20YY年M月D日 初診

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 「実は私、犬なんですけど、前の病院では......」 知り合いの獣医師からの紹介患者がそう告白したときは、さすがの私も驚きを隠せなかった。目の前の男は巧みに人語を操りながらこう続けた。 「近所の獣医さんに見ていただいたんですけど、鬱はあんまり診てないとかで、なんだか人のお医者さんのほうが詳しいそうで」  私は改めて紹介文を眺めた。そうは言っても動物病院を受診した人を人間の医院に紹介するなど前代未聞なので、無論正式な紹介状ではない。その獣医が患者の許可を得て、知り合いで心療内科を開業している私に個人的に話を通したというだけのことだ。おそらく本人には当たり障りのない説明をしたのだろう。  困り果てた哀れな獣医師の簡潔な紹介状曰く、 「自分が犬だという妄想があるそうです。最近鬱っぽいようです。よろしくお願いします」 とのことであった。  改めて患者に向き合うと、会社帰りであろう男は憔悴し身綺麗とは言い難いが、もちろん服は着ているし、このあとは電車にでも乗って帰宅するのだろうと容易に想像できた。まあ最近は犬も服を着ているというが、あまり一人で電車に乗ったりはしないだろう。私は詳細な問診をとる。 「えー、最近落ち込みやすいとかで。詳しくお聞かせ願えますか」 「ええ、あの、なんだか何もかもうまくいかなくて。不意に涙がこぼれてきたりして......」 犬はあまり気持ちの変化で涙をこぼしたりしない気もするが、意思疎通は十分に可能なようだ。兎にも角にも先を促す。 「いつ頃からでしょうか、おわかりになりますか」 「もともと色んなことを気にするようなタチではあったのですが、実は一年ほど前に昇進しまして、ぐっと仕事も責任も増えまして、そこからなんだか仕事も人間関係も......」 なんと、人間関係という言葉が出てきた。が、最近では動物どうし、人間とモノにさえも人間のような関係性を見出すことがあるし、特筆すべきことでもないだろうか。  ある程度時間をかけて話を聞くと、気分障害については診断もまとまり今後の治療方針を定めることができたが、犬だという話は全く症状に関係ないようであった。それもそうだろう。  例えば私は人間だろうか。社会に生きる他者は人間だろうか。他者は自らを何者と思っているだろうか。  人間だったとして、それは問題だろうか、はたまた利点だろうか。いや、何にもならないだろう。  自分は人間だと意識することにはどのような意味があるだろうか。普段の生活ではおおよそ無意味だろう。  では、それが悩める人間ならばどうだろう。きっと生活に影響を与え、解決することが望まれるだろう。  好奇心と義務感を混ぜて逡巡したあとに、念のため尋ねた。 「ええとそれから、犬だということですが」 「ええ、まあ。そうですが」 「それは、......ずっと前からですか」 私はおずおずと問いかけた。 「まあ、多分、そんなところだと思います」 「そちらについては何か困ったことはありますか」 男は心配そうに、獣医に行ったらまた断られるでしょうか、とだけ言った。確かに今後なにかあるたび獣医を受診してしまうのは問題なので、アドバイスだけしておくことにした。 「あなたは身体的な特徴がより人間に近いので、今後、食事や健康については『人間用』を利用することを勧めます」  いずれにせよこちらのほうは急を要する問題ではなさそうだ。まあ、犬も悩めば獣医を訪ねる。そして悩める心を助けるのは私の仕事だ。  続けて、私はこう締めくくった。 「自分はこの動物だ、と言って回る人がいないように、私たちは自身が何者なのかを特段明らかにしないどころか、意識することもほとんどありません。普段どおりの生活をぜひ送ってください」  私自身もまた何か不安定なパラダイムに丸め込まれたような心地であった。 それを振り払うでもなく、慣れた言葉が口をついて出た。 「では先程お話した通り、このあと血液検査がありますのでね、前でお待ち下さい。お大事に」  さて、この患者に時間を取られすぎてしまったせいで待合に何人か待っているかもしれない。どちらかというと自分を人間で医師だと感じる私は、いつもの調子で次の患者を呼び込んだ。
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