九龍城の恋

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 足早に歩き数分経った頃、前方に人の気配を感じ足を止めた。 、、、男。中肉中背の黒いシャツを着た、全身黒ずくめの男が前に立ってい た。  暗くて顔がよく見えない。でも、彼から出ている不穏な、危険な雰囲気は感じることができた。 『このまま進んでは危険だ』  私の第6感がそう訴えていた。後退りをしようとしたその時、その人物が一歩前に足をすすめた。  薄暗い明かりの中で彼の顔がはっきりと見えた。  後ろにかき上げた茶色の髪。悪意のある笑顔。ギラギラした鋭い目つき。 ミンだ、、、。新義(サンイー)のメンバー。しかも悪名高い、非道な噂をよく聞く人物だった。彼の悪評は私の耳にさえ届いている。 「よぉ、、、。どこに行くんだ?」 「、、、なんでもないです。帰るだけです。」  足早に彼の隣を通り過ぎようとした。その時、彼がズボンのポケットから何かを取り出して、私の行手を阻むようにした。  目の前に出されたそれは、バタフライナイフだった。銀色に鈍く光るナイフが、ミンの右手に握られていた。  私の背中に緊張が走る。、、、怖い。何を考えているかわからない。逃げなければ、今すぐ。  私がジリジリと後退りをすると、ミンはニヤニヤ笑みを浮かべながらこういった。 「そんなに急いで帰らなくてもいいだろ、、、。俺はお前のことをずっと知ってたんだ。しょぼいバーには似つかわしくない、いい女が働いているってな。その時から俺はずっとお前のことをモノにしてやろうって考えてたんだ」」 その言葉をいいおわるか終わらないうちに、彼はナイフを持ったまま近づいてきた。 「、、、いやっ!!!!」  逃げようとする私の腕をつかみ、そのまま城内の通路の壁に押し付けられた。顔の前にはナイフが突きつけられている。 「、、、大声出すなよ。静かにしてればすぐ終わる」  ミンはナイフをゆっくり動かすと、私の服の襟をナイフで切り裂いた。急に私の胸元が顕になり、下着が見えた。  痛い、、。ものすごく強い力で、壁に押さえつけられていた。背中で掴まれた腕が痺れる。  私は恐怖で全身が震えていた。周りを見渡しても、この時間帯だと誰も歩いていず、城内は静まり返っている。特にこの4階のエリアは人気が少ないフロアだった。 「、、、お願いします、、。やめてください」  私は涙声で懇願した。痛さと怖さで、涙が目から溢れていた。喉がからからで声がうまく出ない。ミンはそんな私の表情を面白そうに、眺めていた。 「動くと、ナイフが綺麗な顔に刺さるぜ。」  ミンが私の腕を掴んでいる手で、私の服をさらに引き裂こうとした時だった。 「、、、おれのシマで勝手なことをしてくれたもんだな、ミン」  ミンはその声が聞こえるやいなや、バッと後ろを振り返った。  そこには冷たい顔をしたキョンがいた。  少し長めの黒髪、派手な柄のシャツにジーンズを来て、両手をポケットの中に突っ込み、ミンを厳しい目で見つめていた。  隣にはキョンの弟分といわれているヤンもいた。 「おれのシマで勝手なことは許さねえ。誰に許可を得て女を無理矢理襲おうとしている? 悪いがお前の行動は筒抜けだ。」 「、、、、、てめぇ」 「わかったならさっさと出て行け。俺が本気でブチ切れる前に」  ミンは、キョンをすごい目で睨みながら、私から手を離した。ナイフをポケットにしまい、キョンと向き合って凄んでみせた。 「、、、タダで済むと思うなよ」 「どっちがだ。さっさと消えろ」  ミンはキョンを殺さんばかりに睨むとその場から立ち去っていった。  私は何が起こったか急には頭の中で整理できずにいた。腰が抜けたように、足元に力が入らなくなり、床にしゃがみ込んだ。自分の腕を見ると、強く掴まれた痕が残っていた。  ボロボロと涙がこぼれる。私はひどい状態だった。ワンピースが襟元から裂け、下着が見えていてとても外を歩ける服装ではなくなっていた。両腕で前を隠すように抱きしめた。  するとキョンはそんな私を見て、来ていたシャツを脱ぎ、近づいてわたしの肩にかけた。  そして私の頭を優しくポンと叩き、こう言った。 「、、、泣くな。もう大丈夫だ」  それからのことはうろ覚えだった。  その場にいた、キョンの仲間のヤンが家まで送ってくれ、「心配ないから、何かあったら遠慮なくいってください」と言い残し、帰っていった。  玄関のドアを開け、部屋の中に入り時計を見ると夜中の12時をすぎていた。 そっと母さんの寝室のドアを開けると、母さんは穏やかな顔で寝ていた。その寝顔に少しだけホッとする。 ド アをしめて、居間のテーブルに腰掛ける。先ほどあった事がフラッシュバックしそうで怖い。必死で、考えないようにした。  母さんには言えない。今日起きたことは、自分の中にしまっておこう。結果、最悪なことはされなかったし、気にしてはいけない、、。  そう自分に言い聞かせて、風呂場に行き、ボロボロになったワンピースを脱ぎ、無造作にゴミ箱に捨てた。  数日立って、その事件を気にしないようにしていたけれど、私の部屋にある緑色の派手な柄シャツがあのことは現実だったんだと思い出させた。  借りたその派手なシャツは洗濯して紙袋の中に入れてある。会った時に返そうと思っていて、いつでも持ち歩いていた。会ってお礼を言いたかった。キョンが来てくれなかったら、間違いなく最悪な事態になっていたはずだ。  そしてその事件から3日たった日のことだった。  出勤時間の16時ごろに九龍城の前の通りを歩いていると、入口の近くに数人の仲間とタバコを吸いながら立ち話をしているキョンが目に入った。背が高いし、いつも派手なシャツを着ているからすぐわかる。仲間たちと談笑していて、時々笑みを浮かべている。  少し離れたところから彼の顔を見つめた。整った端正な顔立ち。切長の瞳。少し影のあるような、クールな表情。  確かにとても魅力的な男性だと思う。アニタがいうのもうなづける。  、、、どうしようか。話しかけて、お礼と服を返さなきゃいけない。ただちょっと近寄りがたい雰囲気で話しかけづらかった。キョンと、あと2人の彼の仲間が話していた。ヤンと、名前は知らないが見たことのある彼の仲間だった。  私は意を決して、ズンズンと彼らの輪に近づいた。 「あの、、、っ!!!」  私が掠れた声を上げると、キョンと彼の仲間たちは一斉に私の方を向いた。  私は頭を下げ、紙袋を差し出した。緊張して一気に胸の鼓動が早くなる。 「この前は、ありがとうございました、、!これ、、洗濯したのでお返しします。」 「、、、、」  キョンは黙って私を見つめ、低い声で言った。 「お前か、、、。」  キョンはタバコを手に持ったまま、腕を組んだ。そしてため気をついた。 「まだここで働いてんのか」 「、、はい。ここで仕事があるので」 「辞めればいいだろう。他に仕事はいくらでもある」 「そんな急に辞められません。生活があるので。、、、そして辞める気もありません」 「お前、懲りてないな、、。あんだけ酷い目にあったのに。」  キョンが舌打ちをした。 「、、、馬鹿なのは重々承知してます。でも、、、」  私は真っ直ぐにキョンの目をみて言った。 「母さんが身体が悪いので私が働かなければならないんです。ここはお給料がよくて、私みたいな年齢でも雇ってくれるし。あと、私、九龍城が好きなんです。いい噂はあまりないけれど、でもここに住んでいる人達はいい人も多い。」  私は早口で続ける。 「だから、辞められません。辞めたくありません」  キョンはタバコを持った手を口にやり、タバコを吸った。彼は何かを考えているようだった。煙を吐き出し、厳しい声でいった。 「知ってるだろうが、ここ九龍城は無法地帯だ。政府も一切介入しない、なんでもありの場所。ここにいるってことは、なんでもやっていいという反面、なんでもやられていいっていうことだ。全ては自己責任。わかってるよな」 「その通りです。」 「、、、気をつけろよ。フラフラ歩くな」  私の手から紙袋をパッと取り、「行くぞ」と仲間たちに言った。そしてスタスタと九龍城の中へ入って行ってしまった。その後を2人の仲間が追いかけようとするが、その内の一人、ヤンが私の方に駆け寄ってきた。ヤンは安心させるような笑みを私に浮かべ、こう言った。 「ジェイドさん。この前、大変な目に遭って災難でしたね。また何かあったら、俺らに言ってください。兄貴は、ジェイドさんに起こったようなことはもう起こらせたくないんです。ジェイドさんも、九龍城はいい奴も多いけど、悪い奴らも少なからずいるって頭に入れて、行動するようにしてくださいね。」  私は、彼が私の名前を知っていることに驚いた。 「私の名前、知ってるの?」  ヤンは、もちろんと言わんばかりの顔で笑った。 「あたりまえですよ。ジェイドさんみたいな美人、一度見たら忘れないっす」  そして、ヤンは九龍城内に入っていった。  キョンや13Kのメンバーに対して、私が想像していたイメージに変化が起きてきていたことは間違いない。  キョンは近寄り難いオーラがあって、いつもヤンチャそうな仲間達に囲まれ、愛想もよくない。  でも私を助けてくれた。 13Kとは、意外に悪くない人たちなのかもしれない。
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