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俺とおっさんの間にあるのはノンアルコールの缶ばかり。巻いていたネクタイを緩めにし、その中から好きなものを選ぶ。
「まずは、ひたすら聞くこと」
「え?」
おっさんがアドバイスをしてくれると気づいて選びかけた手が止まる。まさか、1缶いくらって言うんじゃあと手を引っ込める俺に、おっさんは優しく笑う。
「話したら喉も渇くだろう?伊賀くんは必要以上な物は持ってきてないみたいだし」
レジャーシートに置き石、ビジネス書と鞄だけだと気づく。気配り目配りもなっていなかったと項垂れる俺に、おっさんは。
「失敗が糧になる。後輩くんだって見知らぬところで努力しているかもしれない」
おっさんは話を区切り俺の顔を見る。そうして好きな飲み物をと視線で促してから続ける。
「悪いこと悲しいこととして話してくれたけど、伊賀くんは優しすぎる。はっきり言って向いていない。今すぐに辞めるべき」
就職が決まったと喜んでいた家族を就職を機に都会に出てきて3年。ようやく決めたアパートに越すまで新幹線で2時間弱で通勤している俺。
25歳で都会に友達はいない。心の内を話そうと何度、実家の番号を表示させたか数知れない。
「俺・・東京出たら、やりたいこといっぱいあったのに、桜だって嫌いになるほど・・・」
「優しい伊賀くんをスカウトしに来たおっさんです」
冷えたチューハイの酸っぱさを感じていたら、名刺を差し出された。
「伊賀くんは感受性が豊かだね。顔にも出やすい」
名刺を受け取り、俺の名刺を交換する。
【カントリー営業 伊賀晴哉】
【花咲会社社長 村井恭輔】
「しゃ、社長!!」
缶チューハイを両手から落としてしまう俺、すかさず、両手が伸び受け止めるおっさん改め、村井社長。彼がチューハイを受け止めなければレモンの海になっていたところだ。
「ありがとうございます」
「伊賀くんは面倒なおっさんが来ても追い払わなかったね。それに、今はこうやって身を乗り出してくれている。崩してもいいよ、正座は痺れるから」
「村井社長、どうして俺なんですか?」
「長話を聞く電話相手をする会社なんだ。受話口で泣いていたら慰めるのが普通だけど、伊賀くんみたいに寄り添ってくれる人を探してたんだよ」
頭に巻いていたピンクのネクタイを絞めて、首を上げる村井社長。
「僕も昔は伊賀くんみたいに桜が嫌いだったよ。でもね、いい出会いもあるからね?伊賀くんはそれでも桜が嫌いかい?」
同じように桜を見上げる。数時間前まで嫌いだった桜が色鮮やかに見え、センチメンタルな気分を浮つかせてくれる今は。
「今は好きになれそうです」
「なら、よかったよ」
缶チューハイをぶつけて乾杯し笑い合う。
******
1年後
俺はまた桜の下で大きめなリュックを担ぎ、桜を探している。片手にはクーラーボックスを持ち、リュックに不釣り合いなスーツを着て。
「桜なんて大っ嫌いだ」
昔の俺と同じ人を見つけて、村井社長がしてくれたように、俺も声をかけていく。
「ため息吐くと幸せが逃げるよ?」
場所取りをしていた会社を辞めた俺に新たな花咲会社は合っている。会社の時のように、話を聞こう。そして大っ嫌いだと言った顔を満開の笑顔の花に変えさせよう。
****
「あ、俺、勧誘は苦手なんで、桜の時期になると来る人いるじゃないっすか~」
肩に力が抜けた頃、若い青年が本音を言い出してきた。話を聞く側の俺は、桜が嫌いな理由の1人になり、苦笑していた。
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