようなもんだ。 しかし初めからパン屋をしていたわけではない。もともとはサラリーマンをしていた。 調理学校の製パン科を出てパン職人になるはずだったのだけれど、就職先になかなか恵まれず一応パン業界の一般企業に入り商品開発なんかをやっていた。 けれど、どうしてもパン職人の夢が諦めきれなかった。 働く傍ら知り合いのところで手伝わせてもらいながら独り立ちの準備をし、そして一念発起し仕事を辞め、爺ちゃんがやってた呉服店の店舗だけ譲り受けて改装し念願のパン屋を開いたってわけだ。 オープン当時は中々人がこなかったけれど、幼馴染に口コミを頼んだり、知り合いのところに持って行ったりしながら地道にやっていたらどんどんお客さんがきてくれるようになり、今ではいい感じに繁盛している。 レミちゃんのほうはというと、近くにある総合病院に看護師として勤めており忙しい毎日を送っている。 前は都心の大きな病院に勤めていて、実家のおばあちゃんの介護事情でこっちに戻ってきたと言っていた。 こっちにきて1年程になるが、元々いたところでも敏腕ナースだったのかキャリアを買われていたのもあって、緩和ケアの新しい病棟のフロアリーダーに抜擢されて忙しそうだ。 俺は固定休だけどレミちゃんはシフト制なので休みが合えばこうして過ごす。 しかし休みの日でも仕事関係の研修や学会にも顔を出したりと勉強熱心なのだから尊敬してしまう。 そしてそんな忙しい中でも、こうして俺との時間を大事に過ごしてくれているのだからとてもありがたいし嬉しい。 レミちゃんも俺もいい大人な年齢なので、付き合い始めもどっちからというわけでもなく、どちらとも「ストン」と嵌まるようなものだった。 ……まぁ、言ってしまえば酔った勢いで寝てしまったのが先というのが本当のところながら、それについては彼女のほうがアッサリと「大人なんだしこっちのほうが手っ取り早いってこともあるでしょ」と言いのけたもんだから拍子抜けしてしまったくらいだ。 そんなこんなで適度に距離を大事にした恋人同士。 もちろんお互い仕事を優先している部分はあるので、傍から見ればあまり恋人同士っぽくないかもしれない。 だから不満なことは何もない……のだけれど…… かといってこの『上下さん』の関係がずっとなままというのも如何なものかと考え始めていた。 レミちゃんはビールからスパークリングワインに変えて嬉しそうに話した。 「この間、職場の子がスオウさんとこのパンをランチに持ってきてたよ。サーモンのランチバケット今度買おうかな」 「ほんと?あれ数作ってるつもりだけど結構売り切れが早くて、自分でも驚いてる」 「そういえばこのあいだ女性誌の取材きたって本当?」 「あ、あぁ。あれね。でも受けてないよ。断っちゃったし」 「え!?何で!もったいない」 「だって女性誌の影響ってすごいよ?俺ただでさえ一人でやってんのに殺到されたらしっちゃかめっちゃかだよ」 「もう一人くらい雇ってみれば?パン屋になりたい人とか」 「かといって誰か雇うほどでもないんだよな~。意外と一人でもできるっていうか。それに今のご時世、なかなかそういうのいないんだよな。俺だって脱サラだもん。まぁ元々やりたかった事だけどさ」 「職業によって色々違うから難しいね。まぁ、でも私も安心かも」 「え?」 「……だって、女性客増えたら何となく面白くないから」 「レミちゃん、お願い。今のもう一回言って」 「やだよ!」 「お願いだから~!」 「言いません!!」 レミちゃんは普段は長女らしくしっかり者で落ち着いていて、いわゆるツンデレなのだけれど、二人だけの時にたまに見せるこういうところが可愛いと思う。 もちろんレミちゃんと付き合う前にも付き合っていた子や半同棲もしていた事もあった。 けれどどうしてかそれらは結婚まで至らず、また仕事も忙しかったからか出会う間もなくなっていた。 レミちゃんは今まで付き合っていた子とも全然違うタイプだし、俺と職種も性格も全然違うのにどうしてこんなに一緒にいて楽しいし居心地がいいんだろう。 それこそ初めて会った時にはこうなるなんて想像もしてなかった。男と女の相性はつくづく分からない。 食事も食べ終わってお酒も赤ワインからさっぱりと白ワインに変えて、最後に出てきたのはレミちゃんが用意してくれた、みかんたっぷりのミルク寒天だった。 「わぁ~懐かしいな。これよくばあちゃんに作ってもらったわ」 「懐かしい味だよね。うちはよく母が作ってくれたんだけれど、何だか無性に恋しくなるときある」 「家に帰ってこれ出される時のプレミア感。ただの牛乳と砂糖と寒天なのに子供って単純だよね」 「ほんとほんと。でもさ、牛乳プリンのほうが絶対美味しいって大人になった今じゃ分かってるのに、子供の時に感じた家の味の記憶ってすごく忘れられないし、年取るにつれてものすごく美味しい物だったって美化されない?」 しばらく思い出話と一緒にミルク寒を食べていたら、レミちゃんはふと思い出したように話を変えた。 「そういえばスオウさんの伯父さんがここの大家さんだよね。こないだね、ちょっと気になったことがあって。 なんか工事?の業者みたいな人何人かとここのアパート見てたんだよね。調べてるみたいな感じだったからちょっと気になって。まぁ私も時間無かったから会釈だけで済ましちゃったんだけど、何か知ってる?それか欠陥とかあるのかなぁ」 あまりの鋭さにたじろぎそうになってしまった。 なぜなら今日、俺も話に出したいと思ってたことだったからだ。 そうはいっても俺もついこないだ知ったばかりだからあんまり早く言うのも誤解を招いたりしかねないので、話にするのも様子見にしようと考えていたのだ。 けれど彼女の方からそれを言われたら知らないふりをするほうが白々しいと思えたので話すことにした。 「そのことで実は……俺もレミちゃんに話したい事があって」 「何?」 「まさにこないだ、伯父さんとたまたま会って話されたことなんだけど。レミちゃんのお察しの通り、まぁ計画としては全然先なんだけどこのアパートを建て替えたいらしいんだよね」 「えぇ!!??じゃあ出て行かなきゃじゃん!」 レミちゃんは一瞬にして青ざめた。それはそうだ。 引っ越してきて1年で立ち退き話が持ち上がっているなんて最悪のパターンだ。 けれど俺が続けたい話は別の事なので、取り成すような気持ちで話を続けた。 「実際はまだ先を考えてるし、このアパートもちょうど全部埋まってるってわけじゃないから、なるべく早めに通告するって言ってたんだけど」 「じゃあ実家一旦戻んなきゃかなぁ~。え、ここまで部屋作ったのにまた探すのとかほんと困るなぁ」 衝撃だったのかレミちゃんは俺が話し終わる前に一人で考え始めてしまった。 「うん、だからレミちゃんの契約って2年だからあと1年あると思うんだけど」 「立ち退かなきゃだもんね。え~~どうしようかなぁ。今回ばっかりはお母さんも引っ越し資金半分出してくれたから良かったけど、何だかんだで出費したからまた貯めなきゃか」 「それでね、レミちゃん」 「まぁ病院までは行けなくはないからまだいいけど、実家はお母さん煩いから嫌だな……ヤバい、落ち込んできた」 「うん、でね」 「また不動産屋さんまわりか~。そしたら病院の近く探すかなぁ……」 「レミちゃん!ちょっと俺の話聞いてくれてる!!??」 「あっ、ゴメン、ゴメン。で、なんだっけ?」 あぁ、もう本当にこの子は! しっかりしすぎるがゆえに私生活だと自分一人で考えて答えを出す癖にたまになってしまうらしい。 これからはできればそうじゃなくしてほしいと思っているのだけれど、それをもう打ち明けてもいいだろうか。 きょとんとしながらワインを飲むレミちゃんに、俺は緊張しながら言った。無意識に机の下で握った拳に力が入る。 「一緒に住めるところ、探しませんか?」 言った!と思った。そしてすぐその後にきた無言の時間に、急に不安を覚えた。 もしかしてタイミングじゃなかっただろうか。同棲とか今更すぎるだろうか。 それともレミちゃんは別にそんなことしなくていいと思っているだろうか。 今まで真剣な話をしてこなかった自分に後悔しはじめたとき、 「いいよ」 レミちゃんは唐突に返事をくれた。 「え!ほんと!!」 あんまりにもあっさりした返事にこっちが慌ててしまう。 どういうことかホントに分かってる?って聞き返したくなるほどに。 けれど野暮な事を聞かなくてもレミちゃんの表情で安心した。何だか照れくさそうな顔を返してくれたからだ。 あっさりと返事をしたのは照れ隠しだったのか、気恥かしそうにして胸の内を明かしてくれた。 「……だって、そのほうがいいでしょ。……一緒にいれる時間増えるし」 「うん!」 「階段上り下りしなくて済むし」 「そうそう!」 「それに……」 「それに……?」 「……スオウさんのお布団のにおい、気に入ってるし」 小さい声での突然の告白にノックアウトされそうだった。 レミちゃんは耐えきれなくなったのか誤魔化すようにそそくさとワインを飲んだ。 本当はこんな大事な話、素面で言ったほうがいいんだろうけれど、もうここまできたら気が早いかもなんて思わなくていいのかもしれない。 むしろ遅すぎるくらいだったのだろうか。 ただのご近所さんじゃ足りなくて、恋人同士よりもっと深い繋がりになりたい。 できればもっと一緒にいたいんだ。 俺は恥ずかしそうにしているレミちゃんから目を逸らさず、心を決めた。 「それと、お願いというか……提案がもう一つだけあるんだ。っていうかこっちが本題なんだけど」 「今度はなぁに」 もうこれ以上恥ずかしいこと言わせないで、と言いたいかのようにレミちゃんはわざと睨む。 けれどそれは愛情の裏返しというのを知ってしまっている俺は、レミちゃんが“NO”と言えないお得意の『笑顔』を向けた。 「家の表札、できれば一緒の名字にしませんか?」 (  ぶっきらぼうでも“yes”と言ってくれないか  )
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