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わざとらしいほどに明るい声と笑顔で言ってみたが、ケンはわずかに口元を緩めただけで、なにも言わない。少し乱れた髪。襟元を少し開けたグレーのシャツにスラックス姿で、突っ立っている。
寝ていたのかとベッドを見ても、二つあるベッドは片方にジャケットとネクタイが脱ぎ捨てられ、どちらも使われた形跡がない。なにかを飲み食いした様子もない。小さな丸テーブルのそばの椅子は動かされているから、使ったようだ。
「お前も来たばっかりか?」
「いや、電話した時にはもう部屋にいた」
ということは、ケンはただじっと椅子に座り、この部屋で自分を待っていたのか。やはりよくないことがあったのではないかと、胸がざわめく。
「……なあ、抱きしめてもいいか?」
まっすぐにシュウを見つめる瞳。思いつめたような顔だ。
「なに今さら許可求めてんだよ?」
あの日の返事はまだしていないから、ケンは遠慮しているのだろうか。シュウは帽子を取り、ケンの脱ぎ捨てられたジャケットのそばに投げて、ケンに歩み寄った。
ゆっくりと身体に絡んでくるケンの腕。ぬくもりを味わうかのように、少しずつ密着する身体。熱い体温、力強い太い腕。頭に押しつけられる頬。シュウを抱きしめ、深く長く、ケンはため息をついた。
シュウも少しとまどいながら、ケンの背中に腕を回す。こんなふうに、ただ静かに抱きあったことがこれまでにあっただろうか。思い出せない。
打ちのめされたようにも見えるケン。抗争に負けたのか。負けたとしたら、今後ケンはどうなる……?
シュウは背筋が寒くなるのを感じた。ケンは裏組織の後継者として育てられ、ボスとして生きてきた。もしボスの地位を追われたら、ケンはどうやって生きていくのだろう。
「終わったんだ」
不意にケンが言った。
「終わった?」
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