ご自由に跨がってください

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ご自由に跨がってください

「……は?」  私は、目の前に広がる白い空間を見て間抜けな声を漏らした。  どういう事?  確か、私は王宮の中にいたはずだ。  私はセイブレベル王国の伯爵令嬢、エトラ。  我ながら美しいと思う金髪は、大切に手入れをしている。  いつも侍女に綺麗に巻かせているそれを靡かせ、気の強い顔立ちに合った強い色味のドレスで颯爽と歩いていると、誰もが私を〝薔薇の令嬢〟と呼び羨望の眼差しを向けてくる。  呼吸するように「美しい」と言われているので、もはやそれらの言葉は私にとって意味をなさなくなっていたのだけれど……。  加えて、私は少し特殊な立ち位置にいた。  多少、ものをハッキリ言う性格だからか、知らない間に周囲から恐れられていたのだ。  令嬢たちは私を見ればおもねる表情を浮かべ、怒らせたら首を撥ねられるというような態度を取ってくる。  あいにく、私は女王ではない。  ただの伯爵家令嬢だ。  男性たちの間にはどんな噂が流れているのか、私の顔を見れば流し目を送ってきたり、片目を瞑って目配せしてくる。  どうも、誘えばホイホイと応じる股の緩い女と思われているようだ。  残念! 私はいまだ誰にも体を許していません!  そんな周囲の人間に辟易としつつ、私は日々それなりに上手く立ち回っていた……はずだった。 「ちょっと待って?」  どこまでも広がる果てのない白い空間の中に、一つだけ異物があるのだが、見ない事にする。  私は〝それ〟に背中を向け、腕を組んで考えた。  さっきまで、お茶会にいたはずよね?  王女殿下と、聖女アリアが主催するお茶会に招待され、他の令嬢たちと一緒に楽しいひとときを過ごしていたはずだ。  様々な話をし、王女殿下が私にやたらと兄君――王太子殿下の話題を振ってきた。  とはいえ、私は事情があって王太子殿下が苦手なので、のらりくらりと話題をかわしてようやくお茶会が終わった――はずだったのだ。  お喋りをしながら何倍もお茶を飲んで、私の体は温まっていた。  火照りを覚えていたから、許されるのなら一刻も早く外に出て風を浴び涼みたかった。 「それで……、終わりを確認してから、まっさきに部屋を出た……はずなのよね?」  独り言ちながら、私は当時を再現すべく行動に出た。 「立ち上がって……お辞儀をして、歩いて、ドアを開けて、廊下に出た」  白い空間はどこにでも広がっているので、行動範囲など構わず当時を再現した。  ドアを開けた時、確かに私は向かいに広がる大理石の床や、その向こうにある大階段、階段の手すり上にある女神像などを目にしていた。  それが、一歩踏み出した途端にすべてが消え、ここにいたのだ。 「……魔術のトラップ?」  いやいや……と思わず顔の前で手を振りながら、私は嫌な顔をする。  この世界では聖女がいて奇跡を起こし、また王国の顧問的存在の魔女や魔術師もいる。  他国には世界一と言われている、ルドルフという美形な魔術師がいるようだ。  人外とも関わっているらしい彼の手に掛かれば、さすがにどれだけ権力を持っていてもひとたまりもないらしく、彼は大陸中の人から一目置かれていた。 「いや……、まさかそんな大物に構われるなんて思っていないし」  一人つぶやき、私はそろーり……と振り向く。 〝あれ〟はいまだ変わらない場所にあった。 「万が一、他の魔術師の罠に掛かったとして……」  私はいやぁ……な顔をして、ようやく〝あれ〟の方を向いた。  目に入ったのは、何とも珍妙な形をした木馬だ。  木馬と言えば馬の形をした乗り物だが、その鞍――跨がる箇所には、明らかに男根とおぼしき形の異物が二本生えていた。 「冗談でしょ……」  おまけに、この白い世界の床なのか地面なのか分からないが、特大の文字でこう書いてある。 『ご自由に跨がってください。絶頂すれば元の世界に戻れます』 「あぁあああぁああっっ!!」  私は突如として声を上げ、血走った目でその文字を踏みつける。  ダンッダンッと踏みつけてその場でジャンプすらし、激しく暴れた――あとに、呼吸を整えながら自分を落ち着かせる。 「いや……、待って? 流石にこれはないでしょ?」  額に手を当てて誰もいないのに、私は必死に「待って」を繰り返す。  落ち着いて……。  そう、深呼吸をして、吸って、吐いて。  目を閉じて何度も呼吸を繰り返して、少し落ち着いて目を開けると、足元の文字が変わっていた。 『初めてでしょうから、こちらの特製オイルをご自由にお使いください』 「へっ!?」 『こちら』と書かれた先に矢印があり、その先にはこの状況の中で嘘のように優美な瓶が置かれてあった。  中には到底まともな物と思えない色――ピンクの液体が入っていて、ガラスの蓋には繊細な妖精の飾りがついていた。  こんな状況だというのに、恐ろしく凝った物を出してくる。 「何なのよこれ……」  うめくと、足元の文字がパッと変わった。 『お茶会でエトラ様はしこたま媚薬入りのお茶を飲んだはずですが、頑強な理性を働かせているので、あともう一歩を押す媚薬です』 「媚薬!!」  私はまた足元の文字をダンッと踏みつけた。  道理で動悸息切れがしていた訳よ……。  ずっと体が火照っていて、下半身がおかしかったのは、お手洗いに行きたいと思ってからかだと思っていたけれど……。 「まさかの媚薬!」  誰にともなく盛大に突っ込み、私は自慢の金髪をかき乱してうなる。 「そんな物、使える訳がないでしょう! 私はまだ誰にも体を許していないのよ!」 『知ってます(笑)』  …………ちょっと待って。 (笑)ってなに?  あからさまにおちょくられているのに気付き、私はこの状況に対する怒りがふつふつとこみ上げるのを感じる。 「誰か見ているの!?」  大きな声を上げ、私は前後左右、天と地を見回す。  だが白い空間に私の声が響くだけで、人影はおろか、生き物の陰すら見つける事ができない。 「……魔法ね」 『ご名答!(笑)』 「だから、いちいちその(笑)ってつけるのやめなさい!」  足元の文字を怒鳴りつけてから、私はイライラとして指でこめかみをうつ。  落ち着くために地面に座り、瞑想するように呼吸を整えた。  しばらくしてから目を開くと、目の前の文字がまた変わっている。 『こうしている間にも、〝外〟の時間は刻々と流れていますよ。あなたが意地を張れば張るほど、〝外〟では時間が流れ、あなたが行方不明になっている期間が延びます』 「な……っ」  それは困る。 『現在、〝外〟では王太子殿下が愛しのエトラ嬢を探すために、捜索隊を指揮しています』 「えぇっ!?」  世界で一番苦手な人の名前が出て、私はお腹の底から声を出した。 「ぜっったいにあの方に借りを作りたくないわ!」  私は王太子クーゼルに求婚されていた。  どうも、気に入られてしまったのが原因のようで……。  クーゼル様は三十歳を目前にして、今まで女性とお付き合いした事がないらしく、国王陛下からも早く結婚をするよう言われているようだった。  王女殿下からの招待を受けて王宮まで向かった時、空き時間に庭園を歩いていたら、バラ園近くにあるガゼボで偶然クーゼル様に出会った。  彼はたびかさなる「結婚しろ」に参っていたようで、落ち込んで今にも首に縄を掛けそうな顔をしていた。  それまで私にとってクーゼル様は別世界の人で、特に彼がどうなっても自分の人生には関わりがないと思っていた。  けれどさすがにそんな姿を見ては気の毒になり、可能な限り彼を励ましたのだ。  私に他意はなく、その場にもし第三者がいても、親切からの激励だと思うものだった。  だがその翌日から、クーゼル様は私に猛烈な勢いで求婚し始めた。  いわく、「運命の女神だ!」らしいのだが、刷り込みもいいところだ。  王女殿下のお気に入りになるのは嬉しかったけれど、最近は顔を合わせれば「お兄様とはどう?」ばかりで辟易としていた。  この白い空間に来る前も、その話題ばかりで私は精神的に疲れていた。  とはいえ、現実世界と隔離されたここで時間が過ぎ、行方不明状態が続くのは困る。 『可哀想に……。王太子殿下は今にも死にそうな顔をしてあなたを探していますよ』  ……そりゃあ、あの方なら命がけで私を探すでしょうとも。 「〝あなた〟は魔術師なの? 誰の依頼を受けたの?」  尋ねても、床の文字が変わる事はなかった。  応えるつもりはないという事ね。  ……となれば、あの木馬に跨がってこの世界を出るしか、手段はないという事になる。 「……勘弁してよもぉ……」  思わず令嬢らしからぬ弱音が漏れるが、知った事ではない。
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