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 みちのくプロレスを観戦に行った後、ヨシダとアキは不思議な高揚感に満ちていた。いつだってプロレスを見た後の高揚感は同じだけれど、ヨシダにとってマスクマンはプロレスの原点であり、そして一番好きな存在でもあった。先日の覆面ワールドリーグはそんなヨシダの好みを十分に満足させてくれるような試合であった。そのヨシダの気持ちの高ぶりが、アキにも伝播したようだった。アキはその帰り道、いつもよりも饒舌にヨシダに話しかけていた。 「新日本プロレスにも非定期でマスクマンが参戦することがありますが、今日の試合はすべての参戦選手がマスクマンというプロレスの中でも非日常的な試合で始めて体験するプロレス観戦風景でした。最初の入場セレモニーで、全参戦選手十二人が勢ぞろいした景色は圧巻でした。何枚も写真を撮っている自分がいました。非日常がここに極められたといった趣でした。なかでもやはりザ・グレートサスケ選手の身体能力はとびぬけていますね。サスケスペシャルを生で見られたことは、私にとって大きな財産です。」 アキは一息に自らの熱意を吐き出した。 「喜んでもらえて幸いです。僕もこのマスクマンだらけの非日常空間は他のプロレス団体では決して味わうことのできないものだと思っています。マスクマンだらけのプロレス大会です。そしてそれは世界規模なもの、それが覆面ワールドなのです。何を持って世界規模なのか。それは誰にもわかりませんが、開催者が言い切って、それでもやってくるファンがいる。そして、その興行が成り立てば、それは世界規模なワールドマッチになるのです。それがプロレスのいい加減なところであり、ファンの心境次第で是が非になる。それがプロレスの醍醐味でもあります。よりコアなプロレス団体ほど、その傾向は顕著なものになります。みちのくプロレスはその最たるものと言えるでしょう。」 「はい。まさにそう思います。私が普段見ている、新日本プロレスとはかなり違うということは先日後楽園ホールに足を踏み入れた瞬間にわかりました。まず、ファン層が違いますね。そして、土産物ブースでのマスク販売がきわめて多い。それが良くわかります。たぶんメキシコのルチャリブレの試合会場に近いのだと思います。ところで、来年の1.4、ヨシダさん、もちろん行きますよね。プロレスファン参加必須の試合ですよね。」 久しぶりにアキから、ヨシダをプロレス観戦にお誘いしたのである。今回の1.4はそんな感じの成り行きである。なし崩し的に、情熱の赴くまま、プロレス熱にうなされた状態で、怒涛のプロレス年末年始。年末のアレナ・コウラークエンから年始の東京ドームへ向かった二人である。 チケットが2枚届きましたよ。と二枚のチケットを映した写真とともに、ヨシダの元にメールが届いたのは、大みそかのことである。一人静かに自宅マンションの一室で年越しそばを食べながら、年末の歌合戦を見つつ、だらだらとソファーに座っていると、携帯が急に震え、メールが届いていた。 「おお。ついにチケットが届いたか。」 ヨシダは小さくつぶやき、返信メールをぽちぽちと打ち始めた。チケット購入ありがとう。体調を万全にして応援に向かいましょう。そしてとても楽しみにしていますと。 水道橋へ向かう総武線の中で、水道橋駅が近づくにつれて、次第に奇妙奇天烈変なTシャツをきた人々や、やけに体格が立派な太った外国人や、黒っぽい服装をしてチェーンをやたらベルトに巻いている人々が増えてきていることに、ヨシダは気が付いていた。皆、わかりやすいプロレスファンである。わかりやすいのは、赤いライオンマークのTシャツを着ていたり、10数年前のCMLLのTシャツを着ている特徴的な人たちである。かく言うヨシダも、数年前に購入した獣神サンダーライガーの顔面が正面に大きくプリントされたTシャツを着ていた。昔からのお気に入りのTシャツである。Tシャツの上には、品のいいジャケットを着ている。品の良いプロレス紳士の正装である。今年の1.4は土曜日なので、仕事を気にせず、心置きなく会場に向かえる。最高のシチュエーションである。気が付くと、電車の中は、特殊な人間たちで、いつの間にかいっぱいになっていた。ヨシダの座っていた隣の椅子には、いつの間にかロスインゴのTシャツを着た二十代らしき女性の二人組が座っており、本日のメインイベントである内藤VS棚橋の勝敗について熱く語っていた。もちろん内藤が勝つだろうとの読みだった。そして、ヨシダの正面に立っている男性は、数十年前のIWGPの文字と、永田の似顔絵が印字されたTシャツをきていた。何が何だかわからない混沌とした状態である。残念なことに今年の1.4に永田は出場しないというのに、なんとも熱心な永田ファンである。ファンとはそういう生き物だ。過去に素晴らしい試合、印象的な試合をしたレスラーにファンは感動して、その姿、レスラーの戦いの歴史が脳裏に刻みこまれる。目の奥にこびりついたその幻影を追い続け、すでに第一線を退いたレスラーのTシャツを着て、応援し続ける。とても幸せなファン心理である。 水道橋駅に着き、ホームに電車が滑り込む。プシューという音とともに、電車のドアが開くと、隣の女性二人組も、正面の男性も、そして車内のほぼ全員が降りるのではないかというぐらいに、電車が少し傾いたように特殊な人々が動き出した。さあ始まるぞといった感じである。ヨシダもその流れに身を任せ、ホームを歩き始めた。数m歩くと、前によく見たことのある猫背の背中が見えた。暖かそうなフードのついた灰色のトレーナーを着ていた 「やあやあ。」 早々にアキに追いつくとヨシダはぽんとアキの背中をたたいた。 「おっ。ヨシダさん。なんと。びっくり。こんにちは。ついに、1.4ですね。私は初めての1・4生観戦なので、とてもドキドキしています。ヨシダさんは何度目の観戦ですか。」 「僕は毎年1.4には参戦しています。でも今年の盛り上がりは近年のなかでも最高のものだと思います。電車の中でも、プロレスファンらしき人たちで埋め尽くされていたし、不思議なものです。1.4の水道橋、後楽園はまさにプロレスファンのメッカ、イスラム教の聖地巡礼なのでしょう。それはある種プロレスファンの初詣。」 ヨシダもこのある種特殊な状況に気持ちがハイになっていたのだろう。一息に話をした。 水道橋駅から込み合う道のりを二人並んで歩いている。まだ、開演までは一時間以上ある。せっかちなアキは早めに集合することを提案してきたのである。ヨシダもアキに負けぬせっかちな男である。 「まだ、開場まで1時間以上あるので、どこかで喫茶店にでも入りませんか。作戦会議をしましょう。」 作戦会議なんていうのは、試合開始前に二人でプロレスの話をして今日の試合はどうなるのかというのを、あーだこーだと話すだけである。そんな会議になってしまった。会場の熱気に背中を押されて前のめり気味のアキである。駅を出るとすぐに東京ドームの方向ではなく、右に曲がり、近くのコーヒーショップに向かっている二人である。 「そうですね。プロレスグッツは買わなくても大丈夫?T棚橋のTシャツとかかわなくていいかい?」 「大丈夫です。今日は特別な試合なので、観客も多いですし、通常の興行の時に購入します。それに棚橋選手のTシャツはすでに着ています。」 そう言ってアキは暖かそうなパーカーの煤をめくると、下には「GO ACE」と書かれた棚橋のTシャツがちらりと見えた。 「それはいいね。応援準備万端ですな。」 「ヨシダさんもライガーのTシャツでばっちり準備ですね。ヨシダさんはライガーのファンだったのですね。初めて知りました。やはりヨシダさんはマスクマンが好きなのですね。」 「そうだね。僕のプロレス原点はやはりマスクマンにあるね。サスケ、ライガー、タイガーマスク。僕の好きな時代のマスクマンだね。」 「今日の試合では、ライガー選手はどこで出るんでしたっけ?」 「今日は、第0試合のロイヤルランブル戦だね。最初から大暴れして、開場をヒートアップしてもらいたいね。そろそろ、コーヒーショップについたよ。作戦会議は暖かいコーヒーを飲みながらたてよう。寒くてかなわんよ。」 二人はコーヒーをすすりながら、スマートフォンの画面に表示されている試合順を確認していった。 「第0試合 ロイヤルサンブル、第一試合 ・・・」 二人で試合順を確認していった。そして、セミファイナルに今回の最高潮の試合が用意されている。 「棚橋―内藤戦が、セミファイナルですね。これは僕もたぶんアキさんももっとも注目している試合だとおもいます。セミファイナルにするのがもったいないくらいの組み合わせです。」 「もちろん。棚橋―内藤戦が最も私の注目している試合です。」 アキが即座に反応した。 「これまで盤石の態勢を築いていた棚橋が既存の態勢を保ち続けるのか。それとも昨年大きな成果を上げてきた、苦労人内藤が勝利を手にするのか。これはまさに直近の新日本プロレスにもっとも明確な形で表現された世代交代の形ですね。まさに、新旧人気者対決の明暗が分かれる試合です。」 「まさにそうです。私はがぜん棚橋選手側で応援させてもらいますが、ヨシダさんはどちらの応援になりますか?もしかして内藤?」 「基本的には僕は内藤選手を応援する立場です。ですが棚橋選手のファンでもあります。とても複雑な心境です。今大活躍している内藤選手にとっては追い風が吹いていると考えてよいでしょう。」 「やはりそうでしたか。それではセミファイナルでは、隣に座っていながら、別の選手を応援することになりますね。最初に後楽園で会った時のことを思い出しますね。ヨシダさんは内藤選手に大きな声援を送っていました。私は、棚橋選手の名前を連呼していました。とてもなつかしいです。」 「そうでしたね。最初にあったときも僕は内藤選手、アキさんは棚橋選手を応援していましたね。とてもなつかしいです。」 「なつかしいですね。ところでヨシダさんは今年のお正月は実家の埼玉にお帰りだったんですか。私は年末から三箇日の間は実家の長野に帰っていました。」 「私も埼玉の田舎に帰っていましたよ。大みそかと元日だけですが。それ以外は自宅のマンションでだらだらとしていました。そんな感じです。アキさんは帰るのに時間がとてもかかるのではないですか」 「そうですね。四時間くらいかかりました。東京から松本まではあずさで行けるのですが、松本駅についてから、在来線の各駅停車の電車で一時間以上いかないと実家のある村にはつけないのです。最寄りの駅からも車で二十分くらいかかります。実家に帰る時はいつも父が迎えに来てくれます。久しぶりに帰ったので、母はいろいろともてなしてくれました。やはり地元はいいですね。とてもくつろぎました。元々田舎で生まれ育ちましたので、慣れている気がしていても、東京の雰囲気中では少なからず気が張っているのでしょうね。」 「そうですよね。埼玉に暮らしていた私でも、東京の雰囲気はなかなか慣れることはできません。田舎はいいですね。」 「実は母にヨシダさんとプロレスを見に行っていることを話しました。とてもよろこんでいました。」 「それはよかったです。」 「昔、父とプロレスを見に行ったことがあるということを話したことがあったと思いますが、今回もその話を家族でしました。当時私はとても喜んでプロレスについて行ったらしいです。記憶はもうないのですが。プロレスを見なかった期間が十数年ありましたが、三つ子の魂百までということわざのままに、再びプロレスに戻ってきたようです。私が再びプロレスを見に行っていることを知って、父はとてもよろこんでいました。父は自分の影響で私がプロレスを好きになってくれたと喜んでいたようです。不思議なものです。」 「それはよいですね。お父さんもうれしいのですね。」 とても楽しそうに自分の家族の話をするアキの姿に、ヨシダはとてもうれしく感じ、その会話のなかに自分が現れることはさらにヨシダの感情を和やかにさせた。そして、二人でこれから始まる東京ドームでの試合のカードを見ながら、どのような試合になるのだろうか。ということを語っていた。時間は17:00を過ぎたあたりで、ヨシダはおもむろに荷物を整理し始めた。 「そろそろいきますか。あと十分くらいで開場ですよ。」 「おっ。そろそろですね。しびれますねー。血が湧いている感じがします。私は、初めての1.4東京ドームです。なんだか心臓の鼓動が早くなってきました。」 アキは、大きく深呼吸をして、ふううっと息を吐いていた。とてもかわいらしい仕草であったとヨシダは思った。喫茶店をでると、二人は大勢のプロレスファンの波にのまれながら、夢の舞台東京ドームへと歩いていった。 セミファイナルの棚橋―内藤戦は存分に素晴らしい試合であった。これぞ、プロレスという形の一つの到達地点と感じた。メインイベントのオカダーケニーオメガと、棚橋―内藤戦は、どちらも素晴らしい試合ではあったが、両極端をなすような、異なる試合であった。オカダーケニーオメガの試合は、まさに全日本プロレスの四天王プロレスにも通じる激しいプロレス、痛みの伝わるプロレスという分野において、現時点で最も評価されるべき試合だということ。そして、棚橋―内藤戦は痛みが伝わるというよりむしろ、プロレスという脈々とつながる一大叙事詩においても稀有な試合であったということ。それは、プロレス界ではとても珍しい両者が体力的にも、精神的にも動ける中で、世代交代が行われた試合ということだ。そして、二人の長い歴史にちりばめられた未解決事項をしっかりと回収した試合だということである。その点で、ヨシダは棚橋―内藤戦をより評価している。 プロレスにとって、世代交代は語らなくてはいけない最も大きなテーマの一つである。レスラーは、人間であり、人間には寿命がある。そのため、通常の企業においては、退職する時期が決まっており、定期的に退職する人間と、新しく入社する人間がおり、企業の新陳代謝は保たれている。つまり通常の企業では毎年、世代交代が徐々に進んでいるのである。しかし、得てして、プロレス界においてスムーズに世代交代が行われた場面を私は見たことがない。それはなぜか。端的に言えば、レスラーが活躍できる期間と、人間としての寿命にかなりの差異があるからである。つまり、第一線のレスラーとして活躍できる期間は、二十代後半から、長くて四十代前半までであり、通常企業のサラリーマンが六十五歳まで働くのと比較しても、明らかに短いのである。他のメジャースポーツと比べて、レスラーの給料は、極端に高いわけではないため、レスラーを辞めてからの人生をそれまでの貯蓄で過ごしていくことはできない。つまり、レスラー以外の第二の人生を送らないといけないのである。そのため、体調が悪くなり、コンディションが悪くても、レスラーは長い期間働き続けることになる。このことを考えると、好きでないとできない職業であり、選ばれた人間しかなることができない。それは刹那的な人間のみがレスラーになるのではないかと私は、いぶかしんでいる。そのため、本当に退団するまで、明確な世代交代はレスラーにはできない。世代交代をしたと宣言してしまったら、再び第一線にもどってくるのは難しいのだから。世代交代をしたと明確に宣言しても、うやむやにしてまた第一線に戻ってくるのがレスラーの性である。超一流のレスラーは次第に体が動かなくなってくると、レスラーは時にレジェンドレスラーと呼ばれ、入場し、リングに上がり、コールされるだけでも十分なレスラーとなる。これこそが真に効率の良いレスラーである。若手は体をシバキあうことで、その存在価値を見出され、レジェンドはリングに立つだけで価値を持つ。これぞレスラーのたどるべき正しい道のりである。ファンはそのレジェンドが歩んできた、厳しい戦いの歴史、輝かしいベルトの数々を知っているので、そこに立っているだけで声援を送るのである。そこで初めて、世代交代により、後身に新たな手綱を渡したことになる。世代交代の大事な点は、前任者の潔い引き際と、後身の目覚ましいスター性である。後身の選手が、スーパースターにならなければ、前任者のレスラーが潔く引いてもそれは世代交代にはならない。ノアの世代交代は見ていて悲しいものであった。小橋の圧倒的なスター性を超えることができない後身たち、小橋の引退試合は僕の大好きな試合ではあるが、小橋は3wayタッグマッチを選択した。これは、リングにいる小橋以外の七人にタスキを渡したことを示しており、一人に託すことはあまりにも辛いことだということだ。小橋は自身一人分のタスキを七人の後身にたすきを渡したのである。 話を戻して、今回1.4東京ドームの内藤‐棚橋戦について記述する。この試合は、一言でいえば、とても良い試合。世代交代の見本のような試合であった。そして、近年過激化するプロレスの攻防において、今後のプロレスの進むべき道のりを示すような試合であったと私は思っている。派手な攻防はない。ただ、お決まりの戦いがあるだけ。しかし、湧き上がる東京ドームの3万人の観客。そして、TV画面の向こうで、ライブ観戦をしている人達。序盤のにらみ合い、内藤の棚橋を小ばかにしたようなムーブ。そして、棚橋を場外におびき出してから、自らはリングの中央に寝そべり、目を見開いた涅槃ポーズ。そして、つば攻撃。そして、序盤後半のひざ攻めは、棚橋のドラゴンスクリュー、内藤の低空のひざへのドロップキックと執拗なまでのひざを責めるグランドテクニック(プルマブランカ)。そして、中盤以降に繰り出される棚橋のスリングブレイド、観客をあおってからの場外から飛んでくる旋回式のセントーン。内藤のコーナーで、相手の足を払って、コーナーの下にしりもちを着けてからの、旋回式のけり。よくよく見ていると、プロレスの構築方法は棚橋と内藤でまったく同じであり、攻めている箇所は試合時間と共に変わるが、その流れは両者できわめてよく似ている。次第に、攻防はトップギアに上がってきて、ノンストップの攻防へと移行する。しかし、終わりが次第に見えてくる。棚橋がハイフライフローを数回繰り出し、そのうち一回は内藤に剣山を食らう。観客のボルテージは大爆発状態である。今回新しい技は何も見られない。いつもの棚橋、内藤の技を見ているのだが、何かが違う。我々コアなファンは知っているのである。この試合が持つきわめて大きな意味合いを。世代交代するのかしないのか。内藤に世代交代してもよいのではないか。昨年四月に両国国技館でのオカダとの一戦で大爆発を起こし、激勝した内藤には、棚橋はもう負けてもよいのではないか。内藤に、棚橋の変わりをさせても、我々ファンが求めているプロレスの面白さは続いていくのではないか。そう思っていた観客は多いだろう。ファンは残酷である。あんなにも棚橋、棚橋と叫んでいた観客は、十年叫び続ければ、他の人気者を探したくなる。棚橋のこのときの気持ちを考えると余りあるものである。しかし、世代交代とはこういうものだ。企業ではこんなにも激烈な世代交代は行われない。去る者は静かに去り、のし上がるものはその責任を全うできるように、必死で頑張るのみである。そこに、敵対するという関係はない。技能伝承。これが企業の世代交代である。しかし、プロレス界の世代交代は立派に育った子ライオンがこれまで育ててくれた弱った父ライオンを食いちぎるがごとくである。ファンは辛いが、新しい時代の訪れを喜ぶ。世代交代を終えた前任者は、ただ食い殺されるがごとく。試合に話を戻すと、棚橋のハイフライフローも及ばず。内藤のデスティーノで、試合は大熱狂の大声援の中、レスラー達の戦いは静かに幕を閉じた。 内藤の技名選びは秀逸である。デスティーノ。世代交代も運命である。そして、内藤は静かに、横たわる棚橋の胸に拳を置き、その手を高く上げた。そして私は涙する。新しい時代を見たいという思いと、これまでの棚橋の活躍を見続けたいというとても複雑な状況。ファンもどちらを応援するのかは迷っていたような複雑な節がある。ただ声援は内藤が多いように聞こえた。 世代交代は悲しい。これはプロレスラーの宿命である。しかし、この後の内藤のグダぐだとした感じ、棚橋の第一線への復帰をにおわせた行動を考えると、やはりプロレスは何でもアリなんだなと思った。そんな土曜日の昼下がり。いかがお過ごしでしょうか。
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