きっと君たちは、これからもずっとこの感情のことを知らないままなのだろう

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 ドアを開けた時の「音」を聴けば、入って来た人の性格やその日の機嫌、体調などがわかる。  慎重な性格の人なら「レ」のシャープ。苛立ってるなら「ファ」の音がする、といった具合だ。  清宮小鳥(きよみやことり)は、自身のこの見立てに絶対の自信を持っていた。  では、たった今スライド式のドアを開け、この第7音楽教室に入って来たのは、どのような人物だったのだろう? 「え?」  小鳥の口からこぼれ落ちるように、戸惑いの言葉が出た。同時に、思わずピアノを弾いていた手を止めてしまった。  普段なら、こんなことは絶対にありえない。絶対に、だ。  例えば曲のもっとも盛り上がる部分に差し掛かった時に、不意に客席でスマートフォンが鳴ったとしても。  仮に子供が泣き叫んだとしても。  決して動じることはない。  ピアノの弦が切れた時でさえ、使える弦で演奏を続けたほどなのだ。  だが、この時ばかりはさすがの小鳥も、指を動かし続けることができなかった。  それほどまでに、先ほど聴いた「音」がだったのである。  強いて言えば「ファ」だったような気がする。確信が持てなかった理由は、ところどころで跳ねる(シャッフル)したり、何度か止まる(ブレイク)したりと、とにかくつかみどころがなかったからだ。  こんな音がするドアの開け方をした人物に、未だかつて出会ったことがない。  ドアを開けた人物に対して興味津々でもあり、それでいて未知との遭遇に警戒心を募らせつつ、小鳥は奇妙な「音」がした方へと視線を向けた。  するとそこにいたのは、神秘的──そんな言葉がしっくりくるような、小さな女の子だった。  髪の毛は肩にかかるくらいの長さで、きれいな黄金色をしている。大きな瞳は吸い込まれそうな青色だ。真っ白なワンピースを着ていて、それに負けないくらいの白い肌をしていた。  身長は、せいぜい140センチあるかどうかだろう。  だから物理的に言って「小さな」女の子で間違いはなく、さらに見た目はどう考えても小学生だから、「幼い」という意味でも「小さな」という形容詞が正しいはずだ。  これで背中に羽があれば「天使」が来たと信じて疑わなかったであろう小さな女の子が1人、突然、音大の教室に現れたのである。いや、紛れ込んで来た、と言った方が正しいか。  とにかくそんなわけだから、小鳥が戸惑ったのも無理はないだろう。ややキツイ印象を与える顔立ちが、いつにも増して怖くなっていた。  そしてこれが「天使」どころか、のちに小鳥の人生を大きく狂わせることになる「悪魔」との出会いだったのである。
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