十六、姫君の赦し - la Princesse embrasse -

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十六、姫君の赦し - la Princesse embrasse -

 ギイがそれを知ったのは、父親と兄を泥の道で亡くした頃だった。  エラデールは元々ビゼ家の所領で、よく治められ、豊かな土地だったという。ところが、戦の混乱により働き手が多く死に、領地の運営がうまくいかなくなった。困った領主が近隣の領地の富豪に多額の金を借りたことをきっかけに、一族の没落が始まった。  ギイの曽祖父が領主になってから十年ほどで、エラデールの領主の座が高利貸しに乗っ取られた。それが、デュロン家だった。戦禍によって一族が滅びることは、しばしば起こることだ。その結果として領地の所有権が移ることも珍しくない。例え法的に無理があったとしても、戦乱に紛れてしまえば他愛もないことだ。  ビゼ家は、再興の幸運を掴むことなく離散した。  元は領主の令息であった祖父は王都へ流れ着いて鍛冶職人となり、その息子であるギイの父は鍛練を積んで王国の騎士団に入った。騎士団の中で着実に出世していったのは、家の再興を目的としたからだ。十以上年の離れた兄も、それに倣った。  父と兄が泥の道の調印に追従する騎士として選ばれた頃は、不遇のビゼ家にとって失った爵位をあと少しで再び手に入れられるのではないかという期待に満ちていた時代だった。  それが、父と兄の死で崩れた。  母は程なくして心労に倒れ、毎日譫言(うわごと)のように夫の悲願を呟き続け、やがて死んだ。  非力な少年は町の外れの小さな神殿で孤独な母の葬儀を終え、小さな家を売って金を作り、父と兄の残した僅かな財産を手に王都を発った。  ギイはその後の数週間の記憶を、ほとんど覚えていない。突然天涯孤独の身となってしまった十二歳の少年には、余りにつらい現実だった。生命を繋ぐので精一杯だったのだ。  しかし、母の譫言は覚えていた。本当なら父がエラデールの主だった。エラデールで一族と領民がわたしたちの帰りを待っている。――何度も繰り返される言葉は呪いのように耳に染みつき、ギイの行動の指針となった。  ところが、僅かな希望を求めてエラデールにやって来た少年を待っていたのは、荒れ果てた田畑と、‘ビゼ’などという名も知らない領民たちだった。当時の領民の中で最も顔の広かったオーギュスト・ルマレという男が、ギイを不憫に思って引き取ってくれた。その男も、戦功を上げて帰ってくると戦へ行ったきり、戻らなかった。  ルマレの養子として、ギイは領民に助けられて成長した。元々器用で教養もあり、人の中に立つのが巧い質だ。十代も後半になる頃にはエラデールの中心人物になっていた。  王都から軍装の客人がやって来たのは、戦が終わって二年が経とうかという頃のことだ。  イサクと名乗るその若い男は、オーギュスト・ルマレの遺品を届けに来た。若い頃に亡くした妻とオーギュスト自身の指輪だった。戦死の際、故郷の息子に届けてくれと頼まれたのだという。  そして、驚くべきことを言った。 「ビゼ家の所領を取り戻す野心はあるか?ギイ・ニコラ・ビゼ」  ギイは、初めてこの男の顔を正面から見た。薄茶色の柔らかい目は深い闇と鋭い光を持っていた。ただの軍人ではない。 「何故知っている」  とは、訊かなかった。オーギュストが軍人仲間に自分のことを話したのかもしれないし、王国政府が調べようと思えば簡単に自分に行き着くだろう。何かが水面下で動いている。 「俺に何をさせたい」 「害虫を燻し出してくれ」  イサクは家人に茶を所望するような気軽さで言った。 「戦後の処理で発覚した。エラデールは領主の名が五十年前に、恐らくは違法な手段で書き換わっている。それ以降、どうにも金の動きがおかしい。領地の金は王国の金だ。不正は許されない。だが暴くには証拠がいる。関係者も全員暴きたい。だが、王国政府は法律上の問題で今の段階では直接介入できない。そこで、ギイ・ビゼ。何年かかってもいい。全員――不正な取り引きに関わっているもの全員だ。君が暴け。得意の人心掌握術を使って、バレないように、慎重にな」 「それで、ビゼ家の所領が報酬か」 「報酬は領地だけじゃない。先祖が失った爵位も名誉も挽回できるぞ。ビゼ家の悲願だろう」  ギイは、この話に乗った。  イサクの間諜となって二年ほどが経った頃、領内で顔の広いギイは領主邸に出入りを許されるようになった。  心身に問題を抱えている領主が軟禁も同然の状態で執事に飼い殺しにされているのを知ったのは、それから間も無くのことだ。それほど間を置かずに、横領の他にも違法な植物の栽培とオピウムの製造を秘密裏に行っていると知った。  ギイは、その事業に噛ませて欲しい素振りを続け、その対価としてボンフィス親子の使い走りをしながら、彼らの信用を得たのだ。  招かれざる教育局の役人を屋敷に逗留させて監視しろと命じたのも、ボンフィスだった。  シダリーズを自分の目の届く屋敷に置いてすぐに帰せば、彼女たちがボンフィス親子に目をつけられることなく安全に帰せると思った。が、シダリーズがこれほど厄介な胆力を持ち合わせていることは、ギイの大きな誤算だった。  話を終えたギイの頭を、シダリーズはくしゃっと撫でた。自分よりもずっと背の高いこの男が、十二歳の少年のように見えた。  そして、だんだん怒りが湧いてきた。  ギイを間諜として調達したイサクという名の男を、シダリーズは知っている。 「イサク・マジノ――まったく、あのタヌキ」 「知り合いか」  ギイが吐息で小さく笑った。 「国王陛下の側近よ。(まつりごと)の裏のことを仕切ってるのは彼。すっごく優秀なんだけど、陛下のためなら倫理観なんて犠牲にできちゃう人なの。…知ってると思うけど」 「みんなそうだ。自分の正義のために平気で他人を踏みつける。俺も同じだ。ビゼ家の再興のために、八年も重税に喘ぐエラデールを見殺しにしてきた。ボンフィスの信用を得るために不正な取り引きに手を貸したし、オピウム(麻薬)の運搬もやった。エラデールへの裏切りだ」 「あなたは自分を犠牲にして戦ってきた人よ。わたしたちの命も助けてくれたわ。執事を誘導するために火を点けた小屋も、大切な証拠だったのでしょう」 「そうだ」  あそこに、取り引きの証拠となる顧客の帳簿も置かれていた。ギイが何度となく盗み出そうと試みたが、用心深い執事の目が常に光っていたためにその都度断念を余儀なくされた。  もう少しで温室の管理を任されるところまで来ていた。そうなれば帳簿を持ち出して領の外にいる顧客を残らず捕らえ、報酬として爵位と所領を取り返せた。  思えば、これがビゼ家の運命かもしれない。もう少しで手に入りそうなものを手に入れることなく、人知れず尽きていく。 「だが、それでもいい。別に、家の再興なんて元々できるとは思っていなかった。したところで俺に領地運営が務まるかもわからない。それより、あんたが無事に生きてる。そっちの方がずっと大事だ」  シダリーズは肩で支えていたギイの頭に触れ、両手で頬を挟んで正面を向かせると、ざらざらした顎の髭を指の腹に感じながら爪先で立って、その唇の端にキスをした。 「あなた、エメネケアのクィントゥスよりも勇敢な英雄だわ。守ってくれてありがとう」  ギイはシダリーズの頬を優しく撫で、目元を拭ってやった。 「あんたは泣き腫らした顔をしててもきれいだ。この世の何より」 「そ、そんなこと――」  シダリーズは顔色を変えた。発火しそうなほどに顔が熱い。が、すぐに顎を上げた。 「知ってるわ。王国の花だもの」 「俺が英雄なら、王国の花を摘む赦しは得られるか」  ギイの青い目が純粋な欲望を映して、シダリーズを見た。炉に入れた火のように熱いのに、月明かりのように優しい。 「…英雄は花を摘むのに赦しなんて乞わないわ」  その瞬間、シダリーズの身体が宙に浮き、ギイの腕の中に抱き上げられた。身体が優しくベッドに下ろされ、ギイの精悍な身体が覆い被さってくる。  シダリーズは息をするような自然さでギイの身体を抱き寄せ、その首に鼻を擦り寄せた。暖かな太陽のにおいがする。  ギイの熱い吐息が唇を舐めると、全身の肌がちくちくと痺れた。 「ん、う…」  重なった唇の下で、シダリーズは呻いた。  背中に回された大きな手がドレスの紐を解き、暴いた素肌に熱を描いてゆく。舌が絡まる度にギイの息遣いが激しく熱を増して、シダリーズの身体の中に変化を起こさせた。  おなかの奥が熱い。  懇願するように広い肩にしがみ付いて舌を絡みつかせ、耳に響くのがどちらの呼吸かも曖昧になった頃、ギイは顎を引いて唇を離した。肌に感じるギイの小さな躊躇が、ひどくもどかしかった。 「ひどくするかもしれない」 「いいわ」  シダリーズはギイの顎に指で触れた。 「あなたなら、何でも――」  ギイの凜々しい眉が苦しげに歪んだと思った瞬間、肌に噛み付かれた。  心臓が割れそうなほどに鼓動し、シダリーズの身体に沸くような血を走らせて、思考を鈍らせていく。  ギイは貪り喰らうような激しさで唇を重ね、半ばまで解いたドレスの紐を引いて下着ごと引き下ろし、シダリーズの白い肌を晒した。 「リーズ…」  獰猛な獣に喰われているような気分だ。ギイの熱い吐息が乳房を湿らせて、噛み付いてくる。  舌が乳房の先端を這った瞬間、甘い痺れがシダリーズの身体に走り、こめかみがざわざわと粟立った。シダリーズは呼吸を荒くしながら肌に刺すような快楽を刻んでゆくギイの髪に触れ、乳房を覆う大きな手を掴んだ。余りに快感が大きすぎて、どうにかなってしまいそうだ。 「だめだ。拒むな、リーズ」 「拒んでないわ」 「そうか?」  ギイは優しく言って臍に舌をねじ込み、下腹部へと舌で辿った。その先の茂みの中に、泉が待っている。 「あぁ…っ」  自分でも驚くほど容易にギイの指の侵入を許した。湿った音がやけに耳に響いて、逃げ出したくなるほど恥ずかしい。しかし、それ以上にギイの熱情に満ちた顔から目が離せなかった。  指が中心の浅い場所をくすぐってシダリーズが小さく悲鳴を上げたとき、腹の下にキスするギイの深海のような目が、シダリーズの潤んだ目を捕らえた。一瞬、笑ったように見えた。 「ひゃっ!」  強烈な刺激に悲鳴が漏れた。ギイが秘所の奥を指で探りながら、入り口の突起に吸い付いている。 「んっ、ん、あっ…ギイ――」  ギイの舌と指が触れる場所から快楽が全身に広がって、身体から力を奪った。身体を捩っているうちにギイがシダリーズの腰を掴んで拘束し、更に奥まで入り込んでくる。  やがて全身を巡る快楽が脳に到達し、その波に抵抗する余裕もなくシダリーズが絶頂に達すると、息つく間もなくギイが覆い被さってきて、唇を奪われた。  シダリーズは夢中でそれに応え、そろそろと指を胸元へ伸ばしてシャツの紐を解いた。ギイは腕を上げて煩わしそうにシャツを剥ぎ取ると、よく鍛えられた精悍な身体を陽光に晒した。シダリーズは胸が苦しくなった。この男はやはり太陽がよく似合う。 「リーズ、もう入りたい」  シダリーズはこくこくと頷くことしかできなかった。  ギイの脚の間が苦しそうなほどに熱くなっているのが分かる。この肉体が自分をどう造り変えてしまうのか、シダリーズはもう知っている。  互いに引き合うように唇が触れ合い、シダリーズはギイの手が導くまま脚を開いた。屹立したギイの一部が湿った音を立てて熱く熟れたからだの中心に入ってくると、シダリーズの内側で何かがぱちぱちと弾けた。 「んっ、ああ…!」  気持ちいい。  内部を押し広げられ、いちばん深い場所にギイが侵入した時、堪らず悲鳴を上げた。腹の奥を抉られるような強い衝撃だった。痛いのに、それよりも快感が激しく襲ってくる。  汗と陽だまりのような肌の匂いがシダリーズの肌の上で溶け、熱い皮膚の下で隆起する硬い筋肉が、シダリーズの官能を呼び覚ました。  耳に直接触れるところで、快楽に呻くギイの声が聞こえる。これ以上暴れようがないと思っていた心臓が痛いほどに締め付けられて、体内にあるギイの形がはっきりと分かってしまうほどに内側が熱く狭まった。  ギイの律動が新たな波を呼び、感覚を鋭くさせる。腹の奥から痛みにも似た情動が起きて、シダリーズのあらゆる器官を快楽で満たした。 「んッ…ふ」  シダリーズが唇を噛んでくぐもった声を上げると、ギイが首筋から顔を上げてシダリーズの顎をつまみ、引っ張った。 「聞かせろ、全部」 「うぅ、けだもの」 「今更?」  ギイが歪に笑った。こんなふうに意地悪く笑われているのに見蕩れてしまうなんて、どうかしている。脚を高く担ぎ上げられて恥ずかしい姿を晒しても、羞恥よりも愛おしさが勝って、ギイの身体を受け入れてしまう。 「ああ、リーズ。悪い。もう無理だ」 「え、あっ、ひゃっ!」  余裕をなくしたギイが激しさを増してシダリーズの最奥部に自身を刻みつけ、シダリーズに悲鳴を上げさせた。  自分の中が熱を増して溶け出しているのが分かる。蜜が臀部まで滴り、熱く硬いギイの身体が肌に重なって、もう境界が分からない。  シダリーズは強く身体を抱き締めてくるギイの背に腕を回してしがみつき、甘い悲鳴を上げながら、身体を冒し、脳を冒してまっすぐに立ち昇ってゆく法悦の果てに意識を投げ出した。同時にギイが腰を強く打ち付けて呻き、シダリーズの奥で蠢動して、感度を増した内部に新たな刺激をもたらした。 「ギイ…」  シダリーズは体重を預けてきたギイの頭をくしゃくしゃと撫でた。今は愛を告げるよりも、大切なことがある。 「目的を諦めることはないわ」  ギイがぴくりと眉を上げた。額に汗が浮き、短い前髪が張り付いている。シダリーズは手のひらで汗を拭って、髪をちょいちょいと整えた。見れば見るほど、端整な顔立ちだ。 「ボンフィス親子はあれだけ物を溜め込んでいたのだもの。関係者に結びつくものは温室以外にもあると思うの。領主のデュロン伯爵も、精神的に幼いままのようだけど、簡単な会話はできるわ。うまくやりとりすれば、何か知っていることを教えてくれると思うの」 「…そうかもしれない」  ギイはシダリーズの上から退き、隣に寝転んだ。 「あんたが言うとそんな気がしてくるな」  ふふ、とシダリーズは笑った。 「あなたの八年は無駄にならないわ。領地も爵位も、取り戻せる。そうしたら学校を作って、エラデールをもっと豊かな場所にできるでしょう?」 「それが狙いか」 「もちろん、わたしの目的は最初から変わっていないわ。でもあなたがここを治めてくれるなら、もっと色んなことができると思う。あなたを信じているわ、ギイ・ニコラ・ビゼ」  シダリーズが微笑むと、ギイはひどく複雑そうに眉を寄せ、目を細めた。 「それで、あんたは王都に帰るのか」  どっ、と心臓が揺れた。こんな顔で言われたら、帰るなと請われているように錯覚してしまう。  例えそうだとしても、シダリーズには王都でやらなければならないことがある。そしてギイも、エラデールでやるべきことがある。  敵同士でないと判っただけで十分だ。ギイが王国政府を恨んでいながら、自分を犠牲にしてまでビゼ家の再興のために任務を続けてきたのなら、目的を遂げる邪魔にはなってはいけない。 「帰るわ」  シダリーズは毅然と言った。顔は、王国の花らしく、美しい微笑を結んでいる。 「今日は残りの書簡を王都に送って、明日出て行くわ。政府でも早急にエラデールの処理をしないとけないもの。でも、その前に最後の朗読会を開かなくちゃ。みんなにお礼が言いたいの。あなたも来てくれる?」 「ああ。でも――」  ギイの目の下に睫毛の影が落ちた。 「…行かせたくないな」  鼻の奥がつんと痛くなった。目の奥が熱を伴って、涙が滲む。 「あなたが領主になれば、会えるわよ。式典とか、教育局の報告会とかで」  ギイはふ、と小さく笑った。  この期に及んでちゃっかり自分の目的を遂げようとするシダリーズをおかしく思ったのかもしれなかった。  同時に、シダリーズからこの先の関係に進むことはないと釘を刺したことになる。  ギイは、まだシダリーズを離せなかった。  今日限りでこの関係が終わるのなら、生涯忘れられなくなるほどに、この女の奥深くに自分を刻みつけようと思った。  そして、言葉なく甘やかな唇を塞ぎ、白磁のような背に花びらを散らすようなキスを何度もして、背後からその身体を開いた。  シダリーズの熱く湿った唇から漏れる甘い声に神経を侵され、ぴったり重なった肌の下でシダリーズが絶頂に達し、その奥を隙間なく自分自身で満たしたとき、思い知った。  シダリーズを生涯忘れられないほどに刻みつけられたのは、自分だ。
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