ひとはりのゆめ

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頼りなく揺れる蝋燭の火は吹き消した。射し込む月明かり以外は寝所に眠る男の場所を知る術は無い。それは寝入っている相手にとっても同じこと、環境の条件が同じ以上は目が慣れているこちらの方に利が有る。 ……目を閉じて寝息を立てる精悍な顔つきの男の顔を見詰めると、私は懐に隠した短刀を取り出して両手で持ち、頭上まで振り上げた。──下ろせば、終わる。長いながい遣われの身も、これで終わりだ。 息を大きく吸い込み、 短刀の刃が白い明かりを受けて煌めいた、刹那。 「……ふっ、はは、はは……!!」 ──雷鳴の如き哄笑と喝采が空気に満ちる。眼下の男は目を開け、可笑しくて堪らないと言わんばかりに口を歪めていた。……クソ、また失敗か。 「──なんだ、起きていたのか」 世間話でもする気軽さで話し掛けると、未だ呵呵と笑う男は私に向かって問い掛けた。 「お前の気配は独特過ぎる、私への敵意が隠せていないからな。……それにしても見事、見事。それほどまでに私が憎いか」 豪快な笑い声とは裏腹に、視線はひどく冷たく私を射竦める。私は短刀を振り上げたまま表情を変えずに男を見つめ返した。癖の有る黒髪がどこからか吹き込む乾いた風に遊ばれ、毛先が頬を擽るのがいたくむず痒い。 「当たり前だ。達者な口で無垢な子供たちの道を踏み外させようとした、道化師が」 「なんともまあ人聞きの悪い話だな。私は世の上澄みから一歩踏み込んだ景色を魅せてあげただけだ、……そう、例えるなら針を刺せば一瞬で割れる風船の魔法のような。夢のような時間を見せていただけだろう」 「奇人の戯言に付き合う暇は無い。私は帰る」 話せばいつまでも朗々と語り続ける目の前の男に嫌悪を隠しもしない表情をしてみせると、私は踵を返そうとした。要領を得ない長話に付き合えば付き合うだけ貴重な時間が無駄になる。帰って寝る、寝てまた日中の仕事に備えるまでだ。 ──かつ、と。靴音を立てて一歩踏み出した。 「ああ、気を付けて帰るといい。……それと、」 その背に、愉快そうな声が投げ付けられる。それは私の口を引き結ばせるに充分過ぎる一言だった。 「……なにも私も好きで奇人と成り果てたわけではない。それは"お前が一番良く知っているはずだが"?」 「──」 ぎ、っと。思わず力を込めて下唇を噛む。 『子供をかどわかす道化師はいつでも自分の後続を探し続けている。見初められた子供は身代わりが見付かるまで、夜の街をいつまでも彷徨うことになるのだ』 セピア色の声が脳裏に蘇る。 そう。そうだ。 ──終わらせてやりたかったのは、本当は。
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