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影のない彼女
「私、影がないの。」
彼女が申し訳なさそうに言った。
付き合い始めて2日目。
早速休みが合い、どこかに出かけようという話に
なり待ち合わせに彼女が来た時だった。
「ごめんなさい、ちょっと話しておきたい事があって。」
そう切り出し、彼女は自分の秘密を告白した。
俺は最初何を言っているのかわからなかった。
「どっどういうこと?」
「えっと…言った通りのことなんだけど。」
彼女はそれ以上言いようがなく困っている。
俺は、ちらっと彼女の後ろを見た。
言われてみれば…影がない…のかな?
考えてみれば、今まで仕事終わりにご飯へ行く事ばかりで、会うのはいつも夜だった。
だからだろうか、全く気がつかなかった。
「あっいや…そっそんな気にする事ないよ。大した事ないんじゃない?」
「そうなのかな…。案外周りから気づかれない事が多いんだけど、和也君にはちゃんと言っておこうと思って。…でも、そう言ってくれてよかった。」
彼女はほっとしたように微笑んだ。
「うん…。」
正直、俺の頭の中は混乱していたが、その時はあまり深掘りするのはやめて、目的地に向かって歩き出した。
その日は一日デートを楽しんで、夕飯を食べて解散した。
彼女は終始楽しそうだった。
俺は、家に着いてネットで検索をし始めた。
『影 ない 人間』
しかし、影のない人間の事例は出て来なかった。
どういう事なんだ?
彼女は普通の生きてる人間だよな?
今日、初めて手を繋いだけれど、実態はあったし暖かかった。
手……ちっちゃかったなぁ…
繋いだ手を見つめながら思い出して会いたくなった。
影がないなんてきっと彼女の勘違いだろう。そんな事あるわけない。
けど、俺は頭ごなしに否定はしないさ。
だって俺は彼女を愛しているから。
付き合い初めて半年たった頃、彼女と少し遠出をしようという話になり、一泊二日の温泉旅行に行く事になった。
目的地までは電車で移動する事になっていた。
彼女も俺も旅行をとても楽しみにしていた。
そして、当日の朝、いざ電車に乗り込んで電車が走り出した時それは起こった。
確かに隣にいたはずの彼女が、突然消えてしまったのだ。
俺は慌てて当たりを見回すと、彼女はなんと向かい側の電車に乗っており、俺とは反対方向に進み出したのだ。
「えっ!待って!!」
俺は思わず叫んだが、無情にも電車は止まらずどんどん離れていった。
俺はすぐに彼女に連絡したが繋がらない。
俺はとにかく慌てて次に止まった駅で降りた。
すると、そこに彼女がいた。
俺は思わず駆け寄って抱きしめた。
「よかった…。何が起きたのかわからなくて、びっくりしたよ。」
「ごめんね。もう大丈夫かなと思ったんだけど。」
「どういう事?」
「うん…ちょっと座って話そう。」
彼女と俺は近くのベンチに座った。
「あのね…実は和也くんと私のいる世界が違うの。」
「どっどういう事?」
「あのね、おばあちゃんの話だとちょっとのズレなんだって、1ミリぐらいの。時間で言うと0.1秒ぐらい。だから、私も和也君に触れるし、話せるし、和也君も私に触れて話せるの。」
「……へぇ。」
「だけどね、自分のコントロールできる以上の早さの中に入るとそのズレが大きくなっちゃって、同じ世界には居られなくなっちゃうんだって。」
「えっ。」
「だから、さっき私と和也君の世界のズレが大きくなって、私も和也君も同じ目的地に向かってるのに、あんな風になっちゃったんだと思う。」
「どっどういう…。」
「和也君は和也君の世界の時間軸の電車に乗り、私は私の世界の時間軸の電車に乗ってここに着いたって事。」
俺は、いきなり映画や小説でしかないようなファンタジーの世界の話をされて、正直まともに受けいれるか迷っていた。
「困るよね、こんな話されても。わかんないよね。」
「うん…あっいや…。」
「信じれなくて当然だよ。世界が何個もあるなんてわけわかんないよね。」
「うん…。」
「私に影がないのはね、影は丁度その1ミリのズレの隙間に入っちゃうからなんだって。」
「へっへぇ……。」
「今はこうやって話してるけど、さっき電車乗ったせいで私と和也君の時間軸の差が開いちゃって、実は私…和也君の事一年ここで待ってたの。」
「えっ!一年?!」
「うん。もちろん、家に帰ってはいたけどね。このぐらいの時間を狙って毎日この駅に来て、今日は和也君来るかなって。」
「そっそうなんだ。」
「和也君の世界は、一年が795日だけど、私の世界は365日しかないの。」
「えっ、そんなに少ないの?」
「うん。だから、一度ズレが大きくなると会えるほどの誤差になるまで時間がかかるみたい…。」
「そうなんだ…ごめんね、ずっと待たせて。」
「いいよ。気にしないで。私が軽率に電車に乗ったのが悪いから。」
「じゃっじゃあ今度はバスで行こうか。温泉旅行。バスなら大丈夫?」
「うーん…どうだろう。」
「じゃあ、遠出はやめて近場でいっぱいデートしようか。」
「ごめんね…。」
「いいんだよ。」
彼女はきっと、間違えて反対行きの電車に乗ってしまったんだ。
けれど、自分の失敗を素直に認められなくて、こんな大掛かりな嘘をついているんだな。
考えてみれば、乗る前に彼女トイレに行くとか言って離れなかったか?そうだ、きっとそうだった。それで乗る電車を間違えたんだ。
いや、もしかしたら乗り物自体苦手なのかもしれない。だけどそれを悟られたくなくて、こんな話をしているのか。
でも俺は、彼女を怒ったりしない。変人扱いもしない。
彼女の言うことを信じるふりをすることぐらい簡単だ。
だって俺は、彼女を愛しているから。
「一緒に帰ろう。」
「でも、和也君、また電車に乗ったら…。」
「大丈夫だよ。さっきのはたまたまかもしれないし、こうやって手を繋いでれば大丈夫。」
俺は彼女の手を握り、不安げな彼女を無理やり帰りの電車に乗せた。
そして発車した瞬間…
彼女はまた姿を消した。
あれ?どうしてだ?
そうか、彼女またトイレに行きたいと言い出したんだっけ?
それで電車に間に合わなかったんだ。
そうだ。きっとそうだ。
そのうち行きに電車に乗った駅に着き降りた。
俺は彼女を探した。
しかしどこにもいない。
いるのはベンチに座る老婆だけだ。
あれ?まだ着いていないのかな?
俺は、ベンチに座って彼女を待った。
しかし、彼女はいつまで経っても来ることはなかった。
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