② 十二月/西條冬木

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[6] 思いがけない訪問者  最近の天気予報はよく当たる。  金曜の予報は雪だった。  予報通りだったけど今日の雪は雨混じりのじっとり重いやつで、しかも地面から数センチ積もっただけだったから、情緒より小汚さの方が強い。本当に、残念ながら。  雪は昼前にはすっかり止んでいた。  足元は食べかけのかき氷みたいな有様だ。  顔に吹き付ける寒風に、 「くぉー、寒みっ。さみぃー」 と、隣を歩く小林が情けない声を上げる。 「聞いてよ冬木。声かける女、みんな彼氏持ちってどうなの」 「俺もそうだが」 「いや、それは置いとこーよ。つぅか、世間体気にしろよ。俺はまぁ、そうなんだとしか思わんけど」 「世間体……そうだな。小林が嫌じゃないのは何でだ」 「お前狙いの女の子を口説き落とせるから」 「手近なゼミの後輩を落とそうとするのはやめてくれ」  俺がそう言うと小林が目を逸らした。気まずそうに鼻の頭をかいている。あ、コイツもう声をかけてフラれたんだなとピンと来て思わずため息をつくと、小林は取り繕うようにヘラヘラと笑った。 「ビビッとくる出会いってないもんかねー。あー、この間会った光森さん良かったなぁ。またあの店行っちゃおうかなぁ」 「俺はもう付き合わないぞ」 「また会えたら運命なんじゃね」 「店に行って会うのは運命じゃないだろ」  なにしろ寒いので俺は学食特製の舌が焼けるように熱いカレーを食べることしか考えていなかった。俺が言うのもなんだが、カレーは俺にとって洸夜とイコールの食べ物なのだ。洸夜には内緒だけど学食で食べる時は極力カレーにしている、特に最近。つまり、寂しいのだ……俺は。  多くの学生によって踏み締められた雪はところどころ固まって氷の部分がある。乗ったら確実に滑って転ぶその部分を目で確認しながら避けて歩いているうちに学食の入り口が見えてくる。  転ばないように気をつけるあまり俺は下ばかりを見ていた、そのせいでいつのまにか俺の前を歩いていた小林に気づかずこいつの背中にぶつかって後ろから押す形になってしまった。 「う、ぉ!」  つんのめった小林の体が腰が砕けた前傾姿勢で数ミリ宙を浮く。  そのまま転ばなかったのは受け止めてくれた相手がいたからだった。だが衝撃の勢いが殺せないまま二人して転びそうになるのを俺が両手で掴んで食い止めた。背が高いとこう言う時役に立てる。なにしろ手足も長いんで。 *  学食内は予想通り混んでいたものの、幸運なことに空いているテーブルがあった。学食の中は暖房がかかっているのと学生で溢れているのとで結構暑くて、寒さでこわばっていた体が緩むのがわかった。 「それにしても寒かったんじゃないですか。どうしてうちの学食前なんかに」 「あの、やっぱり西條さんに聞きたいことがあって……」  学食なら必ずお昼に来るだろうって見当つけて待ってました、と言われて思わず固まってしまう。会えるかどうかわからないのに、この寒さの中待っていたのか? この人、案外ギャンブラーだなと思うと同時に体調は大丈夫なのか心配になる。  俺の向かいの椅子に座った彼女は潤んだ瞳を隠すように俯いた。くしゃんと可愛らしいくしゃみをするこの人は二日前に小林と一緒にいた香水店の店員、三森さんだ。  転びかけた小林を受け止めようとしてくれたのはなんと彼女だったのだ。仕事が休みの今日、わざわざ会いに来たのだという。そういえば、この間浩暉さんも一緒にお茶することになった時に大学がどことかそんな会話はしたな、と思う。それを覚えてくれていたのか。  ふと横を見ると俺の隣に座る小林が耳まで赤くしながら、 「やばい、マジで好きになっちゃった。だって運命だもん」 などとブツブツ言っている。光森さんと顔を合わせられないのか。転びかけた時彼女に抱き止められてキュンとなったみたいだ。意外に初心……というか乙女だったんだな、お前。しかしめんどくさいので放っておく。。  お互いせっかく注文した食事が冷めるのはもったいないので、食事が終わったところで俺は、 「一体何を聞きたいんですか」 と光森さんに聞いた。 「新堂部長のことです」 と少し思いつめた響きで光森さんが言ったので俺は思わず周囲を確認した。  ちょっと身動きすると肘がぶつかりそうな距離で皆すわっている。それぞれの会話と食事に夢中だから、知らない人間の会話に聞き耳立てたりはしないだろう……。 「えっと、私の友人なんですけど……、部長とお付き合いしてまして。でも急にフラれたんです。その理由がわからなくて、何がいけなかったのか知りたいんです。本当に最近分からないんです、部長。杖ついてるでしょ、あれもよくわからない。怪我したんだそうです。でもいつ怪我したんですかって聞いても答えてくれません……私、あの人のことが全然わからない」  そう言った光森さんの両目からポロリと宝石のような涙がこぼれ落ちた。  隣で小林が切ないため息を吐くのが聞こえて、俺はこの哀れな友人に心の中で語りかけた。 (残念だな小林。また速攻でフラれて……予想はついてたけど) 「新堂さんとお付き合いしている友人というのは光森さん自身のことなのですね」 「えっ、なんで分かったんですか」  この話でわからないと言う方がおかしいのだが、光森さんが無邪気に目を丸くするので俺は真面目な表情をなんとか取り繕う。 「……なんとなくです」  彼女の視線が肌に食い込むように痛い。思わず目を逸らすと今度は抜け殻のように死んだ表情の小林が目に入る。頼むから自分のアパートに帰り着くまでの生気は温存しておいてくれ。 「残念ですが、俺、浩暉さんとは本当にこの間が初対面で、光森さんに何か教えてあげられることは特にありません」  彼女の必死さに心を痛めながらも俺はそう言うしかなかった。 「あの、涙……よかった拭いてください」  堪えきれずにポロポロと流す涙のせいで光森さんの顔はびしょびしょになっていた。さすがに近くの席の女子たちがギョッとした顔で彼女の方を気にし始めているのを見るにみかねて俺はポケットから出したハンカチを差し出した。  だけど彼女は「持っていますから、おかまいなく」と、自分のハンカチを取り出して頬にあてる。明らかに男ものなそれをみていると、「あ」と言う顔になった光森さんが、 「これ、お守りなんです」 とつぶやき、うつむいた。  それだけで、そのハンカチが誰のものかわかってしまった俺は、この人もお守りが必要な恋をしているのだなと、ぼんやり思った。
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