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私だけ、私だけのもの
「最後の一文がどうしても思いつかないんだ。」
そう言っていた先生が亡くなった。
未完の作品を残してこの世を去る事になった無念さはどれほどだろうと周りは言うが、
私は作品から解放された喜びの方が大きかったのではないかと思う。
現に、先生の顔はとても穏やかに見えた。
「お疲れ様でした、先生。」
私は周りに聞こえないぐらいの声で先生に語りかけた。
奥様は、長い間ありがとうと涙ぐみながら手を握ってきた。
「いえ。」
と、私は小さく答えた。
さあこの作品をどうしようかと、葬儀が終わると周りが言い出したが、後日見つかった遺言書に従い私が引き取る事になった。
奥様は何も言わず黙っていた。
未完で出しても面白いと、その後もしつこい担当者がいたが、私は断固として首を縦に振らなかった。
これは私がもらう。
私だけの作品。
私のもの。
「最後の一文は君に託そうかな。」
先生は生前、冗談混じりにそう言った事がある。
先生、本当に私に託してくれますか。
私はペンを走らせた。
誰も知らないこの作品の最後の一文。
最後の言葉。
先生がベッドで最後に囁いてくれた言葉。
「愛してる」
殺したいほど。
私はその夜、完成した原稿を抱いて寝た。
明日、この原稿を燃やそう。
そう決意して。
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