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 じっとりとした夏の雨が降っている。試合観戦の興奮冷めやらぬ中、ヨシダはふと一週間前のアキと一緒に行った後楽園ホールの試合をゆっくりと思い出していた。マンションの自室から見える景色は淀んでいたが、灰色の空に昨日のリング上の激闘とアキとの激論の様子が色濃く思い浮かんだ。 ヨシダとアキは水道橋駅近くの喫茶店のそれも奥の方の座席に陣取って座っていた。ヨシダはブレンドコーヒーを口に付け、アキの手にはカフェオレのカップが握られていた。二人は先ほどの後楽園ホールでの試合内容やプロレスについての自らの意見を熱心にぶつけ合っていた。 「先ほどの試合はとてもおもしろかったですね。ロスインゴと新日本体の試合は、突き詰めていくと棚橋選手と内藤の戦いになりますね。体制側と反体制側という構図はわかりやすくて、観客としても、応援しやすいですね。正義の味方と悪役という構図は過去は時代劇の勧善懲悪から始まっているものですよね。」 カフェオレを一口飲んだあとに、アキが話し出した。カフェオレが、アキの白い長そでのカッターシャツに撥ねて汚れないかどうか、ヨシダは不安になった。セーターとブーツという出で立ちは、九月という季節にはまだまだ時期尚早の趣があったようで、先ほどの第一試合が始まって数分でアキはからし色のセーターを脱いでリュックにしまっていた。アキの頬はわずかに赤みを帯び、本日の試合結果を饒舌に語っていた。 「そうだね。メインの試合にロスインゴと本体の試合を持ってくるのは、最近の新日の傾向だよね。それに第一試合に組まれていたヤングライオンの試合の盛り上がりが最近うなぎのぼりに上昇しているね。ヤングラインは、実績がないので棚橋-内藤のようなアングルを持っていないけれど、純粋にプロレスの試合を組み立てるということを日々勉強しているような試合運びだね。それでも純粋なプロレスを見せつけているという感じがして、ヤングラインの試合は清々としたものになる。今の僕の一押しは北村選手かな。」 「ああ。そうですね。北村選手の筋肉はヤングライオンのそれではないですね。バルクで言えば、棚橋選手を凌駕するほどの筋肉量を持ち合わせていますね。北村選手は。私も北村選手は一押しの選手です。」 ヨシダは、アキがプロレス選手についてとても詳しく知っていることについて、改めて驚いた。 「ホームページを見て、プロレスに詳しいことはわかっていましたが、アキさんは最近の選手についてもよく調べられていますね。なかなかヤングライオンの情報までは、週刊プロレス等の雑誌媒体でも取り上げられないから、現場に来なければわからない情報ですよ。やはり結構な頻度で試合を見に行っているのですか。」 ヨシダは自分がとても気持ちが高まり、うれしくなっていることに気が付いた。これまで、ヨシダはプロレスについて議論しあうような友人を持つことはなかった。それは、意識的にそういったプロレスファンと交流しようとしなかったわけではなく、単に自分の周りにプロレスを好きな人があまりいなかったからというだけの理由である。ヨシダは、自分から見ず知らずのコミュニティーに入り込むことは得意ではなかった。他人との交流を好むか好まざるかという二者択一的に分類すると、ヨシダは間違いなく後者側の人間であった。 「試合は大体平均すると月に一回くらいの頻度で会場に足を運んでいます。東京、埼玉などの首都圏で見るのが主です。残念ながら、まだ地方大会には行ったことがないです。」 「そうでしたか。私も首都圏での観戦が主です。出身はどちらなんですか。私は、生まれも育ちも埼玉です。私も後楽園での観戦が多いですが、所沢市民体育館とか埼玉の会場にも足を運びます。両国国技館には行ったことがありますか。」 「私は、長野県の生まれで、高校までは長野県に住んでいました。昔、父に連れられて松本市民体育館まで新日本プロレスの試合を見に行ったことがあります。地方大会の観戦はその時だけです。とても小さい時でしたので、あまりその時の記憶はないのですが、まだアントニオ猪木が現役でメインの試合に出場していた頃だとおもいます。父は、熱烈な猪木信者でしたので。」 「お父さんもプロレスが好きだったのですね。2世代続けて、プロレスを見ているというのは本当にお父さんはプロレスが好きだったのですね。アキさんがプロレスに親しんだのもお父さんのプロレス英才教育のたまものなのでしょうね。」 「実はプロレスを自分から積極的に見始めたのは、長野の実家を出てからで父から言われてプロレスを見始めたわけではないのですが、やはり幼少期の影響があったのかもしれません。ヨシダさんのプロレス観戦歴はどのようなものですか。いつごろから見ているのですか。とても知識が豊富で、とても長い間プロレスを追い続けているようにお見受けしますが。」 「僕はアキさんのように幼少期からプロレスを見てきたわけではなく、両親がプロレスを好きだったわけでもなく、プロレスを見始めたのは大学に進学し、一人暮らしを始めてからですね。大学時代に暇をもてあまし、だらだら深夜までテレビを見ていた時に放送されていたプロレス番組をふと見たのが、プロレスを見始めたきっかけです。その試合をみて、最初に私が目を見張ったのがプロレス技の華麗さです。当時は、プロレスリングノアの深夜放送をよく見ていました。垂直落下技が全盛期の時代です。アキさんは新日本プロレス一筋かもしれませんが、私はこれまでさまざまな団体を見てきました。それは、テレビだけでなく、現地観戦も含めてです。プロレスの入り口はプロレス技の凄みと、プロレスというジャンル、ストーリーへの没入感が私を捉えて離さなかったのかもしれません。相手を殴って倒したら勝ちというような単純な仕組みではなく、相手の右頬を殴ったら、その後に自分の左頬を相手に差し出すというプロレス独自の美学が、私にはとてもフィットしたのです。ボクシングと違いラウンド間で発生する休憩時間もなく、延々と続くプロレスの試合はとても濃密です。ただ、リング内で倒れている選手は倒れながら息を整えているのは明らかです。それも含めてプロレスというのはとても日本的なものです。ただ、プロレスのことをエンターテイメントと割り切ってしまうのは、私は断固として反対です。プロレスの根本にあるのは戦いであり、これがなくなってしまえばそれは単なる劇であり、裸の男たちがただパンツ一丁で踊っているだけのショーになってしまいます。プロレスとはそんなものではない。闘争心をもって生きていくための道標となり、レスラーは自らの生き様を観客に見せつけるために戦っているのです。」 二人のプロレス観戦の歴史を語る座会は延々と続き、途切れることはなかった。机の上に置かれたカップのコーヒーはすでに飲み干されており、冷たくなり、底の方にわずかな茶色い沈殿物を残すのみであった。ヨシダは、初対面の女性にここまで深く自分の生い立ちや考えを話せたことはとても稀有なことであると思い、とても驚いていた。女性と話しているというよりも、一人のプロレスファンとして話をしていることがとても楽しく、それはアキも同じように感じているようにヨシダには思われた。そして次々と安心してプロレスの会話を続けることができた。 「ところで来月両国国技館での棚橋と内藤のIWGP戦を見に行きませんか。この試合は必見です。もともと私は一人で見に行くつもりでしたが、ぜひ一緒に見に行きませんか。」 喫茶店の閉店時間が迫り、二人の会話がとぎれとぎれになってきたころ、ヨシダはアキにこう切り出した。今日の二人の会話のオーバーシュート分が次回二人での試合観戦へとつながったような感じがした。 「ぜひ。私も行きたいです。両国国技館の観戦は初めてなのです。」 「では、私がチケットを購入しておきます。升席ですよ。」 アキはとてもうれしそうにうなずくと、手帳にスケジュールを記入しているようだった。小さな黄色のかわいらしい手帳だった。 両国国技館に入るといつもわくわくした気持ちになる。それはどのプロレス会場でも同じなのだが、両国国技館の升席は天井が高くより平坦な解放感が後楽園ホールよりも強い。そして、両国国技館の入り口には多くの旗が立って、風にたなびいている。押し寄せている人々はみな、うれしそうな顔をしている。広々とした入り口には、両側にTシャツやキャップなどのグッツ販売をしているが、後楽園ホールに比べてとても広々としている。このあたりで、選手との記念撮影ができるブースもあり、その前にはファンがずらりと長い列を作っている。先頭に真っ黒な肌の選手が、アチャーという感じで頭を手で押さえたポーズをしていた。私は冷静になろうとその前をスーッと通り過ぎた。いつもは一人で歩いている販売ブースである。今日は、隣に小柄な女性がくっついている。 その後、試合は順当に進み、メインの試合が始まった。待ちに待った棚橋―内藤のIWGPインターコンチ戦である。 メインイベントのゴングが鳴ったのは、すでに第一試合の開始から二時間は経過していた。初めに新しい入場曲で現れたのは棚橋だった。花道の入り口で右の拳を上げながら入場してきた。とんでもない大歓声だった。自信満々の表情をした棚橋が自慢の金髪を振り乱してくるくると回りながら入場してくる。そして、リング上のコーナーでアピールをするとそのまま内藤を待ち構えているところに、ヒールレスラーらしからぬさわやかな入場曲が全開場に流れる。再び歓声が高まり、広々とした両国国技館の空間に内藤への声援がこだまする。内藤はいつものようにエンジ色のスーツを身を纏い、ゆっくりと棚橋や観客を焦らしながら花道を入場してきた。そして大歓声の中、リングアナウンサーが内藤をコールすると、歓声の反響は最高潮を迎えた。悠々とリングに入る内藤と、コーナーからロープを持ってじっと内藤を見つめている棚橋。歓声は内藤:棚橋で6:4といった具合であり、内藤の方がわずかだが明確に歓声は大きかった。観客は観戦前から自分の中で、対戦選手の優越を決めており、その状態のまま観戦に臨む。不思議なものである。 「カン、カン、カン」乾いたゴングの音が広々とした両国国技館の中に響く。 棚橋が手四つから、内藤と組み合おうとするが、お決まりのムーブで内藤は真面目に組み合おうとはせず、棚橋をすかした。すかした動作一つに国技館内はどよめいた。完全に内藤のムーブが館内を掌握していることが、すでに掌握されているヨシダとアキにも伝わってくる。二人は自らの意思で内藤の手のひらの上に載っているのである。それは、観客が望んでいたものであり、内藤も観客の手のひらの上に載っているのかもしれない。しばらくして、棚橋がようやく内藤をとらえ、コーナーへと押し込み、さらにナックルアローを腹部にぶちかます。悶絶する内藤と、困惑する観客。しかし内藤は棚橋を場外に落としてから、高速ロープワークを繰り返し勢いつけてから、トぺスイシ―ダをぶちかますかと見せかけて、いつもの涅槃ポーズ。ブラフをかます内藤。フッー、フーと観客の大歓声がこだまする。棚橋がしずしずと場外からリング内に入ると、内藤と棚橋は再び四つに組み、共にヘッドロックの応酬をしたのちに、棚橋のドロップキックがズバリと内藤の顔面をとらえた。悶絶する内藤を尻目に、棚橋はリング中央でエアギターをかき鳴らしていた。棚橋はご満悦の表情で、大胸筋をぴくぴくと自発的にとふるわせながら、エアギターの替りに観客の声援が、所狭しとハウリングして反響している。アキはヨシダの隣で、比較的大きな声で、会場内の大歓声の一躍を担っていた。アキがエアギターに対し声援を上げているのをしっかりと耳にしたことは、ヨシダは初めてであった。なぜかとてもうれしく感じられた。そして、内藤の棚橋への膝への攻撃が始まった。初めは、内藤に背を向けた棚橋のひざ裏へ向かって、低空のドロップキックをぶちかました内藤。そして、悶絶し、片膝をついた棚橋の顔面に向けて二発目の低空ドロップキックをぶちかました。一旦棚橋は復活して、内藤の顔面へのパンチ、スリングブレイドをかますも、内藤の唾攻撃がズバリと決まり、棚橋は反撃のタイミングを逃し、内藤の膝攻撃は冴えわたった。観客の悲鳴と声援はいりまじり、混沌とした面持ちとなる。 内藤のスピード感のある攻撃を受けながらも、エプロンに立って、トップロープを飛び越えてからのスイングDDTをかまそうとしている内藤に向け、棚橋はリング内から右足をとり、するりとドラゴンスクリューを決めた。棚橋のお得意の技であり、とてもスムーズに決まった。 ヨシダの横で、アキが小さくガッツポーズを決めて、ヨシッと小さく声を上げているのがわかったが、ヨシダは脇目も振れずに、闘いの様子から目が離せなかった。内藤の膝への低空ドロップキックと、棚橋のドラゴンスクリュー。この二人の執拗なまでの膝を狙った攻撃のルーツは同じである。それはつまり武藤敬二である。唯一無二の存在である武藤に憧れた棚橋と、棚橋を憧れた内藤。内藤の膝への攻撃は脈々と受け継がれる新日本プロレスの歴史でもある。 そして、今回の試合で始めて繰り出された発射されたフィニッシャーは棚橋のハイフライフロー。場外の内藤へ向けて発射されたものだった。ハイフライフローを食らった内藤はするりと起き上がる。そして、数発のエルボーで棚橋の動きを止めたのちに、内藤は棚橋をコーナートップに備え付け、雪崩式のフランケンシュタイナーを決めた。 ヨシッヨシと、ヨシダは一人手を握り締めた。握った拳を振り上げてナイト―、ナイト―とヨシダはさけんだ。右手を振り上げたときに、隣に座っていたアキの左腕に自らの右腕があたった気がした。アキの左腕はとても細く感じた。 「十五分経過、十五分経過―」。 場内アナウンスが響く。館内からふうっっと一万二千人の長い吐息が感じられた。 両者の畳み掛けが始まった。内藤のグロリア、スイングDDT、棚橋のテキサスクローバーホールド、そしてドラゴンスクリュー。二人のヘビー級のレスラーが次々に技を繰り出していった。 スリングブレイドで、内藤を地にふせさせた後、棚橋はするりとトップロープに登ると、内藤に向けて、その100kgを裕に超えた全体重を浴びせかけるハイフライフローをぶちかました。棚橋のハイフライフローは技術的には大したことのない技ではあるが、棚橋の筋肉質の体が、弓なりにすごい勢いで数m上から降ってくる様はやはり圧巻である。その圧迫感はジュニアのレスラーには決して醸し出すことのできない色気でもある。 アキがガッツポーズを作り、両腕を天高く上げたと同時に、左腕がヨシダの右腕に当たった。そんな高校生にも満たない中学生のような、幼稚なことで、ヨシダは自分の気持ちがふと昂ることに驚いた。こんな感情が残っていたのかという気持ちでもある。そして、試合後半のラッシュ時によくあることなのだが、まるでこんな技など微塵とも効いていないというような顔をして、内藤は棚橋に向かって正調式デスティーノを決めた。続けざまにデスティーノを決めようとした内藤に対し、棚橋がツイストアンドシャウトを決めて、両者ノックアウト。二人は、リング中央で大の字になって倒れ込み、レフィリーのダウンカウントが始まる。 「1、2、・・・・・15、17・18・19」 カウント19で両者がムクリと起き上がった。そして、ふらふらの二人はエルボードロップと張り手を繰り返す。館内の盛り上がりは最高潮となる。ふらふらで張り手を続ける中、ついに、棚橋のドラゴンスクリューが再び決まる。本日何度目のドラゴンスクリューだろうか。ドラゴンスクリューは、ひざへのダメージを与えられるだけでなく、相手をリング上に倒すことができる都合のよい技であり、とても見栄えの良い技でもある。技をかけたレスラーも技をかけられたレスラーにも、そこに大きな見せ場が発生する。この技を生み出した武藤はやはり偉大である。そんなことをヨシダはふと思った。 倒れた内藤に向けて、棚橋がコーナートップからハイフライフローを決める。そして、さらに勢いをつけて、二度目のハイフライフローを決めようとしたところで、内藤の膝が立ち、棚橋の腹部へ突き刺さる。 「剣山だ。」 ヨシダは叫び、アキも小声でその言葉を口にした。剣山がきまると内藤はするりと立ち上がり、そして棚橋をコーナーに持たれかけるとエプロンから、棚橋の首をもって、スウィングDDT。そして、リング中央で呆然と立ちつくす棚橋の右腕を握ると、逆上がりの要領で正調式デスティーノ、そしてさらに棚橋を立ち上がらせて、スウィング式デスティーノをぶちかまし、右腕を高々と上げて、片エビ固めで棚橋をリングに押さえつけた。 「1,2,3、カン、カン、カン」。 観戦歴が長いプロレスファンにとっては、いつ3カウントが入るのかという感覚はなんとなくわかっている。ヨシダとアキにもその感覚があり、2回目のデスティーノが決まった段階で、すでに内藤がスリーカウントをとることをなんとなく察知していた。そして、それは周りの観客の3分の1程はおそらく把握していたと思われる。三分の一ほどの観客は、内藤の二度目のデスティーノが決まった段階で短く息を吐いていたのをヨシダは把握していた。スリーカウントが入ると、どーっとした、声援が館内に響き渡った。そして一万二千人が止めていた息を吸い始めたため、僅かに館内の気圧が低下を生み出した。内藤の勝利を報告するアナウンスが館内に響き、内藤の入場曲が爆音で流れている。 リング中央に横たわる棚橋。そして、棚橋をじっと見下すスターダストジーニアス。内藤のテーマ曲が鳴り響いている。ファンは固唾をのんで、リング上の内藤の動きを目に焼き付けようとしている。数秒なのか数分なのかとても長い時間に感じられたが、内藤が棚橋の右胸に拳を当て、その右腕を天に向けた。そして、棚橋へ一礼する内藤。。。。 悲鳴や歓喜、暴動に似た観客の歓声が響き渡り、爆音のスターダストジーニアスをかき消す程の勢いになる。ヨシダはふうっと息をついた。こういった結末となることは何となくヨシダにはわかっていた。新日本プロレスに現在訪れているいわゆる世代交代の波である。四十代の棚橋と三十歳前半の内藤。棚橋にも世代交代の波が打ち寄せているのである。そろそろ棚橋も体を休めないといけないだろうとヨシダは薄々と感じていた。ハイフライフリーをかまし続けた棚橋の左ひざはボロボロの状態であるだろうし、激戦続きで痛めた右腕も筋断裂によりどす黒く変色している。 右を見ると、アキがまだリング上をじっと見つめていた。ヨシダもその横顔をじっと見つめていたら、場内のライトに反射して、アキ左頬がきらりと光った。アキはじっと静かに涙を流していた。ただただ、美しい横顔だった。リング上の結果を一瞬忘れ、ヨシダはずっとその横顔を見ていたかった。棚橋―内藤の素晴らしい試合をも忘れてしまう程に、美しい横顔だった。館内の爆音のスターダストもどこ吹く風と言わんばかりに、ヨシダにはきらりと光る粒を頬に携えたアキの横顔しか見えなくなっていた。静かに拳で頬を拭うアキの横顔を見続けることはヨシダには眩しすぎて、ヨシダはリュックに上着やパンフレットを詰め、帰り支度を始めた。美しい横顔だった。二人は国技館近くの喫茶店に移動した。 「ベビーとヒールという枠を超えたとても素晴らしい試合でした。試合でした。棚橋選手が負けてしまったことは、ひとまず置いておいて、自己顕示欲の強いレスラーという職人の世界においてこれまでなかなか退く側の人間が自らの衰えを認めることができずに、なされてこなかった世代交代という悲しくも美しい作業を棚橋選手は成し遂げたということに、賛辞の拍手を送りたいと私は思います。」 アキは、まだ少し涙ぐんでいた。 「そうだね。内藤になら世代交代してもよいと、そう思える選手だったからこそ、棚橋も今日の試合のようなシチュエーションを演出したのかもしれないね。棚橋の度量の深さを感じさせるような試合だったね。大エースのベルト喪失、敗北の連続というのは、大エースにとっては悲しいことだが、勝ち負けを超えたところにプロレスというジャンルの素晴らしさがあることを今日の試合は証明してくれたね。」 ヨシダもアキに負けることなく、自分の思いを吐露した。本当にプロレスは素晴らしい。そんな気持ちにさせるような試合であった。勝負という観点を超えたところにプロレスの本質があることは火を見るよりも明らかである。 「率直にいうと、私は棚橋選手が負ける姿を見るのはとても嫌です。そして、棚橋選手もできることであれば、勝ち続けたいと思っているでしょう。それは勝つことで観客へのアピールができるのだから。しかし、今日の棚橋選手は大一番で負けて、後輩に道を譲ったようにも見えます。それは、より広い視野で新日本プロレスという会社、プロレス界を見てとった棚橋選手らしいクレバーな判断だったように思います。」    アキはコーヒーカップを両手で覆っていた。 「まさにその通りだね。僕も同意見だよ。負けたことで自分と相手の価値を高められるのはほんの一握りのトップレスラーの特権だと僕は思う。棚橋は本当のトップレスラーなのだということを今日の試合で感じたね。アキちゃんは、小橋健太のことは知っているかい。全日本プロレスに所属して、プロレスリングノアに移籍し、今もまだ現役で活躍しているレスラーなのだけれど。知っているかな。」 「はい。名前と顔はわかりますが、試合を見たことはありません。」 「小橋も棚橋に違わぬトップレスラーだった。僕は大学の頃に、小橋の試合を見て、プロレスにのめり込むことになったんだ。新日本プロレスのチャンピオンベルトはIWGPだよね。全日本プロレスのチャンピオンベルトは3冠ヘビー級ベルト、そしてノアのチャンピオンベルトはGHCというんだ。小橋がGHCベルトを保有していた期間の試合はどの試合もとてもヒートアップして素晴らしい試合だった。それは小橋にはどの選手とマッチアップしても素晴らしい試合を作り上げることができるということだったのだと僕は思う。当時GHCの防衛ロードをめぐる試合を見ていたときは興奮と強烈なファン目線で冷静に見ていられなかったが、今思うと小橋の手のひらの上で、観客だけでなく選手もが、踊らされて、素晴らしい試合を組み立てていたとしかあの時の興奮の発生源は考えられないのだよ。」 「そうなんですね。そんな素晴らしいレスラーだったのですね。私もテレビでちらりと見たことしかなくて、テレビでは腎臓がんからカムバックしたという取り上げられ方しかしておらず、そんな素晴らしい選手であるとは知りませんでした。」 「とてもいい選手だったんだ。ぜひ今日はGHC防衛ロードで最高と思われる試合を見てほしいんだ。」 そう言ってヨシダはおもむろにパソコンを取り出し、動画サイトを立ち上げた。 「今日は、この後、時間はあるかい。小橋の試合を一緒に見ませんか。」 ヨシダはプロレス観戦後ということもあり、とても気分が高まっていた。アキも先ほどの試合の感動が途切れず、まだまだプロレス熱にうなされていた。 「ぜひ、見たいです。これまで見たことがなかったので。ありがとうございます。」 「よし、それでは、ここで一緒にみよう。」   PCから小橋の入場曲が流れてきたので、急いでヨシダはイヤホンを接続した。小橋の入場曲はBLAZINという曲である。花道を堂々と歩いてくる小橋。小橋の腰にはGHCのベルトが巻かれている。小橋は必ずベルトを腰に巻いて来る。それが王者の義務であるとでも言わんばかりに。ベルトをとても大事にしているのである。3年ぶりの小橋―秋山戦である。放送席には高山善弘が来ている。とても懐かしい。秋山のセコンドには懐かしい面々がいる。小橋のセコンドには、本田多門、菊池毅、そして現在はWWE所属のKENTAがいる。とても懐かしい。 小橋と秋山がぐるぐるとリングの中央を回ってから、やっと組み合ったのちに、ロックアップで力比べを始める。このロックアップは、必ずと言っていいほど、腕っ節のつよい小橋が勝ち、秋山がするりと逆に切り返すのが定番のムーブでもある。小橋の力はなお強い。正攻法の小橋と、飛び道具を持ってその隙を狙う秋山。両者の間の取り合いが続く。高山のコメントがとても愛にあふれている。小橋とはなぐり合った両者ながら、コメントは暖かかい。そして、逆水平チョップの応酬。必ず小橋が打ち勝つ。 「よしっ。」 何十回とみた試合ではあるが、ヨシダは小さくうなずいた。隣ではアキが固唾をのんで、試合を見ている。イヤホンは一つしかないので、左耳をヨシダが、右耳をアキが耳に入れている。そして、小橋の弱点であるひざを狙う秋山。監獄式フロントネックロックや、ひざ十字固めなどで執拗に小橋の膝を責める。小橋は、袈裟切りチョップの発展技である大根切チョップを決める。そして再びチョップ。チョップ。チョップ。小橋の非情な攻めが続く。 再び逆水平の応酬。小橋優勢だが、秋山も必死にこらえる。そして立ち上がり向かっていく。次は秋山のジャンピングニードロップ。秋山のジャンピングニーは故ジャンボ鶴田氏からの直伝の技でもある。そして、さらには場外で秋山のカーフブランディング。今度はここぞとばかりに秋山の非情な攻撃が続く。小橋が圧倒的なベビーであるから、秋山もラフファイトを用いて、ヒールにならざるを得ない。小橋―、小橋―という悲痛なファン男性の声援が断続的に続いている。新日に比べて、全日の試合には悲痛感が漂っており、因縁であり、積年の思いといった言葉が良く似合う。全日のレスラーはより粘着質なプロレス、思いのこもったプロレスを体現するのが得意である。 おおー、という声援が聞こえきた。秋山がリング中央で一度目のフロントネックロックを決めた。まだ首と腕の間に隙間があり緩いため、小橋の頭がすっぽ抜けた。女性の悲痛な声援が聞こえてきた。秋山はトップロープからジャンピングエルボーを落としてから、2度目のフロントネックロック。今度はがっちりと決まっている。ぐったりとしている小橋。小橋の腕がだらりと下がったが、何とか回転してロープブレイク、ロ―――プブレイク。 バックドロップを決める秋山。その瞬間にヘッドロックを決める小橋。万力のように小橋の腕が秋山の首をとらえている。身動きの取れない秋山。そのまま、リングに押し付ける小橋。ヘッドロックは数分続いていて、最後にはそのままヘッドロックドロップのような形で秋山は後ろに投げ飛ばされた。勢いづく小橋。コーナーにとらえて、秋山に数十発の連続的な逆水平、最終的にローリング袈裟切りを決める。 エプロンに立つ両者。場内がざわざわし始める間もなく小橋がエプロンから場外に向けて秋山をブレインバスターをかます。どわーという観客の声援なのか、悲鳴なのか足踏みなのかよくわからない波のような音波が場内を反響している。この技が初めて小橋の手をもってノアで行われた時に、断崖式ブレインバスターという言葉が生み出された。通常エプロンでの攻防は場外に落とすのか落とさないのかという観客のやきもきした気持ちを誘いながら、やるぞやるぞとじらしながら、最後はやらないものである。またはリング内に相手を投げ入れるといったムーブが想定されていたが、そのまま1m以上段差のあるリング外へ秋山を投げ捨てて、技を決めるというのは、この試合がおそらく初めてだろうと思われる。その衝撃ははかりしれなかった。秋山だけを投げ捨てるという技ではなく、掛けた本人もともに倒れ墜ちるブレインバスターという技を決めたのも小橋らしい。自分も後頭部から腕が固定された状態で落ちていくのだから、どちらがダメージを受けているのかわからない。小橋らしいと言えば、小橋らしい荒業である。こういった危険な路線に入り込み、観客を沸かせていったことから、プロレスリングノアの衰退が進んでいったというのも皮肉な話だが、原因の一つであると私は思っている。二人とも場外のマットの上で動くことができない。 「小橋が口から出血していますーーー。」 解説のアナウンサーが叫んでいる。二人は動くことはできないのだが、歓声はますます高まり、とどまることを知らない。小橋がすくっと立ち上がり、秋山をリング内に戻す。小橋の体が頑丈ということを印象づけたファンにとっては象徴的ななシーンである。秋山はリング内でも動くことはできない。かすかに肩を上げる秋山。動けない秋山。そして、非情にも寝ている秋山を抱えおこし、ハーフネルソンスープレックスをがっちり決める小橋。さらに、オレンジクラッシューーーー。小橋の投げ技のオンパレードといっていい。叫ぶ小橋。叫びまくる小橋。苦い顔の秋山。そして、一発目の剛腕ラリアットーーーーー。小橋の投げ技がずんずんと決まる。やっと秋山の攻撃が始まる。シャイニングウィザ――ド。今度はエプロンで、秋山が小橋にエクスプロイダーを決める。秋山のコールが鳴り止まない。 悲鳴がなり止まらない。ここまでしないといけないのかーーーとアナウンサーが叫んでいる。解説の高山もどこまでやらないといけないのかという顔をしている。ファンもその思いは同じである。ヨシダは当時、この試合を見ていた時に、目をそむけてしまうようないたたまれない気持ちになったことを思い出していた。当時は総合格闘技が最盛期を迎えていた。プロレスラーは、目の前のレスラーだけでなく総合格闘技というジャンルとも戦っていたのである。リング上では、秋山の攻撃がさらに続いている。正調式のエクスプロイダーがこの試合で始めて、ズバリと小橋の脳天をとらえた。アナウンサーも格闘技という言葉は暗に口にしないが、プロレスが一番、プロレスが一番という言葉を不自然なほど何度も口にしている。そんなに意識しなくてもいいのに当時のヨシダはそう思っていた。秋山の攻撃が続いている。トップロープに小橋を備え付けて、エクスプロイダーを決める。3m位落下しているような高さ。そして、監獄式のフロントネックロックの体制に入った秋山。 がっちり入った―。小橋はピクリとも動けない。声援が高まる。これで決まってしまうのか、歓声がすごい。観客は五万八千人らしい。小橋は息も絶え絶えになる。おもむろにロックを外した秋山。やはり秋山、わかっている。何がプロレスなのかということを。そして、リストクラッチ式のエクスプロイダーを決める秋山。カバーに入る秋山。しかし、カウント2.9で肩を上げる小橋。何をもってこの試合が終わるのかは、誰にもわからない様相を呈している。それは戦っているレスラーにとっても。急に動き出した小橋が垂直落下式のブレインバスターを決める。首が詰まるほど垂直のブレインバスター、あばら骨がつまったように見える。唐突に始まる二人の攻撃の出し合い。小橋はハーフネルソン。秋山はエクスプローダーを連続で交互に決めていく。何度となく続く攻防の末に、小橋が剛腕ラリアッとを決める。ふらふらとコーナーに退避する秋山。さらに小橋がラリアットを連続して出した。そして、ムーンサルトを決める小橋。するりと決めてしまったが、観客は大喜びの大ストンピング攻撃。そして、ついにバーニングハンマーーーーーーーーーーーー。そして、スリーカウントのゴング――――――。 マットでスリーカウントを聞いた秋山。九度目の防衛をした小橋。バーニングハンマーーーーー。やはり最後の大技はバーニングハンマーだった。しかしこの激闘後でも小橋はすっくっと立って、レフィリーからベルトを受け取った。本田多門が、後ろから小橋の背中をタオルで拭いている。いじらしい本田多門。再び、ベルトを腰にまく小橋。リング中央でがっちりと握手をする小橋と秋山。これは敵わないなという表情の秋山。やはり小橋と秋山では役者が違った。それをまじまじと実感させるような試合であった。観客は誰一人席を立たない。小橋の試合後のコメントから目が離せない状況。「準、お前最高だよ」 小橋の第一声。 ヨシダは涙した。何度目かの観戦だが涙した。小橋コールが止まらない。小橋の声が聞き取れない。 「プロレスをやっててよかったです」 「プロレス最高です。ありがとうございました」 「みんな本当にどうもありがとう」 四方に頭を下げる小橋。プロレスに、ファンに、秋山に純粋な小橋。今回みたいなな試合があるから、高山はノアのリングに上がるんだとつくづく思ったとのコメント。高山のすばらしい解説も際立った試合。自らの体力、コンディションを見極めて正しいタイミングで引退を決めるのはとても難しいことである。小橋はそういったタイミングを見誤ることはない。そこが小橋の小橋たる所以でもあるとおもう。ゆっくりと五万四千人のファンの歓声を楽しみながら、息も絶え絶えに花道を歩き戻っていく小橋。まさに自分の命を燃やして、ファンを喜ばせ、興奮、感動、元気づける。そして、いい試合を生み出す。 「小橋健太、あなたこそが最高です。」 アナウンサーの言葉がすべてのファンの思いを雄弁に物語っている。 深く息を吐くヨシダとアキ。アキとヨシダは狭い喫茶店内にもかかわらず、じっと遠くを見るようなそぶりをしている。ヨシダはそっと、左側に視線をずらした。アキの両目がじっと光っていた。 「すばらしい試合でした。初めて小橋選手の試合を見ましたが、想像以上でした。」 鼻をわずかにすすりながら、アキは、すでに冷えてしまったコーヒーをごくりと飲み干し、ふうっと息を吐いた。ヨシダは静かに横目でコーヒーカップを持つアキの横顔をちらりちらりと見ていた。美しい横顔だった。 「絶対的なトップレスラーはほかのレスラーと何が違うのかということをアキさんは考えたことがあるかな。今見てもらった小橋の試合がその典型例だけど、小橋のようなトップレスラーの戦い模様は、その動き一つ一つを考えに考えたうえで決めているのか、つまり考えに考えた動きでファンを単純に歓喜させているのか、それとも、一般的なファンが考えているのと同じような単純で純粋なモチベーション、つまりは試合に勝つというその一点を目的として試合を構成した結果、その試合がファンの心に響き、ファンの大歓声を得ているのか。アキさんはどう思うかな。」 「今、小橋選手の試合を見て純粋に感じたのは、小橋選手がこの試合に勝ちたいという思いも感じましたが、それ以上に対戦相手である秋山選手と感動的な試合をして、誰にも文句の言われないようなプロレスの試合を、秋山選手と組み立てたい。という強い思いを感じました。純粋に勝ちたいという感覚がないわけではないと思いますが、それは一選手として、皆チャンピオンになって、ベルトが欲しいわけですから。ですが今回の小橋選手の試合を見るにつけ、そのモチベーションは少し違う気がします。」 「アキさんが感じたことは、トップレスラーの心理状況にとても近いと思う。たとえ長い期間プロレスという歴史を追ってきたとしても、ファンはトップレスラーの心理を理解することはできない。さまざまな雑誌やインターネット媒体の記事を読んでファンは色々とトップレスラーが考えていること、その思考回路を想像する。なぜ、あの時棚橋はハイフライフローを3回も飛んだのか。内藤はなぜスターダストプレスを封印しているのか。そして、小橋はなぜ、最後にバーニングハンマーを出して、そこで試合が決まったのか。プロレスの試合の勝敗が決まるのは、とても唐突に決まるようにも思えるし、一方ゴングが鳴った瞬間に勝敗の瞬間までのすべての動きが決まっていたかのようにも思える。不思議なものです。そして、ファンは誰一人として、なぜトップレスラーがそこで試合を終わらせたのか。なぜその技をフィニッシュホールドとしたのか、そして決着がついたのかということを知ることはでいないんだよ。」 「そうですね。ファンや雑誌などのメディアはレスラーの行動についてわかったようなことを言いますが、その虚実を知ることは決してできない。我々はただ思いを寄せて推測するだけしかできないのです。」 「そうだね。アキさんの言うとおりだね。僕がプロレスを見始めたのは、小橋の試合を見たからなんだよ。ノアで小橋がGHC防衛ロードを勝ち進んでいた時に、僕は大学生だった。下宿の小さな部屋の小さなブラウン管のテレビで、深夜に放送されていたプロレスの試合を見始めた。大学生の時、僕はとてもだらしのない生活を送っていた。大学の授業は休まずに出席していたが、早朝に授業がない時は深夜まで目的もなくテレビをつけてぼーっとベッドに腰掛けてブラウン管の映像を眺めていた。その時たまたまプロレスの試合が放送されていて、それを見たのがプロレスとの出会いでした。勝つか負けるかというわかりやすさが自分の性分にあったんだろうね。そして、初めて小橋の試合を見た時の高揚感はなにものにも代えがたかったんだ。なんなんだこの人は。彼らは何をやっているんだ。その時は、小橋と本田多門がタッグを組んでいた。そして、新日本プロレスは総合格闘技との戦いに敗れ、集客に苦しんでいる時代。ノアへの参戦に活路を見出そうとしていた。そういった背景の中で、小橋のGHC防衛ロードは始まったんだよ。それは、総合格闘技との比較のなかで、バカにされないプロレス、強いプロレスを見せないといけないという十字架を背負って、小橋は防衛ロードを歩んでいったんだ。 小橋の防衛ロードは日本武道館で三沢光晴を倒したところから始まったんだ。それはとてつもない試合だった。ノアのファイトスタイルとしては全日本プロレスの四天王プロレスの延長として、発展してきたものなのだけど、四天王プロレスと比較しても、この試合は途轍もなかった。三沢との試合で印象的だったのは、花道から場外へ三沢が小橋に放ったタイガースープレックスですよ。僕がこれを見た時は、彼らはなにをしているのだろうと、呆気にとられるほど驚異的だった。プロレスとは何なのかという言葉に対して、これまで多くのプロレスファンやプロレス評論家、多くのプロレスラー達が語っているが、私が思うプロレスとはプロレスラーのリング上での振る舞いに対して、ファンが純粋に楽しむ行為そのものであると思う。プロレスとは戦いである、プロレスとはスポーツエンターテインメントである、底の見えない底なし沼である等々、皆が各々語っている実はもっと単純で、ファンがリング上でのレスラーの振る舞いを観戦して、楽しいと思えばそれがプロレスだと思う。そのなかで、小橋のGHC防衛ロードは、いかに私が定義したプロレスにマッチしたものであったかと思い、僕は小橋の試合にのめり込んだ。印象的な試合はベルトを奪取した三沢との試合、これは花道から場外へ三沢が放ったタイガースープレックスの一言に尽きる。試合前に三沢は妻に対し、自分が死んでも小橋のことを恨まないでほしいという言葉を残していたらしい。プロレスラーだといっても相手を殺したいわけではないのだ。ただ、観客に楽しんでもらいたい、エキサイトしてもらいたいという思いで、自らの身を削り続けるのがプロレスラーの性なんだろうね。初めのうちは純粋にプロレスを戦いとして見ていたけれど、そのことに気が付いたのは観戦して三年ぐらい立った時だったかな。小橋の防衛ロードは純粋に戦いとして、一般的なファンのように楽しんで見ていたんだけどね。三沢戦以外に記憶に残っている試合は、蝶野、高山、バイソンスミス、グラジエーター、佐野琢磨、そして力皇だね。蝶野との試合で印象に残っているのは、小橋のハーフネルソンスープレックスの連続と蝶野の喧嘩キックの攻防。このころはノアがプロレス界の盟主であり、新日本プロレスの人気は地に落ちていたと言っても過言ではない。その中で、蝶野と小橋が対峙すると、小橋の肉体の充実感が協調され、初めて見た蝶野はなんて貧弱なレスラーなのだろうという印象を持ったよ。体格が全然違うんだ。小橋と蝶野では。蝶野は小橋と比べるとひょろりとしていて迫力がなかった。その当時、新日本プロレスは猪木のコントロール下に置かれ、総合格闘技へ参戦を強要され、ぼろ雑巾のように総合格闘家に敗れ、新日本プロレスの威信が地に落ちていた時代でもあるね。ミルコクロコップの右ハイキックの一撃で、マットに崩れ落ち、そこに下蹴りの追い打ちをかけられ、亀のようにうずくまる永田の姿を思い出すと、涙を禁じえないよ。僕もその試合は見ていたんだけど、新日本プロレスはなんて弱いんだろうとその当時は純粋に思っていた。総合格闘技と争うのは間違った話なのにね。1分弱で、KO負けした永田はプロレス界におけるA級戦犯とされ、猪木からひどく糾弾されていた。永田の良さであるアマレスの強さは、まだ立ち技が総合格闘技の中で幅を利かせていた時代には、役に立たなかったんだね。実は永田も小橋のGHCに挑戦したことがあるが、印象にはあまり残っていない。この時代は総合格闘技最盛の時代でもある。プロレスに対する疑心暗鬼が一気に広がっていった時代であり、プロレスと総合格闘技の明確な分離が始まった時代でもある。そういった時代背景のなかで、小橋がGHC時代に体現していたプロレスは、やはり全日本プロレスの四天王プロレスの延長であると思う。ここで小橋は改めてプロレスというジャンルの再定義をして見せたんだと思う。つまり、トップレスラーのベルト防衛ロードというのは、プロレスとは何ぞやということを定義をすることにもなる。トップレスラーは自らの試合で、プロレスとはこういうものなのだ、こういうプロレスをすればお客がエキサイトして、満足していい気分で帰宅することができるのだということを示しているのだと僕は思う。その中で小橋が打ち出したプロレスは格闘技とは交わらないのだけれど、試合内容で格闘技に引けを取らない、決して、プロレスだからといって格闘技ファンから馬鹿にされないような試合をすることが重要だとプロレスを再定義したのではないかな。つまりそれがトップレスラーの役割でもあり、誰でもできることではない。 話を元に戻すと、バイソンスミス、グラジエーターとの外国人との試合もよく覚えている。グラジエーターがあの巨体でトぺスイシ―ダを放った時はなんともいえない凄みを感じたが、それと同時に、巨体の外国人レスラーがぎこちなく飛び技を出すときの哀愁、もの悲しさを初めて感じたのもグラジエーターのトぺスイシ―ダを見た時でだね。あんな大きな人間が窮屈そうにセカンドロープとトップロープの隙間を縫って、リング外の小橋へ飛び込んでいくのは、並大抵の恐怖ではないだろう。それでもファンのために果敢に技を繰り出していくのである。グラジエーターはヒール選手なのに。まさに哀愁である。 バイソンスミスの得意技はアイアンクローとバイソンデニエルであり、バイソンデニエルはとても強烈で受け身の取りようがない技に見え、顔面骨折の危険性がある技である。事実これと同じ形の技を受けて、新日本プロレスのヨシタツが首の骨を粉砕骨折するという大けがを負っている。この技を、私は意外なところで十数年ぶりに見ることとなった。それは、2014年あたりから颯爽と新日本プロレスに現れて、外国人ながらIWGP戦線に飛び込み、何度もベルトを奪っていったAJスタイルズのスタイルズクラッシュである。ぱっと見た時にこれはバイソンの技だと気が付いた。まったく同じ形である。よくよく調べてみるとAJスタイルズとバイソンスミスは同じ道場出身者だったらしい。納得する話である。 小橋を語るうえで外国人というのは、切っても切り離せられないほど、非常に重要な影響を与えている。小橋の生い立ちを思い出してみると京都の福知山に生まれ、中学、高校は柔道部に所属し、高校卒業後は京セラの営業マンとして入社。サラリーマンとしての人生を送りながら、プロレスラーになりたいという思いを断ち切れず、京セラを退社し、全日本プロレスの門をたたいた。しかし、身長もスポーツでの実績もなかった小橋は、ジャイアント馬場に入門を断られてしまう。しかし、断固として入団の希望を伝え、その後に入門を許可されるも、同期で入団した田上明、菊池毅らのスポーツで実績がある選手とは待遇に雲泥の差があり、辛い日々を送ることになる。現場上がりとエリートの違いでもある。田上はその風貌から第二のジャイアント馬場と呼ばれ、菊池毅はそのファイトスタイルから火の玉小僧と呼ばれ、入門後、早々にリング内で活躍することになる。小橋には、なんの実績もなかったため、小橋には他の選手の数倍練習することでしか、上位レスラーに切り込んでいくことはできなかったと何かの雑誌で読んだことがある。ただ、プロレスの世界は上下関係をはっきりとさせるという縦社会のしきたりが強い、縦社会のなかで先輩へかみついて、上位を目指すということは小橋にはできなかった。先輩にたてつくことでしか上に向かうことができないのであれば、それは小橋には到底できないことであった。ここでも小橋の人の好さ、先輩を立てるという精神が良く見て取れる。そこで、激しい戦いに、自らの突破口を見出そうとしていた小橋は、なんのしがらみもない外国人レスラーとの抗争に切り口を見出そうとした。その外国人レスラーの一人が、不沈艦スタンハンセンであり、殺人医師スティーブウィリアムス、人間魚雷テリィゴディである。僕が最も恐れおののいたのは、小橋VSスティーブウィリアムス戦である。このウィリアムスのバックドロップは垂直以上の角度で脳天からマットに突き刺さり、小橋は方向感覚がわからなくなり、朦朧と、しかしとんでもなく必死に自コーナーを探し、エスケープしようとした姿がはっきりと映像に残されている。映像でしか僕は見たことがないが、この映像はなによりも小橋のプロレスへかける思いが伝わるものである。オンタイムでこの試合を現場で見たかったという思いは常に持っている。 映像で見てすごさが伝わる試合というのは、会場で見ていれば大爆発である。とてもいい試合が行われた時に、プロレスファンの間でよく語られることは、現場で見ていればよかった。今日試合を見に行ったファンは幸せ者だという発言である。よく実況でアナウンサーもこの言葉を発している。 「今この場所にいる人はしあわせです!!!!」 まさにその発言そのものである。小橋と外国人レスラーとの戦いはいつでもヒートアップしていた。週刊プロレスに掲載された小橋がバイソンスミスと戦った試合の写真で、リングに倒されてマットに伏せているバイソンをさっさと立ち上がってこいと、ものすごい形相で、腰を落とした格好で手招きをしている小橋の写真が掲載されたことがある。この写真を見た時に、猪木が対戦相手を挑発する姿にとてもよく似ていると思ったことがあります。小橋と猪木というのは、団体が異なり、また世代も異なり、まったく交わるところはないし、両者のプロレス哲学はまったく異なっていると僕は認識しているけれど、純粋にプロレスという舞台で、高みを求め続けた二人の姿において、重なり合う部分はかなりあると思います。小橋と猪木の類似性というのは、これまで語られることはなく、重なり合う部分は少ないと考えられていたかもしれないが、なんの偏見もなく二人の試合を見たファンからすると、とても似ているのだと思う。別のルートをたどりながら、異なる時代に、同じ一つの頂きを目指していた二人は類似しているのだと思います。話を小橋のGHC戦に戻そう。高山との試合の時は、プロレスがかなり総合格闘技に押されていた時代に行われていたものだ。そして、新日本プロレスが総合格闘技へ打って出て、数々の戦死者を出していた時代でもある。そのなかで、総合格闘技とプロレスの両方に出場し、活躍していたのが、高山善弘である。小橋のGHC防衛戦において、高山を除いて語ることはできない。高山は総合格闘技に出ていたが、圧倒的に殴り負けることもなく、総合でも一定の評価を得ていた。ドンフライと高山の試合で、両者タコ殴りの試合をしながらも、高山だけがボロボロになっていく姿は、なんとも悲しいものだった。総合格闘技とプロレスの比較では、プロレスに常に哀愁が付きまとうのである。小橋vs高山のGHC戦の日は、さいたまスーパーアリーナでPRIDEの試合があり、高山にはそちらの試合にもオファーが来ていたという。ただ、高山はプロレスを選んだ。その試合の後に、高山が語った言葉には、少し涙ぐむところがあった。 『小橋健太最高だよ。(今日はほかにも総合格闘技の試合がありましたが。というアナウンサーの言葉)。バカヤロウ。俺はプロレスラーだよ。プロレスラーだからプロレスの試合をしに来たんだよ。小橋健太最高だよ』。僕はこのときの高山が一番好きだ。とてもかっこよかった。このときのノアに外敵としてやってきたときの高山は一番に輝いていた。もっと早く華々しい引退試合をして、その引退試合には小橋が花をもって高山の素晴らしいプロレス人生を湛えてほしかった。切に思う。この試合の印象としては、小橋のラリアット、垂直落下ブレインバスター封じのために、高山が小橋の右腕に狙いをすまして、完全な腕殺しをやってのけた。小橋の腕は、ほとんど力が入らない状態になっていたと思う。そのなかで、力の入らない右手で高山をもちあげ、崩れ墜ちるように、垂直落式ブレインバスターを決めて、すぐさま、トップロープに登り、三年ぶりのムーンサルトプレスを決めた。このとき、僕はやはり大学生で下宿の十四インチの小さなブラウン管テレビに文字通り噛り付き、テレビを抱えながら大きな体を丸めて試合を見ていたが、心は完全に日本武道館に飛んでいた。 そして、武道館の一万人五千人の観衆と共に、二人の攻防に息をのみ、強烈な技が出るたびに足踏みをして、最後にはスリーカントを数えたのを今も鮮明に覚えている。利き腕が効かなくなった小橋は、最後にラリアットで仕留めることができずに、ムーンサルトをすることになったが、これに観客は大爆発したのである。涙なくしては語ることのできない名勝負である。鈴木みのるとの戦いも覚えてはいるが、鈴木みのるがスリーパーばっかりかけていて、くそつまらんなあという印象しかない。それでも面白く試合を組み立てている小橋には、やはり畏敬の念を禁じえなかった。鈴木みのるの試合は一貫して僕の好きなプロレスとは違い、エキサイトしたのは小橋との試合ぐらいである。それ以外はまったく好みに合わない。 小橋がやり始めて、その攻防が話題となり、他の選手までそれをまねるようになるケースは非常に多いと思う。例えば、小橋の得意とする剛腕ラリアット、そしてコーナーに相手を押しつけて動けなくしてからの逆水平チョップの連打。この技は、小島聡がほぼ自分の技として、いまでも現役でその攻撃を見せ続けている。そして、剛腕ラリアットについては潮崎がこの技を引き継いでいる。しかし、潮崎の剛腕は見かけ倒しの技で、なんの面白みもない。残念ながら、潮崎は辛いプロレスラー生活をマット上で体現できずに、様々な団体を転々として、技の説得力を落としていったとしか言いようがない。レスラーにとって、団体を移動するということは、ほぼマイナスに働くと思う。かつてのノアの隆盛時に、入団し、ノアの衰退と共にノアを去り、全日本に行き、さらにノアに戻ってきた潮崎にはなんの説得力もないのである。優柔不断なレスラーの必殺技は必殺でもなんでもなく、優柔不断な単なる技である。小橋のプロレスラー生活において、唯一うまくいかなかったことといえば、それは後継者に恵まれなかったことであると思う。優しい性格から後輩から慕われていた小橋ではあったが、小橋門下のレスラーで強烈なトップレスラーになった選手はいない。強いて挙げれば秋山、KENTAだろう。秋山はノアでトップレスラーとなっている。その他の弟子である潮崎、力皇、谷口ともにトップレスラーとして花開いてはいない。力皇に関しては、すでに引退してラーメン屋になってしまった。小橋のGHC防衛ロードで、語るべき人物は、あと三人いる。同じ四天王の田上明、秋山そして、力皇である。まずは、田上明から、田上は入団したときから将来を待望されたエリートレスラーであった。玉麒麟という四股名で、大相撲の幕内まで進んだ田上であり、身長が高く、のそのそと歩くその風貌からジャイアント馬場にとくに愛されていたという。そして、体格の割に比較的器用なレスラーであり、大雑把な技だけでなく、細やかな投げ技もこなしていた。小橋との試合で出した技としては、のど輪落とし、俺が田上、秩父セメント等、とてもユニークな名称がついている。このときの俺が田上はとても魅力的な技だった。ただ、小橋を追い詰めるまでには行かず、たしかリストクラッチ式のバーニングハンマーでマットに沈んだとおもう。とても面白い試合だった。 忘れてはいけないのは、小橋GHC防衛ロードのもっとも重要な相手である秋山だ。先ほど見てもらった試合が、このGHC戦の一つである。秋山と小橋の関係は、秋山のデビュー戦の相手が小橋という因縁である。小橋と秋山は仲が良く、小橋は秋山の兄貴分という関係である。小橋と秋山の試合に関しては、今日見てもらった試合がすべてを物語っているね。 そして、最後に小橋vs力皇戦は悲しい試合でしたね。この試合だけ僕は会場で見ていたんだ。日本武道館で力皇に小橋が敗れた。力皇の無双という技にやられたんだ。小橋はもっと、防衛記録を重ねていく、もっとやれると僕は思っていたけど、急遽まわりから力皇コールが湧きあがり、とても違和感があったのを覚えているよ。なんで、急にまわりのファンは力皇を応援し出したの?なぜ。なぜ。僕は一人小橋を応援していた。小橋の長期政権に対するマンネリ化があったのか?なにか上層部からの圧力があったのかは知らないが。僕の期待と試合の勝敗は一致しなかったんだ。初めて見に行った小橋の試合で、小橋が負けるという悲劇に襲われることとなったのはとても不幸だった。帰りの電車ではなんとも元気がでなかった。一緒について来てくれた友人はつまらなそうに居眠りをしていた。いま長い間プロレスの試合を見てきて、外部からプロレスの仕組みをある程度なんとなく推測できている状態でこの勝敗を冷静に考えると、団体としてはおそらく満身創痍の小橋から若くて動ける力皇へ、世代交代をしたかったのだろうということが良くわかる。しかし、力皇には小橋についたファンの思いを受けきるほどの力量はまだ育っていなかった。ノア衰退の原因は、世代交代がうまくいかなかったことであると思う。ノアという団体が全日本プロレスから分離して発生したという背景があり、次世代の有望な新人はあまり育っていなかったのだろうと僕は考えている。力皇、森嶋、モハメドヨネ、丸藤、KENTA等が引き継ぐべき世代だったが、ヘビー級の二人には小橋の替りを務めることはできなかった。丸藤、KENTAは活躍していたが、この時点ではジュニアの体重であった。この点で新日本プロレスは、猪木‐藤波‐長州からかなり下の世代ではあるが、棚橋‐中邑が引き継いでいる。棚橋―中邑の頑張りがあったからだが、引き継ぐ世代の踏ん張りがきかないと、世代交代はうまくいかないのである。つまり、世代交代とは前世代の人の替りとなる別次元のスーパースターの出現を意味している。つまり、スーパースターが現れれば、世代交代は自動的に完了する。スーパースターが現れなければ、前世代はよかったという思いを引き継ぎながら、世代交代は失敗する。世代交代とはそういうものだ。世代交代するはずだった力皇、森嶋は引退し、杉浦、丸藤、KENTAはいつのまにか年を取ってしまった。さらにKENTAはWWEに行ってしまった。そして、さらに次の世代へと世代交代しようとしているが、インディー上がりのレスラー達の集まりになってしまったノアに、世代交代に耐えうるスーパースターがいるのかどうかは甚だ疑わしい。僕の意見としては、そのような見立てだね。」 ヨシダの長い話は終わった。アキは時折、ヨシダの長い話に相槌を打っていたが、途中からは少し眠たそうだった。 「小橋選手に対するヨシダさんの思い、プロレスへの熱い思いを知ることができました。ありがとうございました。私も小橋選手の試合を他にも探して、見てみようと思います。棚橋選手や内藤選手のようなトップレスラーも、小橋選手と同じような精神構造、モチベーションでプロレスに望んでいるのでしょうか。ヨシダさんは新日本プロレスの選手に関してはどのように思いますか。」 「そうだね。棚橋選手や内藤選手もすばらしいトップレスラーだね。彼らのようなトップレスラーの防衛試合が新しいプロレスを作り出している。それぞれのプロレス観がその団体のプロレス観、またはプロレスというジャンルの特性を生み出しているといっても過言ではないだろうね。棚橋や内藤は自らの試合で、プロレスとはこういうものなのだ、こういうプロレスをすればお客がエキサイトして、満足していい気分で帰宅することができるのだということを示しているのだろうね。トップレスラーとは皆プロレスを再定義できたレスラーだということだね。棚橋のプロレスは古くは武藤プロレスの系譜であり、内藤のプロレスは蝶野のプロレスの系譜なのかもしれないが、それぞれ自らのプロレスの世界観を作り出している。そして、棚橋と内藤の後にもまた、あらたなレスラーが生まれていく。脈々と続くトップレスラーの系譜を追っていくことは、プロレス史を追っていくことと同義である。僕はそう思う。」 ヨシダの長い話を聞いて、アキは深く息をついた。二人は、静かに席を立ち、喫茶店を後にすると、雑踏に消えていった。
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