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不意打ちを食らい、声もなくシュウを見るケン。見つめていると、じわじわと広がる喜びを噛みしめるかのように微笑む。
「おう、そうしよう」
ケンと抱きあった時、ダイスケを思い出さなかった。だからたぶん、大丈夫だ。ケンをダイスケの身代わりにしてしまわないか、それが少し怖かった。長年そばにいたケンよりも、出会ったばかりのダイスケを選ぼうとした自分すら許してくれるケンに、申し訳なくて。
「腹減ったな、ホテルの中のレストランでいいか?」
「俺はいいけど、食事なんてどうでもいいお前にはもったいねえだろ」
起き上がりながらいつもの調子で軽口をたたくシュウに、ケンはうれしそうだ。
「……なんだよ?」
「いや、なんでも。なんか急に腹減ってきた、早く行こう」
ケンは開けていたワイシャツのボタンを留め、ジャケットを羽織った。シュウもストールを巻き直し、部屋を出る。
「さて、なに食おうか」
「無事済んだことを祝うべき日だろ、お前が食いたいものにしろよ」
「俺はお前が食いたいものでいいよ」
ホテルの廊下を肩を並べて歩く。こんなたわいない会話だけ積み重ねて、生きていけたらいい。ダイスケといる時にも思ったことを、シュウはあの時とは違う気持ちで噛みしめる。
いつどうなるか分からない世界で、いつなにがあってもおかしくない裏社会のボスとして生きているケン。気づくのが遅すぎたかも知れないが、一緒に過ごす時間を大事にしなければ。
「じゃ、俺天ぷらがいいな」
申し訳なさを隠して、ことさらに明るくシュウは笑った。
「ホント、お前は贅沢だよな」
「うまいもん食って、楽しく生きた方がいいに決まってんだろ」
シュウは肩をすくめるケンの背中を力強くたたき、ちょうど来たエレベーターに押しこむように乗せた。
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