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第十一章【ぬるい風】凪砂
「あれからカブが茶室に来て、お礼をいってくれたよ」
駅のホームで朔馬はいった。
僕たちは本日も学校に通うべく、電車を待っていた。
「あれからって。俺たちが家に帰ってからだよね?」
朔馬は少し眠そうな顔で「うん」といった。
カブと僕たちが別れたのは午前二時半頃だったので、それ以降に茶室に訪れたということなのだろう。
◇
――この生き霊、美羽ちゃんに似てる
僕たちはその後、本家の方へと向かった。
そして自動販売機の前で、虚空を見つめる彼女を見つけた。
彼女が何を見つめているのか、僕たちは一拍置いて気が付いた。
そして彼女とそれが接触する瞬間、朔馬は人差し指と中指を立てて短くなにかを詠唱した。
辺りは光に包まれ、次の瞬間には彼女の生き霊と思われるものは霧散していた。
「ワシが不幸を拝借したのは、間違いなくこの人間じゃ」
カブは虚無僧の姿で、気を失った彼女を背負ってくれていた。
「あとは首尾よくやる」
「任せていいのか?」
朔馬がいうとカブは「問題ない」といって、本家の方へ歩いていった。
「本当にこのままカブに任せちゃって大丈夫かな」
僕はいった。
「着いていった方がいいかな」
波浪はいった。
「カブは鼻が利くみたいだし、家も部屋の場所もわかると思うから大丈夫だよ」
僕たちが心配していたのは、きっとそういうことではなかった。
しかし朔馬が少しも心配していないようなので「じゃあ、大丈夫か」という気になった。
そして僕たちは家に戻ったのだった。
◇
「拝借した不幸は、ちゃんと美羽さんに返せたってことだったよ」
朔馬はいった。
「ちゃんと返せてよかったと思うけど。その相手が美羽ちゃんだと思うと、変な感じだな。どんな不幸だったんだろう」
「物理的な不幸ではなく、精神的な不幸だったみたいだよ。不幸というか、痛みなのかな。でも人の不幸は十年もすれば、消えてしまうものがほとんどだっていってた。だから大丈夫だろうって」
十年という歳月は僕にとってはあまりにも長く、想像することすら難しかった。
「夕方、道端にいた生き霊も美羽ちゃんだったのかな」
僕がいうと、朔馬は肯定するように頷いた。
「自分の思念だったら、本人にだけはっきり見えても不思議はないかな。生き霊が現れたのは、彼女が帰省したことだったり、カブが近くにいたことだったりが重なったせいだろうね」
彼女の生き霊を思い出せども、それはうまくいかなかった。
彼女がどんな高校生だったのか、僕は知らない。そして今後も、それが語られることはないように思った。
「そういえば公園にいた生き霊も、美羽さんだったと思うよ」
朔馬はさらりといった。
「公園って、理玄といったあの公園?」
「そう。四才児が溺れる前の夜に、美羽さんはあの公園に寄ったんだって。さっきハロがいってた」
昨夜のこともあり、僕は若干寝坊をしたのでいつもより慌ただしく朝の支度をした。そのため二人がそんな話をしていたことにまったく気づかなかった。
「カブの影響が強いと思うけど、彼女の思念みたいなものが形を成しやすい状況だったのかも知れない。高校生の頃の友だちと、花火をしてたらしいよ」
朔馬がそういい終える頃、見慣れぬ女子生徒が階段からホームに下りてくるのが見えた。
夏休みのこの時刻に、駅を利用する者は多くない。そのため、この駅を利用する生徒の顔はなんとなく覚えてしまっている。だから僕は、白桜高校の制服を来たその女子生徒を、見慣れないと認識した。
僕の視線に気付いたのか、その子もこちらを見つめた。目が合ったので、僕は軽く頭を下げた。
見知らぬ人に挨拶をしても、こちらが損をすることはない。返ってきたら幸運で、返ってこなかったらそれまでである。そう教えてくれたのは、美羽ちゃんだったように思う。
少しすると、その子もこちらに軽く頭を下げた。
その後でふと、その子は不登校気味の生徒かも知れないと思った。
「花火か、いいな」
僕は朔馬に視線を戻していった。
「俺たちが知らない思い出も、きっとたくさんあるんだろうな」
地元を離れて生きる彼女にとって、ここがどんな場所に映っているのかはわからない。
それでも、少しでもいい思い出があればいいなとは思う。
「花火って、簡単にできるものなの?」
朔馬はいった。
「できるよ。手持ち花火だけど」
「手持ち花火……」
朔馬はおそらく手持ち花火を知らないのだろう。
「今日の夜、やろうか。うちにあると思う。なくても買ってくればいいから」
僕がいうと、朔馬はうれしそうに微笑んだ。
線路の先には、ぼんやりと陽炎が揺れている。
本日も、これからますます暑くなる。そんな予感がする。
ぬるい風が僕たちの頬を撫でると、ホームにはゆるやかに電車が入ってきた。
【 了 】
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