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「わーい、海だ、海だ。」
助手席で、まるで子供のようにはしゃぐあゆみ。先日まで体調が悪そうであったのがウソみたいだ。真夏の太陽に晒されて美しく輝く海に見惚れる。
「兄貴!ちゃんと前を見て運転しろよ。」
後部座席から俺が身を乗り出す。
「うるせえな。分かってるよ。俺の運転テクを信じなさい。お前は黙って綺麗な海でも眺めとれや。」
あゆみと付き合い始めて1年になる。あゆみが大学の講義の時に体調不良で倒れて病院に付き添ったのがきっかけだった。後日あゆみの方からお礼に食事をごちそうしたい、と誘われた。俺は兄貴と二人で暮らしているが、付き合い始めて3か月ほど経った頃から、俺達の家にもちょくちょく訪れるようになった。ある日兄貴が言った。
「これ、合鍵。あゆみちゃんに渡してやれよ。」
「ありがとう、兄貴。助かるよ。」
俺は珍しく兄貴にきちんと礼を言った。たまにはいい事をしてくれるものだ。今日は雪が降るかもな・・・。あゆみに渡すととても喜んでくれた。
「私、一人暮らしなんだけどさ。」
あゆみは言った。
「家賃高いんだよね。あと最近体調不良多いでしょう。家で一人っきりっていうのは不安なのよ。あなたの家に引っ越してもいい?」
兄貴に尋ねるとあっさり了承した。こうして三人暮らしが突然始まった。三人暮らしとは言っても兄貴は家にいないことの方が多く、実質的には二人暮らしと何ら変わりなかった。
あゆみは最近も体調不良となり、病院に行ったが風邪と診断を受けた、と言いホッとしていた。
「夏休みに伊豆の海に行かない?ちょっと早い卒業旅行。」
あゆみが提案してきた。
「卒業旅行か。随分早いな。まぁ、いいか。行こう。」
俺が同意するとあゆみは嬉しそうに言った。
「やったぁ!海岸をドライブしたいんだよね。お兄さんも誘ってさ。」
「えー!兄貴も?二人で行くんじゃないの?」
俺が露骨に嫌がると
「確かに二人っきりで行きたいけど、あなた免許持っていないじゃない。」
と、あゆみが言い、俺は渋々了承した。
俺はこうしてあゆみと付き合ってきた日々を思い返しながら、美しい海を見つめる。これまでにあゆみを抱きたいと思ったことも何回かあった。が、頑なに拒まれ続けた。
「ごめんなさい。体調が悪いから・・・。体調が万全になってからにしたいの。」
と言われ続けた。今夜、伊豆のホテルであゆみを抱きしめたい、そんな衝動に駆られる。
「裕二、そこのバッグに入っているペットボトルを取ってくれ。喉かわいた。」
ふいに雄一が声をかけてきた。ハッと我に返りバッグの中身を探る。交通安全のお守りが入っている。それを軽い嫌がらせのつもりで雄一に渡す。
「母さんがくれたんだろ、このお守り。こんな汚ねぇバッグの中じゃなく、車の中に飾っておけや!」
俺が言うと雄一はムッとして言った。
「このお守り、邪魔なんだよ。俺はお守り嫌いなんだよ。裕二!お前にやるよ。お前のポケットの中にしまっておけや。そのゴミ箱のようなポケットによ。」
兄貴が憎まれ口を叩いてくる。あゆみはゲラゲラ笑っている。俺もつられて笑いながら、お守りをポケットに押し込んだ。
「いいから早くペットボトルよこせや。使えねぇな。」
俺は笑い続けながらペットボトルを兄貴に渡すと、兄貴は俺を見ながらペットボトルに口をつける。
「だいたい裕二、テメーはな。免許も持ってねぇくせに生意気なんだよ。免許くらいさっさと・・・。」
雄一が文句を言い始めたその時だった。あゆみが叫んだ。
「お兄さん!前!」
目の前にはガードレールがあった。
「あゆみちゃん、大丈夫か。起きろ。」
どこからともなく兄貴の声が聞こえる。
「雄一さん、無事だったんですね。」
あゆみの声も聞こえる。その声で俺も目が覚めた。
「おお!裕二も無事だったか。」
兄貴が意識の戻った俺に気づく。
「ああ。兄貴もあゆみも生きてて良かったな。俺達、事故ったんだよな。そういえば。ケガは比較的軽くて良かった。ここってどこ?」
俺は兄貴に尋ねた。が、兄貴も定かではないらしい。
「どこかの川だな。何ていう川だろう。とにかくあそこにボートがある。皆で向こう岸に渡ろう。向こう岸には美味しい水もあるし、ペンションもある。あそこで一緒に休もう。」
ボートに近づくと雄一は言った。
「このボートは二人乗りなんだ。裕二、あゆみちゃんと先に行ってくれ。後から俺を迎えに来てくれればいいから。」
「ああ、分かった。」
俺が言ってあゆみの手を取ろうとしたが、あゆみは俺の手を振り払って言った。
「ごめんね。雄一さんが連れて行って。ごめんなさいね。」
と、雄一の手を握った。俺はボートに乗り込む二人を呆然と見守る。
「なんだ、アイツら。もしかしてデキてんのか。まさかな。向こう岸に辿り着いたら、あゆみを問い詰めてやる。」
向こう岸から兄貴が戻ってくるのが見えた。手を振っている。俺も手を振り返した。その時だった。
「行くな!行っちゃいけない!」
誰かの叫び声が聞こえた。ポケットの中から聞こえた気がした。ポケットの中に入っている物はお守りだけだ。
「行くな!あの川は三途の川だ。行ったら死んでしまうぞ。逃げるんだ!」
俺はその瞬間、岸とは逆方向にダッシュした。身体の痛みも忘れて、死ぬ気で走る。しかし、兄貴も信じられないスピードで追いかけてくる。
「待て〜!裕二!!待て〜!!」
差はどんどん縮まる。追いつかれる。もうダメだ。その時だ。上空から手が伸びてきた。俺は藁をもすがるような気持ちでその手を握った。その手が俺をグイッと引っ張る。
「クソ!!逃げられた!」
後ろから兄貴の叫び声が聞こえた。
気がつくと俺は病院のベッドの上にいた。医者と看護師と両親が俺を見つめていた。そして俺の右手は母の手をギュッと握りしめていた。温かい手だった。
「良かったわ、気がついて。」
そう言う母の目からは涙が溢れていた。
「雄一が死んで、あなたまで死んだらどうしようか、と・・・。」
母が泣き出した。
「兄貴が・・・死んだ?」
俺が不思議そうに尋ねると医者がゆっくりと話し出す。
「お兄さんは交通事故で即死でした。同乗者のあなたとあゆみさんは重体でしたが、あゆみさんは先ほど死亡が確認されました。残念です。」
三途の川のほとりで、雄一は苛立っていた。
「クソ!!アイツも道連れにしようと思ったのに。誰だ。アイツに入れ知恵をしやがったヤツは!」
後ろからあゆみが雄一を抱きしめて言う。
「いいじゃない、雄一さん。あなたと一緒に死ねて私幸せ。」
あゆみの柔らかい肉体の感触が、雄一の苛立ちを鎮める。これまでもずっと雄一はあゆみを抱くことで癒されてきた。初めて雄一があゆみの身体を抱いたのは、あゆみが引っ越してきた夜だった。雄一が用意したワインを三人で乾杯した。元々酒に弱い裕二はすぐに寝入ってしまった。あゆみもそれほど酒に強くはなかった。酔ったあゆみが雄一に身体を預ける。こうして二人は、寝ている裕二のすぐ傍で一つになった。その後、雄一は裕二の目を盗んではあゆみを抱くようになった。あゆみもまた、裕二に身体を触れられるよりも、雄一の身体を好むようになっていった。次第に裕二に嫌悪感さえも抱くようになり、雄一のみを求めるようになった。
「そうだな。俺達の関係、アイツにバレずに墓場まで持っていけるな。」
雄一は満足そうに言う。あゆみは続けた。
「そうよ。私ね、実は末期ガンの宣告を受けていたの。だから今度の旅行先であなた達を殺して私も死ぬつもりだったの。一緒に逝きたかったのよ。一人じゃ淋しいからね。大好きな海を見ながら死にたかった。でも裕二さんは・・・ツイてるわね、あの人。」
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