流れ星

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流れ星

キラキラ星っていうよりも、あなたが弾くとなんだか流れ星みたい。 もう一度、その流れ星に逢いたくて必死で追ってた事なんて、きっと知らないんだろう。 いつかまた逢えるって信じていたら、本当にポロリと夜空から落ちてきたように目の前に現れた。 それも超新星みたいな極上の閃きの音を引っ提げて。  やっぱり、相変わらず流れ星みたいだ。 【 流れ星 】 あれはいつの頃だったか。 まだ慣れないバイオリンで練習した「きらきら星」 本当はある人に聴かせたくて頑張って練習した。だけど結局それは叶わなかった。 悔しくてむかついて、ふざけんなあいつら全員見返してやるって、泣きながら弾いてた時に、ある女の子に言われたんだ。 「それじゃあ、きらきら星じゃないよ」 「…………」 「ねぇ、きらきらしてないよ、それ」 「…………」 「ねえ!!」 「うるせぇんだよ!ほっとけよ!」 「なんだ。しゃべれるんじゃん。ねぇ、そんな音じゃあ、きらきらしてないよ」 俺は鼻をすすりながらそいつのこと睨んでやった。女の子は、干されたシーツの真っ白いカーテンをひらりと抜けて俺の目の前に来た。自信満々に気の強そうな瞳をした女の子は、パジャマ姿だった。 「私もね、ピアノ弾くよ」 「だからなんだよ」 「ピアノがあったら伴奏してあげるのに」 「お前、いくつだよ」 「6才。あなたは?」 「7才。オレより年下じゃん」 「変わんないよ!……ねぇ、ピアノがあるとこ連れてったげる」 「は?……いいよ、いかねーよ」 「ここの病院ね、ピアノのホールがあるんだよ!だれでも使っていいの!」 女の子はそう言って有無を言わさずに俺の腕をぐいぐい引っ張りはじめた。 パジャマ姿の彼女に、なんだコイツどっか悪いのか。なんて子供ながらに思った俺はどこかで同情したんだと思う。 彼女に引っ張られるままついて行くと、俺の住んでるとこの公園にある『しゅうかいじょ』と同じくらいの大きさの広場があった。なんだか小さな体育館みたいだ。 奥の窓際にグランドピアノが置いてある。彼女は当たり前のようにそこへ行き、慣れた手つきで鍵盤蓋を開けた。 「ほら!弾こう!」 「……何でお前なんかと弾かなくちゃいけないんだよ」 「伴奏してあげる」 「いいよ!お前、『びょうにん』なんだろ」 そう言うと、彼女はびっくりしたような顔をしてそのまま固まった。 今思えばなんて酷い事を俺は言ったんだろうと思う。 けれどその時は本当にそう思ったんだ。もしそれでムリなんかして目の前で倒れたら……死んじゃったらと思うと怖かったんだ。 泣き出すのか、諦めるのか。 黙ったままじっと彼女を見ていると、ギッっと思い切り睨まれた。 そして力強く言い放ったのだ。 「それでも私は弾くの」 そして、俺より少し小さな手で、きらきら星を弾き始めた。 「ほら!弾いて!」 たとたどしい音だけど、笑うような事なんてなかった。俺は、合わせるようにしてバイオリンできらきら星を奏で始めた。 お互いとぎれたり忘れたり、俺は時折でたらめに弾いたりして、彼女はそのたびに大笑いしていた。 飛んでいるようなきらきら星のリズム。 さんざん弾いた後、彼女は笑い泣きしながら俺に言った。 「きらきら星っていうよりも、あなたが弾くとなんだか流れ星みたい」 「お前もだろ」 「ねえ、名前なんていうの?」 「……リュウセイ」 「……リュウセイ。ねぇ、漢字むずかしいの?」 「たぶん、むずかしくないと思う」 俺はまだ自分の名前が漢字で書けなかった。国語の授業で習っていない漢字だったからだ。だけど、もしその場に紙とペンがあって名前が既に書けたとしても俺は書かなかったと思う。だって俺の字、汚いし。 「あ!私、もう戻んなくちゃ!先生のとこ行くの」 突然、彼女は壁にかかっている時計を見るなり、慌てるようにピアノから離れて駆け出した。 人をこんなところに連れてきておいて自分はさっさと行っちゃうなんて、なんて勝手な女の子だと思いながらも彼女の名前を聞きそびれた事に気がついた。 「お前、名前……!」 「じゃあね、リュウセイ君!またここに遊びにきたら一緒に弾こうね!」 それきり、流れ星みたいね、って笑った女の子とは会えなかった。何故なら俺はもうその病院へ行く用事がなくなったから。 けれどその日から、バイオリンのレッスンを本気で頑張るようになった。 単純だ。キラキラ星をもっと上手く、かっこよく弾けるようになりたかったから。 それにただ光ってる星じゃなくて、彼女が言ってくれたような奏者になりたかった。 そうだ。 俺は流れ星そのものなんだ。 そんくらい圧倒的な、存在になりたいんだ。 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!! けたたましい音の目覚まし時計が部屋中に鳴り響く。 あんまりにもうるさくて頭にガンガン響いてくるけれど、こうでもしないと俺は目が覚めないのだからしょうがない。 のそりとベッドから手を伸ばし目覚ましを止める。 「……ひっさびさに見た……」 夢というより、もはや記憶だ。幼いころの記憶。 あの頃はまだマジメだったなと思い、起きて背伸びをした。 カーテンから漏れる光。今日はどうやら快晴なようだ。 寒くなってくる季節だけれど、天気が良いだけで何となく気分があがる。 一通り身支度を終えてリビングに行くと、母親がソファで寝ていた。夜の仕事から帰って来てそのまま寝てしまったんだろう。いつものパターンだ。 俺は近くにあったブランケットを母にかけてやる。 メイクが中途半端に落とされた寝顔を見ながら、これで寝酒をしていないのが救いだなと思った。 炊飯器を開けるとちゃんと飯が炊かれていた。どんなに疲れてても飯だけは炊いてくれるんだからありがたい。 みそ汁は昨日俺が作ったやつがあるのでそれを温める。 正直、そこらへんの菓子パンでもいいのにって思うのに、それを言うとめちゃくちゃ怒るんだからこっちが笑ってしまう。 女手一つで育ててくれた母は、そんなに酒が強いわけじゃないのに昔から夜の仕事ばかりしている。 他の仕事につけばいいのにと言っても、俺が帰ってくる時間に家にいたかったんだそうだ。 他にも色々な事情が俺の家にはあって、本当はすげー金が俺にはあるのに、母親はその金を俺の学費とバイオリン関係でかかる時だけの、必要最低限しか使わない。 あとは将来の俺の為の蓄えだと言い、普段の生活は母の頑張りの上で成り立っている。 じゃなきゃ夜の仕事と俺がこっそりやってるバイトの金を合わせただけの母子家庭で、俺が通う私学の学費を払い続けられるわけがない。 だけど、それでいいんだ。 どうせ俺は成功してやるつもりだから。 それで俺を否定し続けてきた奴らが間違ってることも証明する。 だから俺は絶対に成功しなきゃならない。 そのためなら、いくらでもお望み通りに遺された金を使ってやる。 「じゃ、行ってくるわ」 飯を食べ終え食器を片し、リュックとバイオリンケースを肩にかけると、夢の世界にいる母親にそっと言った。もちろん返事はない。 それでも俺はこの習慣をやめない。それで良いと思うからだ。 学校に着くなり、校門のところで生徒指導の教師に呼び止められた。 「スギタ!!!お前まだ髪直してないのか!!」 バーコードはげの教師は俺を見るなり瞬間湯沸かし器のごとく怒り始める。いつものことだ。 「黒染め売り切れてたんす」 「それに、そのパーカーとリュックは校則違反だぞ!毎回言わせるな!」 「もうアクセとかつけてねーだけいいっしょ。それにさ、バイオリンケースかけてっと指定の学校鞄持ちにくいし。ちなみにブレザーはこないだ牛乳こぼして洗濯ちゅー」 「そもそもブレザーなんか着てこないだろうが!」 「コンクールとかここぞん時は着てるからいいじゃん。髪もスプレーで超ナチュラルにしてんし」 俺の通う学校は私立の総合高校だ。 普通科の他にスポーツ科と芸術科があって、俺はそこの芸術科の中の音楽科バイオリンコースの3年に在籍している。 季節はすっかり秋を過ぎて、当然うちも受験モードなわけだが俺にとってはあんまり関係ない。 何故なら俺はもう進路が決まっているも同然だからだ。 この秋に、ヨーロッパの音楽院から直接声をかけられたのだ。しかも報奨金までついてる特待生として。 俺は自分で言うのも何だが、自分でしている努力以外にもバイオリンの才能がしっかりとあるらしい。 この1年、何となく本腰を入れてコンクールに片っ端から出てみたら面白いぐらいに全部優勝。おまけに聴衆賞まで貰えたりなんかしてガンガン調子づいてたら、俺の演奏をたまたま聴いた音楽院のお偉いさんが気に入ってくれて、留学窓口になっている大学を通じて話が舞い込んできたのだ。 そんなデカイ話は高校きっての事だから、学科主任も校長も大喜びだ。 一応、形だけの試験はしなきゃだけど、それも絶対通る自信が俺にはあった。 進路が決まっているからといっても学校名をかけてコンクールには当然出るし練習は必須だ。それに渡欧後も大丈夫なように英語とドイツ語のレッスンの為に今は学校に来ているようなもんだった。 また学校での練習とは別に、先生のつてでバイオリンの有名な先生に週2回ほど超絶技巧のレッスンに通っているので、それなりに忙しい日々を送っている。 にもかかわらず、学校生活では態度を好き勝手やってるもんだから当然教師からの俺の評判は賛否両論。 すっかり聞き飽きてる教師の言葉をテキトーに受け流していたら、俺の横をある女子がスッと通り過ぎて行った。 彼女の艶やかな長い髪は陽に当たり、天使の輪はより一層輝いていて今日も見惚れてしまう。 それをみすみす見送るわけがない。すぐにも駆けだしたくてウズウズするくらいだ。 俺は、「次はちゃんとすっから!朝の練習あるんで行きまーっす」と、調子よく嘘を言うと教師の止める言葉をそのまま無視し、彼女を見失わないうちに昇降口へと向かった。 「ユア、ぐっもーにん☆」 ユアに話しかけると、彼女は気の強そうな瞳でじとりと俺を睨んで「は?」と返事をした。 その反応を見て今日も安定だと思う。さらりと長い黒髪が肩にこぼれた。 「てか2学期後半になっても生徒指導に呼び止められるとかダサすぎだから」 「そのうち直すって。今しかできねーからギリで楽しんでんの」 「いつもそのうち直すって言ってんじゃん。だいたいコンクールでの黒染め、完全海苔だからアレ。超ださいよ」 「だって俺の髪染め過ぎて変な色になっちゃうんだもん」 「だもんとか可愛いこぶっても可愛くないし」 ユアは音楽科のピアノコースに通う女子だ。 性格はこうも分かるように気が強くプライドが高い。 そりゃそうだ。 彼女の父親は大手製紙会社を経営しているのだから筋金入りのお嬢様だ。 この学校には色んな生徒がいて、俺みたいな母子家庭の奴もいれば親が大手企業の重役を務めている奴もいる。 その中でもユアは特別かもしれない。実際ユアのオヤジさんはウチの学校に結構寄付をしているらしいし。 けれど彼女のピアノの腕は本物で、俺同様にたくさんのコンクールで上位入賞を果たしているから、コネ入学だなんて言う奴は周りに誰もいなかった。 ユアと昇降口を抜けて階段を上がると、3人組の後輩に挨拶された。 「あ、スギタ先輩だー!せんぱーい!おはようございまーす!」 誰か分かんないけど多分話した事がある子だろう。 その元気の良い声に、俺は「おはよー!マジメに先生の言うコト聞けよー!」と手を振ると、女の子たちは「やだぁ!それ先輩だし!」とキャハキャハ笑いながら駆けて行った。 愛想笑いを振りまく俺に、 「……ちゃっら」 横で吐き捨てるように言ったユアをちらりと見ると、あからさまに不機嫌そう。 「他の子に優しくしないでって?」 「うぬぼれんのも大概にしてよね」 「ユア、そんなこと言うとまた俺の伴奏になっちゃうかもよ」 「マジ勘弁してよそれ。もうあんたとはやんないから。二度と。金輪際!」 バイオリンコースとピアノコースは試験や発表会など定期的にデュオを組まされることがある。 俺とユアは縁があるのか、高1の時からどうしてかペアになることが多かった。 ユアはすごく嫌がるけれど(俺の弾き方がどうも合わせづらいらしい)、それでも一緒に弾き出すと切磋琢磨という言葉がぴったりなように、俺達の息はぴったり合ってしまうのだから面白い。 それはユアが俺に合わせてくれるおかげで成り立ってるからなんだけど、ユアが俺に合わせてどんどん食らいついてきてくれるから、それがすごく弾いてて面白くなって飛ばしすぎてしまうのだ。たとえ毎回それで彼女に怒られても。 ちなみに昨日、3学期にある謝恩会でのデュオのバイオリン奏者は俺に決まったと先生に言われたばかりだ。 ピアノは誰かと聞いたらまだ検討中らしい。 俺は内心、ユアが伴奏になったらいいのにって思っていた。 「また俺の伴奏してよ」 「やだよ。私は次はリツ君と組みたいし」 「リツはもう組まないよ。フユカちゃんいるじゃん」 フユカちゃんというのはユアの仲良しのピアニストで、リツは俺のクラスメイトだ。 リツはバイオリニストとしては巧い弾き手だけど、真面目くさっててつまんねーなと思っていた。 それがフユカちゃんと組んだ春の定期試験で思いっきり変わった。 本当は俺とユアが試験で高評価をとって学芸祭で課題曲のベートーヴェンの『春』を披露するはずだったのに、思いのほかリツとフユカちゃんのほうが評価が高くてその場を奪われたのだ。 おまけに披露したのは『春』じゃなくて、二人とはまったく正反対なイメージの、ジャズ色の濃い『リベルタンゴ』をぶっつけ本番で変更してきたんだからたまったもんじゃない。 当然文句のつけようがないクオリティで教師陣や音楽科の生徒たちも騒然とし、絶対に冒険しなさそうな二人だと俺も思いこんでたから正直「やられた~」と思った。 もちろん『春』はアンコールで弾いて、より大盛り上がりだった。 そのあたりからリツの演奏は表現が変わった気がする。 なんつーか……溢れ出る色気?みたいな。 そんでもってその演奏会の後にリツとフユカちゃんは付き合い始めたのだから、どこにどんなドラマが生まれるかなんて分からない。 よく演奏者と伴奏者、音楽家同士はうまくいかないとか、恋愛にならないなんて聞くけどあの二人には今のところ通用しなさそうだ。 「あんたいつまでうちの教室の前いんのよ。ただでさえもう進路決まってんだから、そんなやつがウチの教室の前にいられると空気ひりつくのよ。早く自分の教室行ったら」 「そりゃ失礼しました☆」 「じゃあね」 彼女はそう言うとピシャリと教室のドアを閉めた。 どんなにつれなくされたって構わない。 だってどうせこうして話せるのも今だけだから。 あと数カ月もしたら、多分もうユアとは会えない。 まるっきり違う人生に決まってる。 その先もきっと交わらないってことも、分かってる。 窓から差し込む太陽の眩しさに一瞬顔をしかめて、俺は自分の教室へと向かった。 * * * * * * * * 「ストップ!ストーップ!!押さえが甘い!!確実に押さえてない!あとまだ遅い!!」 「はい」 「もう一度。それ見たら、もう今日は終わりだ」 「はい。お願いします」 放課後、週2で行ってる師匠の超絶技巧曲のレッスンはむちゃくちゃ厳しい。 教師にどんなに怒られても怖いと思った事がなかった俺でも、師匠ってこういうもんなんだと実感するくらいにケタ外れに厳しくておっかないし無茶もたくさん言われる。 趣味で声楽もやっていて普段はよく通るバリトンの渋い声だけれど、怒鳴った時はマジで雷……イカズチと呼んだ方がふさわしいかもしれない。 体がビリビリとくるような声で初めて怒鳴られた時は、マジでビビって一回逃げた事があるくらいだ。しかも裸足で。 それでもどうしてか俺の行動を大目に見てくれて、どうにかレッスンも続けさせてもらえている。 それ以来俺の事を「クソリュウ」なんて呼んでいるんだから、なかなかに良い関係だと俺は思っている。 それにどうせやるなら完璧に弾きたいし精度を上げたいし、俺が進む道では当たり前にできなきゃいけないのだ。 学校生活では超テキトーにしてるけど、音楽に対する努力だけは全く苦じゃないから自分でも不思議だ。 師匠の厳しいしごきを終えると、先生の奥さんがおにぎりとメンチカツとお味噌汁を持ってきてくれた。 いつもレッスン終わりにちょっとしたご飯を気遣ってくれて、そういう優しさに弱い俺は有難くてちょっと泣きそうになると同時に、食べずに家に帰って母親の顔を無性に見たくなるような複雑な気持ちになってしまう。 まぁ、何だかんだやっぱり腹がへってるから食べちゃうんだけど。 お握りをほおばってると師匠が聞いてきた。 「お前、英語のレッスン真面目にやってるか」 「……一応、してます」 「ドイツ語は英語が基本になってるから英会話真面目にやんなきゃダメだぞ」 「それ前にも聞いたっす」 「向こう行けば当然自炊だし、言葉できないと困る事ばっかだかんな。あと友達作れ。ってお前は大丈夫か」 「それなら多分ヨユーっす。多分、どこ行ってもそこは大丈夫だと思う。それに前にも1年だけドイツいたから大丈夫っすよ」 「おふくろさん、何か言ってるか」 「やー、あんま話してないかもしれないっすね。母親、夜の仕事してるんで。向こう行けば報奨金もあるし、俺にはオヤジの遺産たんまりあるから金の心配もないし、賞とれば賞金も貰えるしそこらへんは大丈夫っす」 「金の話じゃあなくてだな」 「……俺の事一番心配して、それでも応援してくれてるんで大丈夫っすよ。……それに俺が傍にいたんじゃあ母親もいつまでたっても男寄りつかないじゃないっすか。一応?うちの母親美人なほうだと思ってるんで」 「ははは。……そうか」 珍しく師匠にウケたようだ。 師匠と会話してると、親父ってこんな感じなのかなと思う。 次回のレッスンの確認をし、師匠の家を後にした。 外へ出るとしんとした寒さが体を包み、そろそろマフラーを引っ張りださねばと思った。 指先は冷やしたくないのでかろうじて手袋は持っているけれど、それもそろそろちゃんとしたイイやつに買い換えたほうがいいのかもしれない。 駅の改札へ向かう階段途中で「スギタ君?」と名前を呼ばれたので振り向いたら、ユアの仲良しのフユカちゃんがいた。 フユカちゃんはユアとは対照的なふんわりした女の子で、今もベージュのPコートにもこもこしたマフラーと白の耳あてがよく似合っていた。 まだそこまで寒い季節じゃないけれど、その重装備を見てフユカちゃんは冷え性なんだなと思った。 トコトコと駆け寄ってきたフユカちゃんと喋りながら改札へ向かう。 「フユカちゃん、珍しいね。この駅で会うの初めてじゃん?」 「レッスン帰りなんだ。いつもは別の曜日なんだけど。スギタ君も?」 「そ。いつもより少し早めに終わって珍しくこの時間。フユカちゃんも音大行くんでしょ?やっぱリツたちと同じで東央藝大?」 「そんなそんな!私はそんなとこ行けないよ!地元の聖仙大の芸術学部。実家から通える範囲にするつもり」 「そうなの?なんか勿体ねー気するけど。でも聖仙の音楽科も名門だしな。……電車、俺の路線は下り方面だけどフユカちゃんはどっち?」 「私は上り。って、特快には乗れないから15分後だ~。出たばっかみたい」 「じゃ電車来るまで話すか」 「でもスギタ君、もうすぐそっちの電車来るよ」 「下り方面は電車が多いから大丈夫。ホーム寒いし、上で待ってた方があったけーじゃん。一緒に待つよ」 「……そっか。ありがと」 フユカちゃんはそう言ってふんわり笑った。 ユアはいつもフユカちゃんを守るようにして一緒にいるけど何となくその理由が分かる気がした。 小動物みたいな、守ってあげたくなってしまうような。 全く正反対そうな二人が仲良いなんて面白い気がした。 改札を抜けたところの脇にベンチがあるので二人してそこに座る。 いつもはユアと3人で会話をする機会が多いので、こうしてフユカちゃんと二人して並ぶのは新鮮だった。 「スギタ君はもう大学決まってるんだもんね。いいなぁ。私なんてちゃんと受かるか今から不安だよ」 「フユカちゃんなら大丈夫っしょ。演奏も安定してるし巧いと思うよ」 「スギタ君からそう言われると嬉しいな。スギタ君はドイツ生活かぁ。向こうでの生活なんて私だったら想像つかないな」 「俺、前にドイツにいたことあんだよね。中学卒業して1年くらい、ホームステイしながら向こうの先生のレッスン受けにいたんだわ。まぁバイオリン以外はニートみたいなもんだったけど」 「え!?そうなの?すごいね!」 「いや、もう言葉とか必死だったし。結構忘れてるからピンチかもなー。……まぁそれで1年間向こうにいて、留学してた日本人の大学生のお兄さんと仲良くなったわけ。で、そしたら日本の高校も楽しいよって言われてさぁ。そのままドイツで世話になるかやっぱり日本に帰ろうか迷ってたんだけど、俺んち母子家庭だから母親も一人だしって思って、それでこっち戻って来て一年遅れで高校入ったの」 「そうなの!?じゃあスギタ君って私たちより1個上?」 「そうなるね。母親の地元がこっちなんだけど、音楽科のある高校もたまたまあってラッキーって感じだったし。既卒1年経ってたけどバイオリンはできたからそれで入れたわけ」 「私、全然知らなかった~。てっきり同い年かと……」 「入学も一緒だし、そもそも1歳差なんて変わんねーよ。バイオリン歴も俺より早く始めてればキャリア的にも変わんねーし」 フユカちゃんは驚いたり笑ったり、くるくると表情豊かだ。 リツも彼女のこういうところが可愛いって思ってるんだろうなぁ。 「でも、スギタ君そんなに遠くに行っちゃうの、不安じゃない?」 「全然。むしろもっと色んな国行きたいって思ってるし。もちろんプロになる前提で」 「あははは。スギタ君らしいや」 「なぁ、いっこだけ聞いて良い?」 「あ、ユアちゃんのことでしょ」 つとめてさりげなく言ったつもりだけれど、ずいぶん分かりやすかったらしい。 いきなり図星をさされて言葉につまりそうになった。 フユカちゃんは変わらずニコニコしている。 ……何となく、この笑顔には勝てそうにないなと分かって白旗をあげた。 「……何か、俺のこと言ってた?いや、何も言ってないんならいいんだけど」 「何にも言ってないよ」 「だよなぁ」 付き合っているわけでもなし。 お互い好きだと言ったわけでもなし。 だから、俺がユアを気になるのも、ユアが俺を気にしてくれているかという事を考えるのも、本当なら何の意味もないことだ。 それなのに何となく間接的にでも確かめずにはいられなかった。 まぁ、好きって言ったところでこれからの距離があまりにも遠すぎるし、どうにもならないに決まっているのに。 子供の恋愛なんて大人の世界に飛びだせば、簡単に消えてしまうに違いない。 そう思っていたら、フユカちゃんが続けた。 「でもね、すごく気にしてるよ。ユアちゃん意地っ張りだから口にしないだけで、多分心の中ではスギタ君に聞きたいことや言いたい事がありそうだなって、ちょっと思う」 駅のアナウンスが、もうすぐ上り方面の電車がくる事を伝えた。 フユカちゃんはベンチから立つと思い出したようにレッスンバッグから一枚のチラシを出した。 差しだされたそれには、地元の総合病院で開かれるミニコンサートの案内が記されていた。 奏者の名前にはリツとフユカちゃんの名前がある。 「リツ君のお母さんね、ピアノ教室の先生なの。そこの楠山病院の看護師長さんと知り合いらしくて毎年開いてるアンサンブルコンサートなんだって。今回は私とリツ君と、リツ君の弟さんのゲン君がチェロやるの。もし良かったら来てみて」 「へー。リツの弟はチェロなんだ。って受験生に容赦ないな」 「私とリツ君がムリにでも出たくって。曲も簡単なものだし、私も息抜きしたいし」 「息抜きでピアノじゃあホント休みねーな」 「ふふ。考えてみればそうだね。……良かったらスギタくんからもユアちゃんに声かけてごらん。多分、何だかんだで来てくれると思うから。じゃあもう私行くね。一緒にいてくれてありがとう、スギタ君」 「俺もちょうど電車きそうだし大丈夫。行けたら行く。さんきゅな」 下り方面の電車案内のアナウンスがちょうど構内に響いた。 俺もベンチから立ち上がりその場で別れた。 フユカちゃんは電車に乗っても、見えなくなるまで手を振ってくれた。 電車に乗りながらチラシをもう一度見る。 開演時間は午後の1時半からで、曲目は『きらきら星』『ユーモレスク』『眠れる森の美女』『カノン』『愛の挨拶』『愛の歓び』などポピュラーでどれも明るい曲だ。 『きらきら星』を見て、何となく懐かしくなる。 女の子と一緒に弾いた病院は都心にある大病院だったから全然違う場所だけど、この曲が俺がバイオリンを好きになった原点だ。そう思うと聴きたくなってきた。 日曜だけど今週はレッスンを入れずにメンテナンス日にしてあったから多分行けそうだと思った。 * * * * * * * *
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