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第三章【早生まれ】美羽
彩樹からもらったチョコレートの山を見て、両親は言葉を失っていた。
母が分家にも持っていってはどうかと提案するのは必然であった。
美羽は少しだけ迷ったが、それを持って分家に向かうことにした。
分家までは、徒歩数分という距離である。
しかし実家から分家に向かう道は、ほとんど日陰がない。そのため夏場は分家までの道のりが、必要以上に長く感じる。
まだ午前中であるにも関わらず、日差しはまるで容赦がなかった。
ほんの少し緊張しながら、美羽は分家のインターホンを鳴らした。その後で、双子に連絡を入れたが返事を待たずに家を出たことを思い出した。
ポケットの携帯端末に手を伸ばそうとすると、軽い足音が近づいてきた。
「美羽ちゃん!」
玄関から顔を出した波浪は、美羽を歓迎してくれた。
年の離れたイトコとの再会を少し不安に思っていたが、波浪の顔を見るとそれらはすぐに消えていった。
そして互いに、再会を喜び合った。
「もしかして寝てた? ごめんね、急に来ちゃって」
波浪が若干眠そうだったので、美羽はいった。
しかしこの時間まで波浪が眠っているのはめずらしいように思った。現在午前十時である。
波浪は「全然、大丈夫」といいながら、スリッパを出してくれた。
お土産だけを渡して帰ろうかとも思っていたが、美羽は分家に上がることにした。分家には、波浪以外に誰もいないようである。
「一人で留守番?」
「うん、一人だよ」
美羽にとっては叔母夫婦にあたる波浪の両親も、伊咲屋で働いている。そのため彼らの休日も、カレンダー通りでない。本日は、叔母夫婦はともに出勤日のようである。
「凪砂は? あと、朔馬くんよね。分家に住んでる子」
居候の話題を避けるのも変なので、美羽は聞いた。
「二人とも学校だよ。進学部は、夏休みも授業あるから」
「そっか。そうだった」
美羽は凪砂と同じく、白桜高校の進学部に通っていた。
波浪も進学部にいくとばかり思っていたが、彼女は女子部へと進学した。学力的には充分に進学部へはいけたはずである。しかし彼女はそうしなかった。
その理由を聞いてみたい気もするが、それは野暮というものだろう。大人の質問というのは、悪意がなくても子どもを傷つけることがある。
リビングに入ると波浪は「座って」といって、冷蔵庫に向かった。
分家に上がるのはそれなりに久しぶりだった。
「なんだか、すごく懐かしい」
美羽はため息交じりにいった。
「うちにはあんまり、来てなかったっけ」
波浪は麦茶を注ぎながらいった。
麦茶が差し出されたので、美羽は礼をいった。
「そうだね。二人が中学に上がってからは、あんまり来てなかったかも」
双子が生まれた当時、美羽は中学生だった。
生まれたばかりの双子は美羽にとって、かわいくて仕方がなかった。そのため美羽は手伝いと称して、ほとんど毎日分家に顔を出していた。
美羽が大学進学のために地元を離れたのは、双子が小学校に上る前であった。
「去年は美羽ちゃんが帰ってきても、あんまり遊べなかったね」
「タイミングも合わなかったし、二人は受験生だったからね」
「そうだね。あ、ちょっと待ってて」
波浪はそういって、ソファーの方へ向かった。
分家のリビングは広い。
南に位置する掃き出し窓の側には、ローテーブルをコの字に囲むようにソファーが三つ配置してある。そのソファーはすべて同じ種類のソファーベットである。
コの字に配置されたソファーの正面にはテレビがあり、幼い双子が口を開けてそれを見つめていた光景を今も思い出せる。
その印象が強いせいか分家のリビングの南側は、子供部屋という認識がある。美羽が頻繁に分家に訪れていた頃は、そこがベビーゲートで分断されていたので尚更である。
波浪はソファーの横にある小さな棚から通知表を取り出してくると、それを美羽に渡した。
双子が通知表をもらうようになってからは、必ずそれを見せてくれている。
遠慮するのも変なので、美羽はそれに目を通した。
「すごいね。女子部で七位なんだ」
女子部の生徒数の多さを知っているので、美羽はいった。美羽の反応に、波浪は満足そうに微笑んだ。
「でも毅には、女子部レベル低いっていわれた」
「えー、そんなことないでしょ」
美羽は苦笑した。
毅は、北川誠の実の弟である。
毅は双子が生まれる約一年前に生まれた。しかし毅は四月生まれで、双子は三月生まれなので同じ学年である。美羽と誠同様に、双子と毅も近所の幼なじみになる運命を背負っていた。そのため誠は美羽が分家に顔を出すタイミングで、毅を連れて分家に遊びに来ることも多かった。
双子は生まれてからしばらくは、保育器で生きていた。しかし毅は、その頃すでに二足歩行ができていた。これほどに成長の違いがあるにも関わらず、数年後には同学年として扱われる。それを妙な気持ちで見ていた。
美羽も双子と同じく早生まれという分類である。幼い頃は「早生まれだから仕方ない」と、よくわからない慰めの言葉をかけられることもあった。
しかし双子と毅の成長の違いを目の当たりにしてしまうと、そんな言葉が出てくるのも必然のようにも思われた。
「毅は九位だったよ」
波浪はいった。
「進学部で九位? それは頑張ったね」
美羽は素直に感心した。進学部で一桁になるのは、なかなか名誉なことである。
「毅が九位って聞いて、進学部いかなくてよかったって思った」
「そうなの?」
美羽がいうと、波浪は「うん」ときっぱりいった。
「毅より勉強ができる人が八人もいるって、考えるだけで無理だもん。私は進学部で下の方にいるより、女子部で上位にいる方が合ってると思う」
そして波浪は「鶏口牛後っていうんだっけ」といった。
良し悪しはともかく中学三年生の時点で、その判断が下せるのは冷静であると思った。
「私が進学部にいったら、凪砂と毅と三人が同じクラスになる可能性もあったと思うし。それも少し嫌だなと思って」
凪砂だけでなく毅の名が挙がることで、彼女の苦労が垣間見えるように思えた。
毅は幼い頃は、なかなかの暴君であったという話である。
「そうだね。同じクラスになったら、苦労もありそうだもんね」
美羽がいうと波浪は「ね」と笑った。
小学校と中学校は、双子は一度も同じクラスになることはなかった。美羽の学年にいた双子も、同じクラスにならなかったので学校の方針なのだろう。対して毅は、常に双子のどちらかとは同じクラスだったようである。
しかし白桜高校進学部においては、クラス数が少ないので三人が同じクラスになる可能性は充分にあった。それを避けるために波浪が女子部に進んだとしても、何も不思議ないのだった。
同じ学年に、弟がいる感覚はわからない。
しかし同じ学年に遼平がいたら、しなくていい苦労もあるだろうとは思う。
だからこそ美羽は、三人がまだ幼稚園に通っていた頃から「家であった話は、外ではしない方がいい」とか「友だちを家に呼ぶ時は、お互いの了承を得てからにした方がいい」とか、そんなことを真剣に言い聞かせていた。
「でも最近は、前より仲がいいかも知れない。凪砂とも、毅とも」
波浪はいった。
「そうなんだ。学校が離れたから?」
「それもあると思う。でも、なんだろう。朔馬がうちに住むようになったからかな」
それは、なかなか意外な答えであった。
「ハロと朔馬くんは、知り合いだったの?」
波浪は「ううん」と、首を振った。
「朔馬は、うちに住むまで顔も見たことなかったよ。でも凪砂と毅は同じクラスだし、三人は元々仲いいよ」
「あ、タケちゃんも同じクラスなんだ」
美羽は心なしか、ほっとした。凪砂と毅の二人の共通の友人であれば、朔馬の信頼度が上がるためである。
「うん。毅がうちに来ると、いつも三人でゲームしてる」
波浪はそういって、テレビの方に目を向けた。
「あれ。タケちゃんは、野球部の寮に入ったんじゃなかった?」
「うん。でも部活が終わった後、たまにうちに来るよ」
「そんな時間あるの?」
白桜高校は、甲子園の常連校である。そのため必然的に。野球部は練習が厳しいのだろうと思っていた。
「よくわかんないけど、朝練がない日は帰ってきてる」
「すごい体力ね」
「眠そうにしてるけどね」
そして波浪は「でも、もしかしたら」と、続けた。
「最初の頃は、私と朔馬の様子を見に来てくれてたのかも知れない」
毅が両者と仲がいいのであれば、二人を心配するのは当然である。しかし心配だからといって、様子を見に来てくれる者はなかなかいないだろう。
「気が効く子になったのね。なんというか、やんちゃなイメージが強かったから不思議な感じ」
美羽はいった。
「毅は横柄だけど、小さい頃から気が利く感じだったよ」
親しい者を褒めることに躊躇がないのは、波浪の長所である。
「マコツは小さい頃から優しかったけど、そういう気は利かない感じだったよ」
波浪は「なんか意外」と笑った。
「でも毅は、別に優しくはないよ」
波浪がさっぱりといったので、美羽は笑った。
◇
波浪と他愛のない話をしていると、あっという間に時間が過ぎた。
お昼も近くなって来たので、美羽は帰ることにした。
凪砂と朔馬がもうすぐ帰ってくるので、待ってはどうかと波浪は提案してくれた。しかし美羽はそれを辞退した。二人に会いたい気持ちもあったが、お昼時に分家に居座る気にはなれなかった。
「送っていくよ」
波浪はそういって、美羽と一緒に分家を出た。
こういうことを自然にしてくれるのは、周囲にそういう者が多いのだろう。そんなことを考えると、美羽は柔らかい気持ちになった。
「今回は、いつまでいられるの?」
波浪はいった。
「あと二、三日はいるかな。お盆には帰って来れないけど」
「そっか。お盆は帰って来れないんだ」
波浪は残念そうにいった。
こういう何気ない会話で、自分はまだ慕われているのだと安堵する。
なんだか満たされた気持ちでいると、通りすがりの誰かがこちらに頭を下げた。そのため美羽も、反射的に頭を軽く下げた。
美羽がその者を知らなくても、相手が一方的こちらを知っていることは多くある。
それは近所の者だったり、両親の知り合いだったり、伊咲屋の従業員だったりする。そのため美羽は、知らない人にも挨拶をするようにといわれて育った。
それは波浪も同じだと思っていたが、彼女は不思議そうにこちらを見つめるばかりであった。
波浪と視線を合わせた後で、美羽はすれ違った者を探すように振り返った。
しかしそこには、誰も居なかった。
「なんだろう。誰かいた気がしたの」
見つめる道の先には、ただ陽炎が揺れているばかりであった。
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