マッチングアプリで出逢ったのは会社の鬼上司でした

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 約束の場所は会社から地下鉄で30分近く揺られた先のS町のバーだった。大半の客がゲイの店で、俺も数回行ったことがある。これから会う相手も、よく知っているとメッセージに書いていた。もしかしたら、ニアミスくらいしていたかもしれない。  俺はカウンター席に座ってジントニックを頼んで店内を見回した。カップル客ばかりでそれらしい人影はない。  スマートフォンが緩く震えた。 ≪S駅につきました≫  彼はこれから到着するらしい。柄にもなく緊張してきて、俺はカクテルを半分くらい飲み干した。  数分後、ドアチャイムが鳴った。思わず振り返った俺は、慌てて顔を戻した。 (嘘だろ、なんで課長がここに?)  1時間前、職場を後にする俺に冷たい視線を送っていた課長が、ドアを開けたのだ。  ……まさか、課長もゲイだったのか。  確かに左の薬指に指輪をしていないし、妻子の話を聞いたことはない。まだ30代半ばだから、独身でもそこまで不自然ではないけど……そういえば本田さんがそれっぽいことを言っていた気がする。  いやいや、そんなことはどうでもいい。まだ課長は気が付いてないみたいだから、このままどうにかやり過ごしたい。俺は背を丸めて下を向いた。待ち合わせの相手がいるなら、早くそっちに行ってくれないだろうか。俺の相手もすぐに来ちゃうんだよ。  ふたたびスマホが震える。 ≪お店につきました。どこにいますか?≫  あれ、課長が来店した後にドアチャイム鳴ったっけ?まだ外にいるんだろうか。俺は素早く返信した。 ≪外にいますか?≫ ≪もうお店の中です。時計の横にいます≫  店にはアンティークの掛時計があって、俺たちのようにリアルでは初対面の者同士が待ち合わせるときの目印にしていた。時計の横に立っているのは課長しかいない。俺は極力顔を動かさないようにしながら、ほかに誰かいないか探したが、徒労に終わった。 「マジか……」  顔を上げた途端、課長と視線がばっちり合った。薄暗い店内なのに、みるみる蒼ざめていくのがわかる。そのまま俺たちはしばらく睨みあっていた。どうしたらいいか本当にわからなかったのだ。しかし、キャッキャと騒ぐオネエな3人組が入ってきて、課長は俺の近くに押し込まれた。 「……ヨシスケさん?」  俺のハンドルネームを口にした課長は唇の端を引き攣らせていた。「吉野」だから「ヨシスケ」。我ながら安直な名前にしたものだ。 「か、課長……じゃなくて、ハルさんですね」  課長の下の名前、治彦(はるひこ)だったよな。俺よりどストレートなハンネじゃねーか! 「ああ、そうだ……」  俺が半月ほどウキウキとメッセージの交換をしていたハルさんは課長だったのか……頭の中が真っ白になっていたがそれは課長も同じらしい。立ったまま呆然としている。 「とりあえず座りませんか」  課長はまだぼんやりとした表情のまま、俺の隣の椅子に腰掛けた。
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