第七章【虚無僧】波浪

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第七章【虚無僧】波浪

 私たちは彼女にお礼をいって、車を降りた。  そして遠ざかっていく彼女の車を、何気なく見つめていた。そうしているうちに、なんだか妙な感じがした。  それは凪砂も朔馬も同じだったらしく、私たちは彼女の車に注視した。  すると彼女は、何かに気付いたように運転席で軽く頭を下げた。 ――誰かいた気がしたの  その場所は今朝、彼女がそういった場所であった。  そう思い出したのと同時に、色あせた電柱の近くにぼんやりと鬼虚が見えた。 「鬼虚だ」  私はいった。 「本当だ」  朔馬はいった。 「さっきはなかったよね」  凪砂はいった。  私たちはそんなことを口にしながら、鬼虚の方へと向かった。 「美羽ちゃんにも、この鬼虚が見えたのかな」  私はいった。 「美羽さんも見鬼(けんき)なのかな。そういう話、聞いたことある?」  朔馬は私たちに聞いた。 「俺は聞いたことないな」 「私も」 「見鬼だとしても、美羽ちゃんは俺たちにはいわない気がする」 「そうだね」  鬼虚の近くにいっても、それはひどく儚げな存在に思えた。 「この鬼虚、生き霊じゃないかな。公園にいた鬼虚と似た感じがする」  朔馬は凪砂にいった。 「いわれてみれば、そんな気がする」 「俺たちに、ついてきちゃったのかな」  凪砂は「え」と声を上げたが、朔馬は気にすることなく「こんにちは」と鬼虚に話しかけた。  する鬼虚は、ゆらりとこちらに頭を下げたように思えた。そのため私たちも、鬼虚に頭を下げた。 「なにか、俺たちにして欲しいことはある?」  鬼虚は少し間をおいて「ない」という感じで、首を振った。 「女子高生にみえない? うちの制服着てる気がする」  凪砂はいった。そう言われると、そんな風に見えてくるので不思議なものである。  私も朔馬も「本当だ」と同意した。  朔馬は以前「なにかが見える、見えないは、騙し絵のようなもの」といっていたが、まさにそんな感覚であった。  それからすぐに、鬼虚はゆらりと姿を消してしまった。  私たちは辺りを見渡したが、それはもうどこにもいなかった。 ◆  その夜、私たちはいつもより早く自室へ戻った。  カブとの待ち合わせは午前二時頃なので、一度仮眠を取ろうということになったのだった。  しかしどれだけ目を閉じても、一向に眠気は訪れなかった。そのうちに、自分が長く昼寝をしていたことを思い出した。 私は眠ることを諦めて、リビングに向かった。 この時間に夏休みの宿題を少しでも進めようと思ったからである。私は起きている時間の大半をリビングで過ごしているので、勉強道具のほとんどをリビングに置いてある。  リビングに明かりを点けると、ダイニングテーブルに積み上げられたチョコレートの箱が目についた。 ――私の部屋、使っていいからね  朔馬がうちに住むことが決まってから、彼女からそんな連絡をもらった。 朔馬については、凪砂と毅の友人という以外になんの情報もなかった。だからこそ当時の私にとって、彼女のそれがどれだけ心強かったかわからない。  彼女は大学進学と同時に、地元を出た。そのため彼女が地元にいた時の思い出は、あまりない。それでも私たちは、彼女に愛されて育ったと記憶している。  彼女は私たちと会話をする時、言葉を選んでくれていると感じる時がある。それよって距離を感じることもあるが、彼女は地元の大人たちとは違った価値観で私たちに接してくれているのだろう。 彼女は彼女なりに、私たちに寄り添ってくれている。幼い頃からそう感じていたからこそ、私は彼女が好きだった。  それでも私たちは遠くに住む親戚で、彼女のことを知っているようで何も知らないのだろうとも思う。 ――美羽ちゃんは俺たちにはいわない気がする  凪砂もそう感じているからこそ、先ほどの言葉が出たのだろう。  リビングで勉強をしていると、のそりと朔馬が現れた。  時計を確認すると、午前二時近くになっていた。 「寝なかったの?」  朔馬はまだ少し眠そうであった。 「うん、昼寝したから」 「そうだったね」  朔馬は小さくアクビをした。  再びリビングのドアが開いたかと思うと、眠そうな凪砂が顔を出した。  それから私たちは静かに家を出て、待ち合わせ場所へ向かった。 「今はなにも見えないね」  凪砂は鬼虚がいた場所を一瞥していった。  私も朔馬も、凪砂の言葉に同意してその場所を通り過ぎた。 「そういえば午前中にも、この辺になにかいたかも知れない。誰かがいた気がするって、美羽ちゃんがいってた」 「そうなんだ? じゃあ公園の生き霊が着いてきたわけじゃないのか」  朔馬は驚いた様子もなくいった。 「ハロには何も見えなかったの?」  凪砂はいった。 「見えなかった」  私は正直にいった。 「ハロには見えないのか、なんだろうな」  朔馬はいった。  私たちはなんの答えも見つけられないままで、ひたひたと街灯が照らす歩道を歩いた。  待ち合わせの場所には、すでにカブが到着していた。 「待たせたかな」  朔馬はいった。 「問題ない」 カブはそういって、ふわりと僧侶の姿になった。茶室に来た時と同様に、深編笠をかぶった僧侶の姿であった。 「人間に化けるとは聞いてたけど、こういう姿だったんだな」  凪砂はいった。 「たしか虚無僧(こむそう)っていうんだったかな」  朔馬がいったので、私と凪砂は「へぇ」と感心した。  そんな私たちをよそに、カブは辺りを注意深く確認しているようだった。 「どうにも、妙じゃな」  カブはいった。 「どうかしたか? なんでもいってみてくれ」  朔馬は強制するわけでもなく、ただはっきりとカブに伝えた。 「ワシと出会った人間の気配が、どうにも変化しているようじゃ」 「その人に、なんらかの変化があったわけか」  朔馬がいうと、カブは「おそらく」と頷いた。 「数日で起こる、変化ってなんだ?」 「なにかに憑かれたとか、そういうこともありそうだな」  私たちが唸っていると、カブはなにかいいたそうにこちらを向いた。 「どうかしたか?」  朔馬はいった。 「いや。人間は数日では、大きく変わらぬだろうと思ってな」 「俺たちもそう思うよ。でも探している人間には、変化があったんだろ」 「そうじゃな」 「つまりその人間は、この何日かで変化があったんだろ」  朔馬が確認するようにいうと、カブは首を振った。 「ワシがその人間に出会ってから、もっと月日が経っている」  私たちは顔を見合わせた。  どこかで会話が噛み合わなくなった。それがどこなのかを、全員が探し始めた。 「その人間に出会ってから、二度は眠った」  朔馬は小さくいった。 「カブはそういったな」  朔馬が確認すると、カブは頷いた。 「俺はその言葉を聞いて、カブとその人が出会ってから、二回夜が来たんだと思っていた。でも、そうじゃないんだな」  カブは再び頷いた。 「ワシはほとんど眠らない。しかし眠ると長い。一度眠ると、何年も経っていることもある」 「カブがその人間と出会って、数年経っている可能性があるのか」  朔馬がいうと、カブは「そうか」と低い声でいった。 「そうじゃったな。人間とワシらは同じ時間を生きていても、流れる速度が違うんじゃったな」  カブはそういうと、自らの手をじっと見つめた。  大人たちも一年はあっという間であるとか、そんなことをいうのでカブもそんな感覚なのかも知れない。長く生きていると、時間の体感速度も変わっていくのだろう。 「どうにも、よくないな」  そういったカブの爪は、通常の人間では考えられないほどに伸びていた。 「力の制御が、できなくなってきている。拝借した不幸が、少しずつ外に出ているようじゃ」  カブの背後には、ぼんやりと鬼虚が現れた。 「それが鬼虚となって、出てきているのか」  朔馬はその鬼虚を見据えたまま、冷静にいった。 「この鬼虚は、カブから出てきたんだよな? でも、この鬼虚、夕方の生き霊に似てないか」  凪砂はいった。  そういわれると、やはりそんな風に思えた。白桜高校の制服を着た、女の子に見えた。 「カブを撫でたのは、何年か前にこの辺で女子高生だった人だよな」 「そうだと思う」  凪砂の独り言のような問いに、朔馬は答えた。 「この生き霊、美羽ちゃんに似てる」  ずっと聞こえていたはずの波の音が、大きくなったように思った。  じっとりとした嫌な予感に、指先が静かに冷えていった。
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